わたしの最大のネックは、理想と現実が乖離していることである。
理想を下げるか、現実を引き上げるかしないと、ぴったり一致しない。
が、両方ガンコで、なかなかサボりはなおらず、理想はあくまでも高い。
サボっているだけで、やれば出来る・・・と思っているのは傲慢である。
じつは、やっても出来ない。
しかし、やれば出来ると思いつつサボっているのは、自分を甘やかしているだけである。
しんどいことをするのが嫌なだけだ。ハードなことは避けているだけだ。
本当はやれば出来る。
が、しない。
いや、出来ない。
能力はあっても、努力をする能力がない。
プロセスをクリアする根性がない。
本当に能力があるのかどうか、とことんやってもいないで、いつも途中で投げ出すので、
能力がない、と自分で思っている。
そのほうが、楽だからだ。
能力のある人のほうが、辛くしんどい。
「アタシ、出来ないの~」と言って放り投げるほうが、ずっとずっと楽だ。
他人の評価など気にせず。
ストレスは溜まらない。
だが、他人の評価が気になる人にとっては、
自分の評価が低いこと自体に、ストレスが溜まることだろう。
・・・
とことんやる、とことん努力するのをどこらあたりまで追及するか。
自分に対して、あきらめず、どこまで熱意をもって頑張れるか。
対象は自分であり、実行者も自分である。
命令するのは、自分、命令に従うのも自分。
じゃあ、過酷な課題など取り下げて、楽ちんコースを自分に課せばよい。
指示する側も楽だし、実行する側も楽だ。
しかし、そこで、理想とか、そういう、ややこしいものが、安泰コースの邪魔をする。
・・・
出来ないのではなく、したくない。
努力を惜しむ。
自分を甘やかす。
すると、現実と理想との間に、ギャップが生まれる。
したら出来るのに、しない。
じゃあ、しなさい。
でも、血の滲むような努力は、したくない。
堂々巡り。
面倒だから、目標を下げる。
よかったね、となって落ち着く。
しかし、理想は、まだこころのどこかで、くすぶっている。
・・・
そもそも、わたしは、自分が出来なくても、代用品や、代用人など、
自分の手足となるもの、ひとの助けを借りて、思いをそこそこ達成する。
それには、知恵が必要だ。
自分が出来ないことを代わりにしてもらうためのノウハウ、策を考えなければならない。
すると、自分は出来ないが、擬似的に出来た気分を味わえる。
そのための魔法の杖が必要である。
魔法の杖は、いつもリサーチし、手入れしていなければ、作動しない。
ただの杖になる。
最悪の場合、ただの杖でもいい。
自分を支えてくれたらよいのだ。
お気に入りの杖も、ぽっきり折れたら、・・・
新しい杖を買えばいい。
カラフルなものや、頑丈なもの、軽いもの、新材質・・・新品は新品なりに楽しい。
値段が高くて買えないなら、山で木を切って自分で作ればいい。
(山の木の所有権は、国だったり、個人だったりするのだろうか?)
いつだって、杖を持っていればいい。
自分仕様の杖。
人に貸してあげても、他人には役に立たないかも知れない。
その人その人の、各々に合った、独自の杖があるといい。
改良して、自分に合った杖がいい。
理想を下げるか、現実を引き上げるかしないと、ぴったり一致しない。
が、両方ガンコで、なかなかサボりはなおらず、理想はあくまでも高い。
サボっているだけで、やれば出来る・・・と思っているのは傲慢である。
じつは、やっても出来ない。
しかし、やれば出来ると思いつつサボっているのは、自分を甘やかしているだけである。
しんどいことをするのが嫌なだけだ。ハードなことは避けているだけだ。
本当はやれば出来る。
が、しない。
いや、出来ない。
能力はあっても、努力をする能力がない。
プロセスをクリアする根性がない。
本当に能力があるのかどうか、とことんやってもいないで、いつも途中で投げ出すので、
能力がない、と自分で思っている。
そのほうが、楽だからだ。
能力のある人のほうが、辛くしんどい。
「アタシ、出来ないの~」と言って放り投げるほうが、ずっとずっと楽だ。
他人の評価など気にせず。
ストレスは溜まらない。
だが、他人の評価が気になる人にとっては、
自分の評価が低いこと自体に、ストレスが溜まることだろう。
・・・
とことんやる、とことん努力するのをどこらあたりまで追及するか。
自分に対して、あきらめず、どこまで熱意をもって頑張れるか。
対象は自分であり、実行者も自分である。
命令するのは、自分、命令に従うのも自分。
じゃあ、過酷な課題など取り下げて、楽ちんコースを自分に課せばよい。
指示する側も楽だし、実行する側も楽だ。
しかし、そこで、理想とか、そういう、ややこしいものが、安泰コースの邪魔をする。
・・・
出来ないのではなく、したくない。
努力を惜しむ。
自分を甘やかす。
すると、現実と理想との間に、ギャップが生まれる。
したら出来るのに、しない。
じゃあ、しなさい。
でも、血の滲むような努力は、したくない。
堂々巡り。
面倒だから、目標を下げる。
よかったね、となって落ち着く。
しかし、理想は、まだこころのどこかで、くすぶっている。
・・・
そもそも、わたしは、自分が出来なくても、代用品や、代用人など、
自分の手足となるもの、ひとの助けを借りて、思いをそこそこ達成する。
それには、知恵が必要だ。
自分が出来ないことを代わりにしてもらうためのノウハウ、策を考えなければならない。
すると、自分は出来ないが、擬似的に出来た気分を味わえる。
そのための魔法の杖が必要である。
魔法の杖は、いつもリサーチし、手入れしていなければ、作動しない。
ただの杖になる。
最悪の場合、ただの杖でもいい。
自分を支えてくれたらよいのだ。
お気に入りの杖も、ぽっきり折れたら、・・・
新しい杖を買えばいい。
カラフルなものや、頑丈なもの、軽いもの、新材質・・・新品は新品なりに楽しい。
値段が高くて買えないなら、山で木を切って自分で作ればいい。
(山の木の所有権は、国だったり、個人だったりするのだろうか?)
いつだって、杖を持っていればいい。
自分仕様の杖。
人に貸してあげても、他人には役に立たないかも知れない。
その人その人の、各々に合った、独自の杖があるといい。
改良して、自分に合った杖がいい。