蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

愛しのワンちゃん

2009-10-23 | 人々の風景
とあるフィットネスクラブの化粧室で、とあるお二人のご年配女性。

「昨日、ワンちゃんを美容院に連れて行ってねー。カット代金5800円やったわ。
マルチーズなんやけんどね。」
「あら、うちもそう。可愛いよね~。ちょっと前も連れて行ってなかった?」
「はやく毛が伸びるんよ。1か月に一回ぐらいは、お風呂も入れてもらってるんよ。
だんだん、臭くなってくるからね~」
「うちも、そうよ。臭くなると、抱っこしようとしても、嫌われるからね」

へー、そうなんや・・・。
ワンちゃんには、お金をかけるんだ。
愛情と手間暇をかけるんだ。
(日本は平和だ、と感じてしまう、ペット愛好家ではない私。
何の縁もゆかりもない他人だからといって、どうしてもっと優しい視線を注げないのか。
やぶにらみ人間学。が、まあ、それはそれとして)
子育てや、老人介護する相手はいないから、ワンちゃんをお世話。
もう、誰のお世話もする必要がなくなった、というフリーな状況、というわけか。
羨ましい・・・
(もちろん、どんな厳しい状況の方でも、ペット愛好家はおられるでしょうけれど)
もうじきお世話されそうなご年配のお二人の会話だっただけに、
なんだか深いところで、感じるものがあった。

お二人の会話が、私のアタマの中では、
「ワンちゃん」が、「おばあさん」という言葉に入れ替わっていた。

いずれ、近い将来、自分自身がお世話される日が来る。
そんな日のことは、知って知らん顔か、まさか、想像もできないのか、
想像したくもないのか、それは存じないが・・・。
(あれが、フィットネスクラブではなく、
老人ホームの日だまりの中なら、また別の展開かも知れないが)

私は、ある年齢に達したら、ある日、ころりと逝きたい。
誰もがそう願っているだろうけれど、そんな幸せな人は、ほとんどいない。
ワンちゃんと自分とを重ねる、シュールなおばあさんもいないだろうけれど、
私の脳内劇場では、そういうシーンが広がった。

自分の行く道は、愛されるワンちゃんか、
はたまた・・・???
けしからんことをあれこれ連想していると、バチがあたり
飼い主に捨てられ、道端で保護され保険所行きの、哀れな身となるかも知れない・・・