姑が発病して入院した。
で、お見舞いに行った。
というか、嫁だからお見舞いというようなお客様仕事ではないわけで。
(入院時には、義姉が付き添った)
車の運転をやめているため、バスと電車を乗り継ぎ、時間と交通費が車に比べると2倍はかかる。
我が家も僻地、入院先も僻地。僻地と僻地をつなぐには、やはり車が一番便利だと痛感した。
免許返納をやめて、次からは車にするかも知れない。
車椅子に座った姑。
両者、ご対面。
姑の第一声。
「先生、お忙しいのに朝早くからすみません」
あれ?わたし、先生?
かなり急に昇格したものだ。
まあ、いいか、先生のほうがいいなあ。
そう思い、対応していた。
「先生、わたし、こんなところ、早く帰りたいんですけど、家に帰っても一人なんです。こんな状態、悲しくて悲しくて、、、」
と胸のうちを先生(わたし)に、話す姑。
ベッドに移り、眠るまで、ずっと先生。
「お嫁さんは、どうされているんですか?」なんて聞かなくてよかった。
どんな予期しない(いや、十分、予期できる)言葉が返ってくるか、わからない。
心臓に良くない。
姑も寝たことだし、帰ろうかな、と、帰りの病院発のバスの時間をチェックした。
帰りにもう一度、姑の様子を見ようと病室(観察室)に寄ると、義姉が来ていた。
義姉は病院に来る前に、姑が毎日、生活している部屋に立ち寄り、衣類や身の回りの品など、色々なものを持ち運んできてくれていた。
義姉と病室から出て、作戦会議を開いていたところに、夫登場。
義姉は、何曜日と何曜日、わたしは、何曜日と何曜日、と、お見舞いに来る日を振り分けただけに過ぎなかったが。
帰りの電車内では義姉とおしゃべりしっぱなし。
ず〜っとしゃべっていたから、前の人は、うるさく感じられたことだろう。
義姉の成人した孫との、昨日、今日、今の日常生活話やら、時計の針が逆に一気にグルグル急回転していた。
20年、30年、40年は、一瞬で過ぎた。
日頃は全く接触しないが、何かあると、過ぎた時間が圧縮される。
時系列で、キュっと、つながっている。
姑の家にあるアルバム。
その中に収まる写真。
同じ部屋でテレビを見る男性と、幼児。
構図は全く同じ。ポーズも同じ。
テレビ男性は、若い舅。幼児は甥たち。
庭で雪遊びをする子供たち。
同じ庭、同じ構図、同じスキーウェアを着て写真に写るある日の甥たちと、ある日のわたしの子供たち。
全く同じ。
舞台装置、衣装、背景、まるで同じ。
夫の実家では両親は、「嫁いだ長女」の子供たち(孫)を遊ばせ、「嫁を迎えた長男」の子供たち(孫)を遊ばせた。
その写真に写る当時の「幼児たち(姑の孫たち)の、子どもたち(姑のひ孫)」は、もう成人している。(わたしの孫は、まだ上が小学生)
わたしが甥たちに初めて会ったのは、甥たちが、今の「わたしの孫」の年齢。
繰り返される時間。
その姑に、「先生」と言われると、涙がこぼれそうになった。
作戦会議を終えた我々、義姉、夫、わたしの3人が病室に戻ると、姑はきりっとした顔に戻っていた。
「○ちゃん、ありがとう、お世話になります」と、わたしの名前を口にした。
3人が揃うとその横の関係から、わたしのことを思い出すようだ。
「横のつながりから思い出したようですね」と義姉に言うと「時間帯にもよるのよ」とのこと。
雲がかかった時間帯と、はっきりクリアな時間帯があるようだ。
(これは、実母も同じ)
兎にも角にも、姑の入院生活が再スタートした。
で、お見舞いに行った。
というか、嫁だからお見舞いというようなお客様仕事ではないわけで。
(入院時には、義姉が付き添った)
車の運転をやめているため、バスと電車を乗り継ぎ、時間と交通費が車に比べると2倍はかかる。
我が家も僻地、入院先も僻地。僻地と僻地をつなぐには、やはり車が一番便利だと痛感した。
免許返納をやめて、次からは車にするかも知れない。
車椅子に座った姑。
両者、ご対面。
姑の第一声。
「先生、お忙しいのに朝早くからすみません」
あれ?わたし、先生?
かなり急に昇格したものだ。
まあ、いいか、先生のほうがいいなあ。
そう思い、対応していた。
「先生、わたし、こんなところ、早く帰りたいんですけど、家に帰っても一人なんです。こんな状態、悲しくて悲しくて、、、」
と胸のうちを先生(わたし)に、話す姑。
ベッドに移り、眠るまで、ずっと先生。
「お嫁さんは、どうされているんですか?」なんて聞かなくてよかった。
どんな予期しない(いや、十分、予期できる)言葉が返ってくるか、わからない。
心臓に良くない。
姑も寝たことだし、帰ろうかな、と、帰りの病院発のバスの時間をチェックした。
帰りにもう一度、姑の様子を見ようと病室(観察室)に寄ると、義姉が来ていた。
義姉は病院に来る前に、姑が毎日、生活している部屋に立ち寄り、衣類や身の回りの品など、色々なものを持ち運んできてくれていた。
義姉と病室から出て、作戦会議を開いていたところに、夫登場。
義姉は、何曜日と何曜日、わたしは、何曜日と何曜日、と、お見舞いに来る日を振り分けただけに過ぎなかったが。
帰りの電車内では義姉とおしゃべりしっぱなし。
ず〜っとしゃべっていたから、前の人は、うるさく感じられたことだろう。
義姉の成人した孫との、昨日、今日、今の日常生活話やら、時計の針が逆に一気にグルグル急回転していた。
20年、30年、40年は、一瞬で過ぎた。
日頃は全く接触しないが、何かあると、過ぎた時間が圧縮される。
時系列で、キュっと、つながっている。
姑の家にあるアルバム。
その中に収まる写真。
同じ部屋でテレビを見る男性と、幼児。
構図は全く同じ。ポーズも同じ。
テレビ男性は、若い舅。幼児は甥たち。
庭で雪遊びをする子供たち。
同じ庭、同じ構図、同じスキーウェアを着て写真に写るある日の甥たちと、ある日のわたしの子供たち。
全く同じ。
舞台装置、衣装、背景、まるで同じ。
夫の実家では両親は、「嫁いだ長女」の子供たち(孫)を遊ばせ、「嫁を迎えた長男」の子供たち(孫)を遊ばせた。
その写真に写る当時の「幼児たち(姑の孫たち)の、子どもたち(姑のひ孫)」は、もう成人している。(わたしの孫は、まだ上が小学生)
わたしが甥たちに初めて会ったのは、甥たちが、今の「わたしの孫」の年齢。
繰り返される時間。
その姑に、「先生」と言われると、涙がこぼれそうになった。
作戦会議を終えた我々、義姉、夫、わたしの3人が病室に戻ると、姑はきりっとした顔に戻っていた。
「○ちゃん、ありがとう、お世話になります」と、わたしの名前を口にした。
3人が揃うとその横の関係から、わたしのことを思い出すようだ。
「横のつながりから思い出したようですね」と義姉に言うと「時間帯にもよるのよ」とのこと。
雲がかかった時間帯と、はっきりクリアな時間帯があるようだ。
(これは、実母も同じ)
兎にも角にも、姑の入院生活が再スタートした。