蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

「嫌いな人」を振り返ると

2019-07-01 | 日々のこと
昨日は、ある教室のダンスの発表会があった。
私は、その教室の生徒ではないので、観るだけでお気楽そのもの。
私は、出るのは嫌いだ。
だから、プレッシャーもなく、上達もしないんだろう。

ずいぶん前、ガメツイ先生の教室主催の発表会が有名ホテルで行われた。
それにはレッスングループの一員として出たが、見るに耐えない、つまらないものだった。
くだらない!と、吐き捨てるように言って、それ以来、姿を見せなくなった、生徒の中では比較的若い生徒(女性)もいた。
わたしは、彼女の潔さに、心の中で拍手を送った。
他にも、たぶん無報酬で「人に教える機会を与えてあげる」名目で、素人インストラクター的な女性がその教室にいて教えていたが、彼女も怒りと不満の火を吹いてやめた口だと思う。
彼女(推定70歳)は、発表会でわたしの近くにいた時に、「生徒さんたちに、ホンモノのダンスはどんなものか、見せてあげたいわ」と嘆いていた。
「今、やっているのは単なるお金儲けのお遊戯だ」という、言外に彼女の言いたい趣旨を受け止めた。

なにしろ、教室主宰の男先生の奥さんであるS女先生が、大嫌いだった。
こき使われて辞めるのは、何かしら思いがある人。
残っているのは、S先生とギブアンドテイクで、うまく便利に使われている人ばかり。
当時から、イソギンチャクみたいにくっつき回っている女性は、わたしの後輩なんだけど、彼女の踊りのどこがいいのか、さっぱりわからない。
競技会で出場している姿を見た時は、周りの一流プロたちとの格段の違い、違和感に恥ずかしくなった。
ウマが合わないまま、根に持ったまま、もう7年以上の歳月は経っているが、今もとても近い場所で、彼女たちは活躍されている。
相変わらずの、自己PRに、実態を知らない人は寄って来るんだろうなあと、げんなりしている。
が、べつにどうでもよいので、場所は近くても、精神的には遠くから見ている。

たんなる相性かも知れないが。
あんなに嫌いな人は、たぶん、今まで4人ぐらいしかいない。
1人は、30年以上前、当時からお付き合いもほとんどなかった、同じマンションに住んでいたママ友。
1人は、20年ぐらい前の職場後輩女性。
1人は、7年ぐらい前の上記ダンス女先生。
1人は、2年前のダンス男性。

1)子育て、兼、地域住人
2)仕事
3)趣味
4)趣味

ジャンル、時期分けすると、子供時代や学生時代の嫌いな人が抜けている。
あまりいなかったみたいで、やれやれだ。
というか、考えなしで、忘れているだけか?

子供時代と学生時代のベースは、家庭と学校。
イジメがあったわけでもなし、ちょっと暗くて、ちょっと成績が振るわなかったぐらいだったので、たいして不幸な要素はナシ。
人生は背負うものであり、切り拓くものではないと、受動的に考えていた。
まあ、子供だし。
時間が進むと、ステージも進む。
トコロテン方式で押し出され、同じところには停滞しない。

大人になっても、受動的な姿勢は、相変わらず、あまり変わらなかった。
受動的だが、前に進んで行った。

仕事や趣味で、やっと、能動的になったかなあと。
今は、能動的に自ら選んで、流れのまま、流れに逆らわない受動的姿勢になっている。
元に戻っている。
そうやって、最初の頃のように帰っていくのだろうか。
赤ちゃん返りでは、周りに迷惑をかける。
迷惑をかけない、自然な流れで静かにやっていきたい。

「嫌いな人」を検証したものの、たいした結論、総論も出ず、たんなる思い出、羅列となってしまった。