蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

まだまだ癒えないトラウマ、そうとう、しつこい。

2018-01-20 | 日々のこと
しつっこく、いきなり、また、トラウマに襲われた。
いま、地下鉄内。
わたしは、役に立たないことでも、よく知っていることがある。
興味に任せて調べたり、深く考えたり感じたりする。
(大事な必要なことは知らないことが多いが)
だんだん溜まって来ると、空気抜きを要するようになる。
それをアウトプットする場所があると、自分が救われる。
ブログだったり、関わりのある人だったり、リアル人だったりする。

トラウマ氏。
一切、聞く耳持たず。聞こうとしない。
わたしの話す内容には興味を示さない。当然、理解も示さない。
それはなにも難しい話でもなんでもない、普通、日常のことであっても。
「へー」とか相槌を打っているつもりらしいが、「へー」は話している真っ最中で、話を聞いていない、聞きたくないのが、実によくわかる。
なので、わたしは自分のことは一切しゃべらず、共通の知人の噂話ばかりをする。
トラウマ氏は、自分の意見や感想を一方的に述べる。
わたしは共鳴も賛同もしない。が、トラウマ氏はお構い無し。
一方的に自分の考えを押し付ける。
わたしの言うことはトラウマ氏は聞く気がないので、そういう状態では、わたしは話さない。
これは、コミュ二ケーションと言うか?
言わない。言うはずがない。

わたしは、全然面白くないが、レッスンや練習の帰りにトラウマ氏とお茶を飲む。
単なる時間つぶし。
せっかく遠いところから出てきたのだから、お茶でも飲んで話でもしないとねー、という、わたしの一種の歩み寄りの努力。
そこそこ時間が潰れて、クールダウンしたら、お互い、東と西に別れる。
いつも味気なく、なんのための会話か、まったく意味のない、無味乾燥なものだった。
わたしは、トラウマ氏に合わせていた。
全然、楽しくもなく、つまらない時間だった。
トラウマ氏がわたしの話に興味がないように、わたしはトラウマ氏の話には、なんの興味もなかった。

なので、わたしらしさは、まったくアウトプットできていない。
わたしの、ほんの一面も、まるで出ていない。全面クローズド。
だから、トラウマ氏はわたしの中身を知らない。
二人の接点がないから、引き出しようがない。
で、しかたなく、噂話に始終する。

やはり、コミュニケーションには行ったり来たりが必要。
もし、一方通行だったとしても、相手に興味がある、とか、自分が知らないことを知っていて面白みを感じ、吸収しようとする、とか、なんらかの接点がないと、会話は成立しない。
こころの交流も成り立たない。
トラウマ氏のダンスや、行動で、とても痛め付けられ、わたしは抵抗する気力が失せていた。
思い出せば思い出すほど、わたしを出さず、引き出されもせず、相手の話にも興味がなく、お互い、全くこころの接点はなかった。
わたしの豊かな内面のほんの1ミリでも出したり、相手がキャッチしたりしていることがあれば、少しは違うかも知れなかった。
トラウマ氏といる時間は、砂漠で時間待ちをしているようなものだった。

精神的に重く辛く暗く痛く、ろくでもない感情ばかりが湧き出て来る。

ああ、よかった。離れられて。
こんなに嬉しいことはない。
膝も嘘のように腫れが引き、痛みが治った。
トラウマ氏と踊っている時は、悪い方の足は浮腫んで、もう片方の足の1.3倍はあった。
もう4ヶ月も経つのに、離別できた喜びをまだひしひし感じ、熱い思いが溢れ出る。
が、嫌な思いは、それ以上で、なかなか、ちょっとやそっとでは消えない。

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