蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ノイズ過敏症

2022-01-18 | 無題
閲覧数の神様は、すごい勢いで姿を消した。
記事を更新していない日にもかかわらず、いきなり3倍の閲覧数になり、翌日もどうにか持ち越し、2日後には3倍から2倍にダウンし、さらに1日経つと、いつもの低飛行に戻った。
次、楽しみ?なのは、さらに通常の半分ぐらいまで落ち込むかどうか。
閲覧数の神様は、美女に姿を変えたり、逃げ足の早い泥棒に変装したり、、、
まったくもう、わたしをおちょくり、からかっている。
わたしは、騙されないぞ!
今度はどんな姿に変装して、わたしのブログ編集画面、閲覧数に現れても、平気だ。
だが、やはり一度惚れた悪人のごとく、なかなか平然と冷静を保てないのが、惚れた弱み。
いったい、閲覧数は誰が操っているのだろう?
(ちなみに閲覧数は、PVページビューではなく、UU訪問者数)
ロボットが検索したがるような用語、ワードが仮に多く含まれていたとしても、新しく更新してないのに、、、不思議。

まあそれはそうと。
閲覧数の神様はいないものとして、頭から追い払って、今日も楽しくスマホに向かおう。
電車内では降りる駅を見過ごしそうになるのが難点だが。
地下鉄内、ボソボソ、ささやきウィスパーに近い話し声。
気になる。そういうの、めちゃくちゃ気になる。
悪い意味で。
ちょっとしたノイズが不快なのだ。
それならまだ普通の声で喋られるほうがマシ。
わたしが音に対して神経質なんだろう。
父もそうだった。
入れ歯がカチャカチャいう音が大嫌いで、憎悪の標的にされる伯母(母の姉)が気の毒だった。
わたしは、食べる時に、ぺちゃぺちゃいう音が大嫌いで、背筋が凍る。
夫はそれ。
夫の姉が、「○○ちゃん(夫)は、食べる時、音たてるよね」と若い頃、言っていた。
だが、一回、言ったきり。
一緒に食事する回数はわたしなんかより数段少ないし、わたしのような「ぺちゃぺちゃ音過敏症」ではなく、あまり気にならない性質かも知れない。
しかし、これには随分泣かされた。
一生のうち、毎回何度も訪れる、楽しいはずの食事タイムが、チクチク神経に刺さり、ストレスの山。
楽しみを共有、シェアどころか、一生自分のノイズ過敏なせいで、全て闇黒に。
一生続くのかと思うと逃げ場はなく、絶望的な気持ちになった。

耳を塞いだり、耳栓をしたり、色々試してみた。
が、効果はなかった。
唯一、効果があったのは、、、
一番上孫がぺちゃぺちゃ音をたてて食べる度に、母親や叔母(わたしの長女や次女)に厳しく躾けられていた。
「お行儀が悪い。口を閉めて噛みなさい」と。
その躾を真横で何年も聞いていた夫は、少しはマシになったような気がする。
ぺちゃぺちゃ音をたてたら、「口を閉めて噛む!」と、わたしは、聞こえるか聞こえない声で、つぶやいている。
しかし、35年間ぐらいは、わたしが最も苦手な音を辛抱していた。
まだ今もちょいちょい聞こえるが、以前のことを思ったら、ずっと小さな音になっている。

まだ他にもノイズがわたしを悩ませる。
蝶ブログに何年にもわたり、何十回?と愚痴り続けている、大音量のTV。
ごく最近では、飛び上がるほど音量ボリュームがアップされた、玄関チャイム。
何ごとかと思うほどの、MAX音量。
仕方ないと言えば仕方ないのだが、あまりにも大きな音。
わたしの周りでは補聴器を付けている人がぼちぼち出始めたが、補聴器は絶対に装着しないようだ。
(ちなみに、あれほど、相手の声が小さくて聞こえない!と文句を言っていた姉が、耳鼻科検査の結果、耳が悪いことがわかった。
それ以来、「聞こえない!!」と、相手に食ってかかることはなくなった。
補聴器も作ったようだ)

夫は、「耳が悪い」と自分では言っている。開き直っている。
周りが、自分の悪い耳に合わせるべきだと思っているようだ。
わたしもいずれ耳が悪くなると、夫の気持ちがわかるようになるのだろうか。
父は、わたしたちが実家に行くと、それまで父が観ていたのTVボリュームを下げていた。
父の自覚と配慮だろう。
姑は、晩年、聞こえないため補聴器を作ったが、耳だけに問題があるようでいて、実は聞こうとしない、脳にも問題があると思われる。
認知症の一種かも知れない。

自分の聞きたくない内容は聞こえない。
「勝手○○○」と呼ばれるものだ。
これにも、わたしは結構悩まされた。
ものすごい強烈なストレスを感じた。
認知症の一環だと理解していれば、ムキになることもなかっただろうけれど。
やはり、認知症の一環でも、例えば凶暴になり暴力を振われたら痛いものは痛い。
病気だからと、わかっていても、叩かれる側は痛い。
理解していれば、精神的痛さは軽減されても、肉体的には痛いものは痛い。
病気がなせるワザで本人には罪がないにしても、周りにとっては深刻な問題である。
解決の糸口は、、、止むのをじっと待つだけなのか??

「ぺちゃぺちゃ」から、深刻な問題へと進んでしまった。
例え家族であっても、自分以外の人と暮らすには最低限のルールや気遣いが必要だと感じる。
最近、次女が帰省すると、わたし自身が自分の家の家事の不行き届きや不備に、あれこれ気を使い、疲れる。
我々夫婦は、年を取ってきてルーズになっていると思われる。
こんな時は「ぺちゃぺちゃ」夫であっても、老人チームの貴重な戦力。
若い人々に対抗するには味方が必要だ。
昨日の敵は、今日の助っ人。

あなたたちも年取ったらわかる、、、
年齢によって、若い時のようにはいかないことはたくさんある。
若い人には、わからない、、、
自分がそうだったように。

だが、責めてはいけない。
自分の来た道。

・・・・・

外出の行き(駅、乗り換え前、乗り換え後)、帰路、帰宅してから、、、と3回に分断されて記事を書いていると、どうも繋がりが悪い。
さて、どうまとめるか?

閲覧数の神様は、シラケながら見守っているのだろうか。
見守っていないと思う。
だって閲覧数の神様なんかいないのだから。