最近、趣味分野(社交ダンス)で、自信がやっと湧いてきかけている。
遅い!
この趣味、スタートしたのが40歳代ギリギリ最後からだったので、かれこれもう15年?ぐらいは経っている。
50歳代でも最初はまだ若い部類だった。
今はわたしは60歳代まんなか。
しかし中堅ではなく、まだ若いほう。
どんだけ平均年齢が高いか。
どんだけ若い新人が現れないか。
高止まりならぬ、老い止まり状態。
いや、どんどん平均年齢は上がる一方だ。
そもそもこの趣味、なぜもっと早く始めなかったのか。
いかにも老人臭くて、取り掛かる気がしなかった。
いずれしよう、いずれ、、、とスタートを先送りにして、ズルズル延ばしていた。
カルチャーセンターや、教室のレッスンでは、わたしは一番若かった。
お局様(15歳ぐらい?歳上?)に意地悪されたような不快な雰囲気を感じたが、若くて上達が早い、後から来た人に対する僻みだろうと、あくまでも、いたってわたしは楽観的。
で、自分が一番若いまま、お稽古事としては最後の世代となったような気配だ。
これは、いつまでも最若手でいられると喜んでいる場合ではなく、廃れていっているという現実。
良い面ばかりを捉えて気を良くしていてはいけない。
けれど、、、。
最後の世代ということにしておこう。
この分野、未来永劫に続かなくてもいいと思っている。
流行り廃りはあって当然。
自分の下の世代、自分の後には誰もいないなんて、なんだか最終ランナーみたいで、悪くない。
未来に望みは繋がなくてもいい。
若手育成とか、しなくていい。
後終い係。
なぜ、そんなに冷たいのか。
若い時に始めた人か、あるいはお金がたっぷりある人を優遇してきた、閉鎖的で一部の特権階級しか踊れないカースト制度のような仕組みは、改善しなくてよい。
黄金のリタイア趣味生活を夢見る新参世代をあっさり切り捨てる、厳しく冷徹な世界。
良くないものは、無くなる運命。
閉鎖特権がまかり通って、そうしてきた前の人々に責任があり、歴然とした結果がある。
最後の人として、終わりを見届けよう。
特権を享受できなかったわたしは恨みがましい、数々の苦い経験を積んできたため、黒歴史を塗り潰すかのごとく、わたしが踊れなくなる日と同時に葬り去りたい思いもある。
負の遺産は消えるほうが後世のため。
キレイに改善して若い人に受け継いでもらおうという気はない。
ゴミ処理や後片付けをして最後に戸締りして家を出る人の気分かな、と。
ヒネクレ恨み節になってしまった、、、。
熱い想いばかりあるのに思い通りにならないと、こんな風になる、、、。