蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

負けたって、いいじゃない?

2018-01-14 | わたし
人を踏み台にして、競争に勝つ。
自分は踏み台にされた。
自分は競争が嫌なため、避けたら、それなりの評価を下された。
サラリーマンの世界では脱落者だ、と、そうボヤく人がいる。

負ける人がいなければ、勝つ人がいない。
負けた人に対するフォローが必要だと力説していた。
確かに、勝ち負けは厳しい。
そんな世界に身を置かずに一生を終える人も少なくない。
たとえば、外の世界に出ない人。
引きこもりは、外の世界では身の置き場がないために、引きこもるのだろう。
こころの病気ではなくても、普通の専業主婦なら、勝ち負けの世界は遠いと思う。
ママ友や、ご近所のライバルと、勝った負けたは、今、わたしがここで取り上げようとしていることと、種類や質が違う。
わたしは、そういうことには言及していない。
虚栄心や見栄を張ったりする、勝ち負けは、ただ単に馬鹿らしい、意味のないことだと感じている。
そんなくだらないことではなく、本当の勝負、自分自身の力、能力の勝負。
この手の勝ち負けで勝ち進んで行った人には、評価が上がっていく。
誰もが認める基準があっての勝ち負け。
運もある。
それ以外の主観的な勝ち負けなんかは、自分だけの世界になる。
そんな世界に満足することを自己満足というのだろうか。

わたしはこれまでに、勝負らしい勝負をしたことがない。
だから低い評価に甘んじている。
踏まれて行っても大して何も感じない。
お先にどうぞ。
行った先は、たかが知れている。
負け惜しみと取られるかも知れないが、決して負け惜しみではない。
変わっているのかなあ、わたし。

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