写真は過去のストックから適当にチョイス。
(宣伝広告パブ記事ではありません)
ここ数日、写真を撮る機会に恵まれていない。
今日や昨日は、食べ物の写真なら撮った。
結構、毎日のように食べたモノの写真を日記がわりに撮っている。
忘備録写真。
で、関係ない写真をブログのイメージ写真として使っているわけだが、そういうのは、ちょっと今のわたしの気分的にはイマイチである。
まあいい。
ちなみに、、、
自分のブログはいいなあ。
のびのび。
広々した部屋に寝転んでいるかんじ。
大自然の中、青空を見上げるところまではいかないが。
お風呂も、宿屋に泊まるとステキな浴室が付いている。
自分で作ったり管理したり運営したりしなくても、自分の好きな時に利用できる。
(まだまだ続きそうなコロナ時代には制約はあるものの)
と、無理やり写真と関連付ける。
さて、インナーマッスル・トレーニングもそろそろ終盤を迎える。
体重は1キロぐらいは落ちたかんじ。
下腹の脂肪は些か減少し、ウエストは少し絞れたようだ。
ウエストにクビレが出来たのは実は生まれて初めて。
若い頃は、寸胴幼児体型だった。
しかし還暦過ぎてから、クビレが出来ても遅すぎるのでは?
ガリガリおばあさんと、タプタプおばあさん、どちらがマシ?
どっちもなあ、、、、、
しかし、ウエストクビレおばあさんも、あんまり変わらないように思うが、骨盤周辺や肋骨など、骨は浮き出てはいない。
まだ少し、ミ(肉)は付いている。
ミイラの肉にしては、干し肉風ではなく柔らかい。
余計なミも当然付いている。
脇の下から背中にかけての、はみ出し肉。
どんな高級補正下着を着けても必ずはみ出して、どこかから顔をのぞかせる。
物理的に肉はなくならないから、当たり前と言えば当たり前。
その一方で、パタパタと振れる振袖のような二の腕は、皮ばかりで、付くべきミは付いていない。
で、対策。
身体の対策は、無理せずに出来ることだけはして、あとは自然の流れにある程度任せる。
こころの対策は、老化の何が悪い?と逆ギレする。
あるいは、穏やかに受け入れる。
美魔女は否定はしないが、別に目標にはしない。
身体はこころが入っている容れ物、容器。
若い頃は見た目ばかりを気にしたが、それは中身に何の問題も感じなかったからだろう。
いたって健康だったので。
頭脳や身体能力は個人差があると理解、納得していたため、あまり落ち込まずに自分を受け入れていた。
人と比べても意味がない。
強いて言えば、自分の特性を活かす方向に自分の道を持って行こうと考えた。
苦手方面は、パス。
苦手とすることは最低限度クリアする程度の努力に留める。
クリアしなくても、マイナス分の落ち込みを長所、プラスから持ってきて穴埋めしていた。
おそらく、あまりこだわりがないのだろう。
だいたい、大まかでよい。
しかし、、、
老化は、厄介だ。
全員、歳を取る。時間は公平だ。
身体能力は40歳でも80歳は80歳。
だが、病気知らずでも年齢にかかわらず病気になる。
たぶん、老化だけでなく、わたしは病気に対しても健康であるがゆえの、驕りがあったと思う。
若気の至り。
今は、年寄りの冷や水か?
老婆心か?
よけいなことまで心配してしまう。
自分の健康に自信がなくなったからだろう。
自分の健康過信には、根拠がなかったことに気がついた。
健康を維持する臓器や器官に加え、頭脳も身体の一部に含まれると解釈するようになった。
頭脳が衰え認知症になるのは自然な老化の流れだと思う。
認知症予防にあれこれ提唱されていたり、人工的に予防したりする薬もあることだろう。
身体機能と頭脳機能の足並みが揃っているのが理想だが、なかなかそう上手くはいかない。
どちらか一方が先に衰えることが多い。
どっちみち行く道なんだけれど。
自分ではコントロールできないから、なるようにしかならない。
骨皮スジ子ではなく、今はまだミが残っているので、その間に楽しもう!!
孫の成長を見守るのも、最大級の楽しみの一つである。
が、最大級の楽しみは他にもある。
一つに絞るとリスクヘッジできない。
あれがダメならこれもある、ぐらいの分散も必要かなあと。
電車の行き帰り、待ち時間、事務所、自宅、、、と、場所、時間をまたぎ、だらだら書いていたら、まとめられなくなった。
長いだけの蝶ブログ。
いつもこうだ。