蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

劣等感

2018-01-24 | わたし
またトラウマ氏のこと、うじうじ。
もうええ加減にせーよー、と神の声。

ええ加減に出来ないところが、トラウマたる由縁。
でもトラウマ以外の成果を伴うプラス体験が出来たのだから、それでよしとするか。

しかし、トラウマの内容と、成果は、別のもの。
必死で練習やトレーニング、レッスンを積み重ね、頑張った苦労を「マイナス」として、成果を「プラス」とするなら、理想的。
そうではない。
精神的に痛めつけられて傷を負った「マイナス」と、たまたま試合結果が良かった、という「プラス」。
同質のものでの足し算引き算ではない。

しかし、もっと結果が抜きん出て良かったら、離してもらえなかったかも知れない。
あるいは、もっと好感の持てる人で競技を続けていたら、足が日常生活にも支障をきたすほどダメージを受けたかも知れない。

精神的にダメージは受けたが、肉体的には、ギリギリセーフだったと言える。
ドクターストップで、やめたのだから。
足は、まだ回復できる。手遅れにならずに良かった。

トラウマと引き換えに、どうにかまだ使える足と、癒えたあとに元に戻る(予定の)精神力が残った。さらに、プラスの実績。
そう考えると、まだ良かったほうだ。
前々からわかりきっているのに、トラウマを引きずり、良いほうに考えが向かなかった。
精神を傷つけられるのは、思った以上にキツイことが、わかった。

色々な小さい細かいことがいっぱい集まって、重なって、トラウマを作った。
小さなことは偶然ではなく、大きな怪物、魔物の断片の数々だったようだ。
そういう人とは関わってはいけない。
人は良い人ばかりではない。
健全な社会生活を送っていても、心が歪んでいる人がいる。
見た目や、一般行動からは読み取れないことがある。
心の奥に隠された厄介なものがある。
恋人や配偶者だったら、わたしは病気になっていたことだろう。
仕事なら、条件が下がっても転職していただろう。

今回の場合、厄介なものの正体は、自分で克服できない「劣等感」。
人をコントロールしたがったり、威圧、恫喝したりもする。
おそらく本人は、それに気づいていないと思う。
そこが根深く、改善の余地がない。
人は離れていくか、距離を置いて接するだろう。
なので、本人は気づく機会がない。

被害を未然に防ぐため、どうやって、そういう人を見分けるか?
周りの評判、噂を聞いてみる。
良いか悪いか。
ただし、皆さん、露骨には口にしないだろう。
何人も相手を変えている、とか、そういう事実の噂を聞いて、判断するしかない。

わたしは楽天的すぎた。
深く考えなさすぎた。
やはり、初めての競技参加に浮かれていて、そちらに注意が行ってしまったのだろう。
浮かれ気分は、競技パートナー登録後、最初の第1回目の練習で、ものの見事に砕け散ったが。
人はある程度、人間関係が確定するまでは、本性は表さないようだ。
釣った魚に餌はやらない、どころか、釣った魚は、切り身にしても、煮付けにしてもよい、という感じだ。

またまた書き出すと、キリがない。
とりあえずは、今日は、マイナス1度の極寒、風邪を引かないようにブクブクに着込んで着ぶくれダルマになって、出かけるとしよう。

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