ブログ村の評価や獲得ポイントと、自分のブログの閲覧数は、全くリンクしていない。
そして、アップした記事と閲覧数もリンクしていない。
ブログ・システムそのものが、架空の存在で、実は世間とはつながらず、自分の中だけの世界なのかも知れない。
折り込み広告チラシの裏に殴り書きしているのと同じ。
(最近は、裏が白紙のチラシは少ないように思うが)
架空でもよい。
が、ブログ運営会社に毎月支払っているお金、あれ、何か役に立っているのだろうか?
まあ、微々たるものだから、おまじないか、保険とでも思っておこう。
使用料、無料もあんまりなんで、チップか、自主的お賽銭?
が、積み重なるとチリも積もればなんとやら。
老後2000万円問題が浮上し、家計を見直す動きも出ている。
「自分で貯めろ(今後はその傾向に向けて年金システムを変えていく)」という政党まで出ていて、不安を煽られる。
その不安、ブログで発散するには、お安い金額かも知れないが、無料版と変わりがないようにも思う。
ブログ村は無料でやっていただいているから、何も言えないが、ほんの微々たる金額でも払っているブログ運営会社に対しては、閲覧数に不信感を抱くとなると、熱がさーっと冷めていく。
計測コンピュータ システム、大丈夫か?
これは自分の筆力を無視した感想だが、しかし、閲覧数もかなり、いい加減である。
全くといっていいほど、信用できない。
なら、信用しなければよいわけで。
信用しても、信用しなくても、たぶん、ずっと、下手すると一生、ブログは継続するだろう。
影響や効果は、外に向けて求めていない。
全く意識していないかというと嘘になるが、自分を救う、内なる解放である。
だが、もし、閲覧数が1日、1桁だったら続いていなかったかも知れない。
閲覧数とモチベーションは、切っても切れない関係にある。
だから余計に、まったくリンクしない閲覧数になっていると、信頼が根本のところで揺らぐ。
ニセモノの人参を目の前にぶら下げられて走っていた馬なのか。
まあ、いいですが。
自分で自分を救わなければ、誰も救ってくれない。
※
でも、確実に読んでいただいている人には、つながりを感じる。
ある意味、「わたし、今日も生きてます」という発信と受信のホットライン。
ありがとうの気持ちです。
そして、アップした記事と閲覧数もリンクしていない。
ブログ・システムそのものが、架空の存在で、実は世間とはつながらず、自分の中だけの世界なのかも知れない。
折り込み広告チラシの裏に殴り書きしているのと同じ。
(最近は、裏が白紙のチラシは少ないように思うが)
架空でもよい。
が、ブログ運営会社に毎月支払っているお金、あれ、何か役に立っているのだろうか?
まあ、微々たるものだから、おまじないか、保険とでも思っておこう。
使用料、無料もあんまりなんで、チップか、自主的お賽銭?
が、積み重なるとチリも積もればなんとやら。
老後2000万円問題が浮上し、家計を見直す動きも出ている。
「自分で貯めろ(今後はその傾向に向けて年金システムを変えていく)」という政党まで出ていて、不安を煽られる。
その不安、ブログで発散するには、お安い金額かも知れないが、無料版と変わりがないようにも思う。
ブログ村は無料でやっていただいているから、何も言えないが、ほんの微々たる金額でも払っているブログ運営会社に対しては、閲覧数に不信感を抱くとなると、熱がさーっと冷めていく。
計測コンピュータ システム、大丈夫か?
これは自分の筆力を無視した感想だが、しかし、閲覧数もかなり、いい加減である。
全くといっていいほど、信用できない。
なら、信用しなければよいわけで。
信用しても、信用しなくても、たぶん、ずっと、下手すると一生、ブログは継続するだろう。
影響や効果は、外に向けて求めていない。
全く意識していないかというと嘘になるが、自分を救う、内なる解放である。
だが、もし、閲覧数が1日、1桁だったら続いていなかったかも知れない。
閲覧数とモチベーションは、切っても切れない関係にある。
だから余計に、まったくリンクしない閲覧数になっていると、信頼が根本のところで揺らぐ。
ニセモノの人参を目の前にぶら下げられて走っていた馬なのか。
まあ、いいですが。
自分で自分を救わなければ、誰も救ってくれない。
※
でも、確実に読んでいただいている人には、つながりを感じる。
ある意味、「わたし、今日も生きてます」という発信と受信のホットライン。
ありがとうの気持ちです。