蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

「嫌い」の徹底分析、のつもりが、、、

2019-07-29 | ブログ
嫌いな人のことを書くと、不思議とわたしは盛り上がる。
好きな人のことを書いても、さほどイキイキ感は自覚できない。
なんでだろう?

それは、好きな人、ことは、リア充となり、満足しきっているため、今更文字にして発散する必要性を感じない。
自慢たらたら日記や、これ見よがし感が臭うインスタグラムの人は、おそらく、「もっと褒めて〜」という欲求が十分満たされてないのだと思う。

嫌いな人に向かっては、わたしは問題解決に向けて動かず、くさいモノに蓋をしているだけなので、溜まってくると中で発酵したり、化学変化を起こし新たなガスが吹き出したりして、上に乗せている蓋を押し上げる。
時には蓋を外すほどのパワーまで肥大化することがある。
爆発する。

マイナスエネルギーは、プラスエネルギーよりパワフルだと感じる。
行動、アクションを起こさせるのは、マイナスエネルギーからだと思う。
「必要は発明の母」と言われるのも、ちょっとそれに似たイメージがある。

マイナスを取り除かないと、美しいキレイなプラスは、上には育たない。
腐ったものの上には、良いものは育たない。
砂上の楼閣は、長持ちしない。

深刻な犯罪を犯す人の背景には、氷山の一角のような黒いマイナスがあるが、その下には膨大な動かしようのない闇黒マイナスがある。
塩漬け負債のように、カチンカチンになって溶けない。

犯罪にまで発展しなくても、親子のこころの軋み(きしみ)、歪み(ひずみ)も、深刻である。
育成歴だけでなく、DNAも関わってくる。
同じ血が流れていると個別に分けて切り離すことが出来なくなる。
親も子も、自立は人生の重大ポイントである。

とまあ、アタマに浮かんだことをだらだら書いたが、わたしが嫌いな人のことを書こうとしただけで、これだけ脳が喜んだ。
わたしの中には、イジってほしいマイナス因子、分子が、まだかまだかと取り上げられる順番を待っているのだろう。

一種のセルフカウンセリングかも知れない。
自分がクライアントで、なおかつ同時にセラピスト、カウンセラーだ。
カウンセラー料金も発生しないし、時間はいつでもいいし、場所もどこでも移動しながらでも良い。
「ありがとうございました」と、お礼を述べる側と、「どういたしまして。お役に立てて嬉しいです」と言う側が、同一人物。
まさに、ブログはセルフカウンセリングの有効ツールである。
良かったねー。手軽で便利。

であるが、それはいいから、、、なかなか「嫌いな人」の話に辿りつかない。
わたしが嫌いな人は、わたしとは全く共通点を持たない考え方、感性を持つ人。
真逆な人は面白いと感じるのだが、こころが正常に働いている人の真逆は大いにウエルカムだが、なんらかの怨みを抱えたまま長い時代を生きてきた上で歪んで形成された脳や精神の真逆は、接したくない、触れたくない、近寄りたくない。
見なかったこと、無かったこととして、掘り下げない。
問題として、ピックアップしない。

自分が関わるのは、必ずプラスの人。
嫌いなタイプ、性質は、即わかる。
そういう人はそういうタイプの人々と、分かり合え共有し合うようだ。
だから、お互いに接点を持たないため、分離され、争いは起こらない。
タバコの分煙みたいなものだ。

内容、性質に関して書かない。
書いても、血湧き肉躍らない。
該当すると思われる人をへんに刺激したくない。
そっとしておく。
そんなので、わたしのこころは晴れるのか。
不思議と晴れる。
アタマの中で、もやもやが整理整頓されると、じつにスッキリする。

しかし、たっぷり熟睡したのに、また眠くなってきた。あまり脳は騒いでいないようだ。
脳エネルギー、夏休みかも知れない。