蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

迫る、逃げる、諦める、省略する

2018-01-07 | 人生
忍びよっているのではなく、確実に、堂々と、ボケが、真正面から迫ってくる。
こんな恐怖はない。
目の前には、わたしの30年後の姿が実際のモデルとしてある。
ボケは、フィクションではなく、ノンフィクションなのだ。

でも、まだ30年ある。
母のようなかんじになるのは、正確には25年ぐらい先。
まだまだあるじゃないか。
と、一瞬、顔が緩む。
でも、必ずそうなる。
仕方ないけど、覚悟がいる。

自分のボケの現実に、まだあまり慣れていない。
モノを置いた場所を忘れる。
あった出来事を正確に思い出せない。
表現したい言葉や人名が、なかなか思い出せない。
食べた、食べてない、は、さすがに、まだのようだ。
一番の不安は、自分のボケがどれぐらいの速さで、進行するかだ。
ゆっくり、ゆっくり25年かけて進行してほしい。

ご近所の方でも認知症を発症した人がいる。しかも複数。
頭がお元気な頃を知っているだけに、辛い。
いろんな光景がフラッシュバックする。
いずれは自分も、、、
あと、25年。

まあその頃には、ひ孫もいるかも知れないし、労力としては期待はされないだろう。
「手伝わなくてもいいから、自分のことだけをしてちょうだい」と娘に言われている。
まさに、その通り。
厄介をかけ、重荷にならないよう、気をつけよう。
意外に今とあまり変わらないかも知れない。
さらに、子供の時や若い頃とも、あまり変わらないかも知れない。

元々、ポテンシャル エネルギーが低い人は、衰退してもあまり変わらないようだ。
よかった、、、
って、喜んでいる場合ではないが。

こうなったら、省エネ人生を突っ走るしかない。ただし、めんどくさいことは省略の「省」。
突っ走るといっても、亀の歩みで、あと25年。
その後は知る由もなく。

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