忍びよっているのではなく、確実に、堂々と、ボケが、真正面から迫ってくる。
こんな恐怖はない。
目の前には、わたしの30年後の姿が実際のモデルとしてある。
ボケは、フィクションではなく、ノンフィクションなのだ。
でも、まだ30年ある。
母のようなかんじになるのは、正確には25年ぐらい先。
まだまだあるじゃないか。
と、一瞬、顔が緩む。
でも、必ずそうなる。
仕方ないけど、覚悟がいる。
自分のボケの現実に、まだあまり慣れていない。
モノを置いた場所を忘れる。
あった出来事を正確に思い出せない。
表現したい言葉や人名が、なかなか思い出せない。
食べた、食べてない、は、さすがに、まだのようだ。
一番の不安は、自分のボケがどれぐらいの速さで、進行するかだ。
ゆっくり、ゆっくり25年かけて進行してほしい。
ご近所の方でも認知症を発症した人がいる。しかも複数。
頭がお元気な頃を知っているだけに、辛い。
いろんな光景がフラッシュバックする。
いずれは自分も、、、
あと、25年。
まあその頃には、ひ孫もいるかも知れないし、労力としては期待はされないだろう。
「手伝わなくてもいいから、自分のことだけをしてちょうだい」と娘に言われている。
まさに、その通り。
厄介をかけ、重荷にならないよう、気をつけよう。
意外に今とあまり変わらないかも知れない。
さらに、子供の時や若い頃とも、あまり変わらないかも知れない。
元々、ポテンシャル エネルギーが低い人は、衰退してもあまり変わらないようだ。
よかった、、、
って、喜んでいる場合ではないが。
こうなったら、省エネ人生を突っ走るしかない。ただし、めんどくさいことは省略の「省」。
突っ走るといっても、亀の歩みで、あと25年。
その後は知る由もなく。
こんな恐怖はない。
目の前には、わたしの30年後の姿が実際のモデルとしてある。
ボケは、フィクションではなく、ノンフィクションなのだ。
でも、まだ30年ある。
母のようなかんじになるのは、正確には25年ぐらい先。
まだまだあるじゃないか。
と、一瞬、顔が緩む。
でも、必ずそうなる。
仕方ないけど、覚悟がいる。
自分のボケの現実に、まだあまり慣れていない。
モノを置いた場所を忘れる。
あった出来事を正確に思い出せない。
表現したい言葉や人名が、なかなか思い出せない。
食べた、食べてない、は、さすがに、まだのようだ。
一番の不安は、自分のボケがどれぐらいの速さで、進行するかだ。
ゆっくり、ゆっくり25年かけて進行してほしい。
ご近所の方でも認知症を発症した人がいる。しかも複数。
頭がお元気な頃を知っているだけに、辛い。
いろんな光景がフラッシュバックする。
いずれは自分も、、、
あと、25年。
まあその頃には、ひ孫もいるかも知れないし、労力としては期待はされないだろう。
「手伝わなくてもいいから、自分のことだけをしてちょうだい」と娘に言われている。
まさに、その通り。
厄介をかけ、重荷にならないよう、気をつけよう。
意外に今とあまり変わらないかも知れない。
さらに、子供の時や若い頃とも、あまり変わらないかも知れない。
元々、ポテンシャル エネルギーが低い人は、衰退してもあまり変わらないようだ。
よかった、、、
って、喜んでいる場合ではないが。
こうなったら、省エネ人生を突っ走るしかない。ただし、めんどくさいことは省略の「省」。
突っ走るといっても、亀の歩みで、あと25年。
その後は知る由もなく。