蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

お笑い少女

2021-01-14 | 思い出
わたしは小学中学時代は、お笑い系女子だった。
お笑いが好き、というのもさることながら、ただ観る側だけではなく、演じる側でもあった。
小学校の学期末にクラスで行われるお楽しみ会では、モノマネをやっていた。
身近な人物の形態模写。
あれは、マネされる方は傷ついたかも知れない。
当時は全くそんなところに気が回らなかった。
傷ついたかも知れないと推測する根拠としては、わたしがターゲットにした彼はいまだかつて、一度も同窓会に姿を現したことがない。
限りなく音信不通の最たる人物。
わたしのせい、、、?ではないと思うが、、、。

モノマネはふとしたことでクラスでやったらウケて、リクエストに応じて再演(大げさ)した流れになる。
中学になると、モノマネ対象は、同級生だけではなく国語の先生などにも及んだ。

だいたいのクラスメートは、わたしのことを「面白い人」と言っていた。
何か話すと、よくゲラゲラ笑われたりした。
それはそれで悪くないのだが、高校に入ってお笑いは封印した。
なぜか?

恥ずかしいからだ。
乙女の恥じらいが、遅くにやって来た。

急に恥ずかしくなった。
今まで海外を飛び回っていた人が、急に飛行機が怖くなるかのように。
笑われる自分が嫌になった。

で、おとなしくなった。
無口。
何も喋らない。
周りの生徒のカラーとも合わなかったせいもある。
それまでは、独特の鼻に付く雰囲気の出身中学校が好きだった。
先輩、後輩も個性派揃い、魅力的でユニークな人が多くいた。
だが、高校は、皆さん、とても真面目でおとなしく、品行方正な生徒が多かった。
地元の公立高校だったせいもあり、特徴としては地に足ついた質実剛健風かも知れない。
叔母も同高校出身で、同じ社会科の先生に教えてもらっていた。

わたしは、合わないのだ。
普通の真面目な生徒、校風、、、。
面白みを感じなかった。
それなりに進学校でもあったが。
型破りやトンがったものがなかった。
きれいな河原の石のよう。

トンがった生徒は、越境して他校に行ったり、私学に行って、抜けてしまった。
数年下の学年には、現在、経済産業界では知らない人はいないだろうと思われる有名な人もいたようだが。
3学年以上、下のため、在籍中には顔を見たこともなかった。

中には大器晩成型の生徒がいた。
中学では異端児、高校では埋没、、、であったが、勉学に励み、国内外で経験を積み、眼を見張る躍進を遂げていた。
彼はわたしとは、親や親戚の仕事の関係で、ある地元食品ブランドで繋がりがあり、その話で盛り上がる。
彼は、もう一人、沖縄に嫁いだ女子とも、別の地元食品ブランドの話で盛り上がる。
我々は地元食品ブランド仲間である。
彼は流通側、沖縄女子とわたしは、生産メーカー側といったところか。
と、わかりにくい書き方をした。
(すみません。ワザとです)

彼は社会人になってからは、わたしが思い描く理想的な活躍をしていた。
立派だ。
が、中学の時は受け入れられていたかどうかというと、、、
半々か。
高校ではどうだったか?
わたしは、あまり覚えていないのだ、、、。
進学大学からみると、ちゃんと勉強していたようだが。
(なんでこんなに上から目線なのだろう、、、わたし)

て、お笑い系から無口系に転じたわたしではあるが、高校時代は完全に自分を塗り潰したようなかんじか。
黒歴史というほどでもないが。
お笑いやっていた自分が、なんだか懐かしくもあり、そんな過去はなかったような気もする。
今は単なるおばあさん。
まあ、いいんじゃない?と思ったりしている。

オチが無い話になってしまった、、、。
いつまでも、だらだら終わらない。