蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

自己嫌悪に苛まれる

2019-07-17 | 日々のこと
出発準備するまでの30分間にブログ記事を書いたが、お蔵入りにした。
暗いし、ハラワタ真っ黒で、公開するのは気が引ける。
わざわざ真っ黒を見せつけられて、誰が嬉しい?
だから、しまい込んだ。

で、新しく行きの電車内で別記事を書いている。
でも、おそらく根っこのところは同じなので、洋服を替えたり、パッケージを替えても、本質は変わらない。


さて、今日も姑の入院先へ。
昨夜持ち帰った洗濯物は、昨夜洗濯して、室内干しから天日干しにチェンジし、本日、持っていく。
うちには、ゴム手袋がなく、汚物が付着した洗濯物をあらかじめ部分洗いするのに、素手だと、かなりの勇気が必要。
それを愚痴ると、長女がゴム手袋を持ってきてくれ、とても助かった。
姑の洗濯物と夫の洗濯物は、同時に洗濯機に放り込んで洗う。(予洗いは済んでいるから、陰湿なイジメではない、、、と自己擁護)
夫と姑は親子だから、一心同体でいいんじゃないかと。
ちなみに、わたしの洗濯物は、別洗いする。
親子じゃないし。(もし、親子でも、別洗いする)
将来、息子の嫁が、わたしの洗濯物を息子の衣類と一緒に洗い、嫁の分を別洗いにしたら?
いちいち報告してくる人もいないだろうから、知らぬが仏。
だが、息子に嫁がおらず、息子が洗うことになると、ちょっと哀しいかも。
嫁がいても、息子が洗うことになれば、あまり哀しくないかも。
娘なら、「お母さんの洗濯物だけ別に洗ってる。面倒やけど汚いから」なんて、ズバっと言いそうだ。
病院のレンタルパジャマを利用するかも知れないが、夫は渋い顔。
どっちにしても、下着は汚れる。

さて、ここから帰りの電車内での入力。
くたくたに、疲れた。
自宅介護している人は、本当に頭が下がる。
老々介護で、痛ましい悲惨な事件が起こるのは必然だと感じる。
病院のスタッフの皆さんには感謝のみ。
来る日も来る日も、3Kの仕事。
本当に大変である。

病院でお世話?すると、必ず、「娘さんですか?」と聞かれる。
必ず、である。
つまり、嫁は来ないか、あるいは、来ても娘の次なんだろう。
嫁は、じつに、つまらないポジションだ。

いっぱい入院先に持って来た、洗った洗濯物は、2倍の量の汚れものと交換。
ゴム手袋の出番が増える。
しかし、洗濯など、楽なものだ。

何年も介護している人は、言語に尽くせない苦労を抱えている。
人間はああならないと、土には還れないのか。
アタマが壊れ、脳が司令塔として機能しないため、身体が動かず、他者が動かそうとすると、やたら重い。
アタマが壊れていることを本人は自覚していないのが、厄介だ。
体力的なことではないが、意外に強烈にストレスの元になる。


晩年、認知症になった母方の祖母を、お嫁さんが何年も自宅介護した。
お嫁さんはお姑さんを送った後、そう時間が経たないうちに亡くなった。
介護疲れが死期を早めたと思う。
昔の人はハードな時代を過ごした。

踏ん張り時だ。
覚悟を決めるしかない。

が、電車、乗り間違えて、30分無駄な待ち時間。自己嫌悪。
夫の帰宅時間が迫るし、食材買い物の時間やバスの時間、帰宅後の外干ししている洗濯物の処理など、時間逆算すると、たいへん貴重な30分である。
疲れている上に、こういうのが、私にとってはすごく、トゲトゲ神経に刺さる。

最大のストレスは、夫からわたしへ、労いの気持ちがないことである。