さてと。
年末年始はなかなか楽しく面白く疲れた。
ブログネタがいっぱい、随時次から次へとあふれてくる思いだったが、アタマの中でブログ入力していた。
なので、実際には何も作業はしていない。
未公開記事をたくさんアタマの中に貯めただけ。
まだ文章にはしていないが、文章化する前に自然消滅するか忘れ去っていることだろう。
中でも、わたしのこころに残るエピソードがある。
次女Rが初めて子連れで訪れた、Rの夫の実家。
大晦日の雪深い街。
生後5ヶ月の孫、初飛行機は、大丈夫だったかなと心配していたところ、
最初に送信されてきたのが、ベビー孫をソリに乗せて雪の中を引っ張っている写真。
なんと!まあ寒そうな。
大雪はその地では、ごく普通の光景のようだが、夏生まれ寒がりのわたしは、のけぞった。
息子といい、娘婿といい、寒い地方に縁があるようだ。
次女Rの夫の(母方の)祖母。
次女Rの夫の両親と同居しておられる。
そのおばあちゃんが、孫(次女Rの夫)の小さい頃の話をしてくれたそうだ。
孫は小さい頃、父親の転勤が多くて転校した学校で、ちょっとしたイジメにあっていた。
それをおばあちゃんが校長先生に、どうにかしてくれと直談判した武勇伝を熱く語る、、、
のだが、周り(おばあちゃんの娘、娘婿)の反応がどうも冷たい。
次女Rが不思議に思っていると、お姑さん(と言っても、シャンとした、わたしより若いモダンな方。おばあちゃんの娘)が、説明してくれたそうだ。
「おばあちゃんは、話を盛るのよ。
年末年始はなかなか楽しく面白く疲れた。
ブログネタがいっぱい、随時次から次へとあふれてくる思いだったが、アタマの中でブログ入力していた。
なので、実際には何も作業はしていない。
未公開記事をたくさんアタマの中に貯めただけ。
まだ文章にはしていないが、文章化する前に自然消滅するか忘れ去っていることだろう。
中でも、わたしのこころに残るエピソードがある。
次女Rが初めて子連れで訪れた、Rの夫の実家。
大晦日の雪深い街。
生後5ヶ月の孫、初飛行機は、大丈夫だったかなと心配していたところ、
最初に送信されてきたのが、ベビー孫をソリに乗せて雪の中を引っ張っている写真。
なんと!まあ寒そうな。
大雪はその地では、ごく普通の光景のようだが、夏生まれ寒がりのわたしは、のけぞった。
息子といい、娘婿といい、寒い地方に縁があるようだ。
次女Rの夫の(母方の)祖母。
次女Rの夫の両親と同居しておられる。
そのおばあちゃんが、孫(次女Rの夫)の小さい頃の話をしてくれたそうだ。
孫は小さい頃、父親の転勤が多くて転校した学校で、ちょっとしたイジメにあっていた。
それをおばあちゃんが校長先生に、どうにかしてくれと直談判した武勇伝を熱く語る、、、
のだが、周り(おばあちゃんの娘、娘婿)の反応がどうも冷たい。
次女Rが不思議に思っていると、お姑さん(と言っても、シャンとした、わたしより若いモダンな方。おばあちゃんの娘)が、説明してくれたそうだ。
「おばあちゃんは、話を盛るのよ。
途中までは事実なんだけど、それからは創作。
学校になんか全然乗り込んでないの。行ったこともない。
真面目に聞いていたら、ダメよ」
次女Rは、それで皆んなの反応が冷たいわけがわかったという。
うーむ、これは近い将来、近未来、わたしにもありがちだ。あり得る。
話を盛る、、、。
演出に凝るあまり、創作を真実だと思い込む。
絶対にありそうだ。
しかも、近未来といっても遠くない数年後のほんの先。
今でもブログを書いていると演出に力を入れすぎるあまり、「※これは誇張表現です」と但し書き、説明書きを入れることがある。
この説明を入れず、自分が思い込んで創作を書いたらどうしよう。
今のところは、決して創作は書いていない。
(誤解を招くような表現はあるかも知れないが)
その時はブログ村カテゴリーを「エッセイ」から「小説」に鞍替えしなければならない。
とにかく今はまだ「エッセイ」に留まっている。
話を戻そう。
どこまで戻せばよい?
次女Rが話してくれた、おばあさんの話を聞いて、わたしは人ごとだとはちっとも思えなかった。
お正月に、初めて夫の実家に来る娘婿(次女Rの夫)に、お家探訪として、敷地内外を案内したが、その際の次女Rのわたしに対するお婿さんへの言葉。
次女Rは、それで皆んなの反応が冷たいわけがわかったという。
うーむ、これは近い将来、近未来、わたしにもありがちだ。あり得る。
話を盛る、、、。
演出に凝るあまり、創作を真実だと思い込む。
絶対にありそうだ。
しかも、近未来といっても遠くない数年後のほんの先。
今でもブログを書いていると演出に力を入れすぎるあまり、「※これは誇張表現です」と但し書き、説明書きを入れることがある。
この説明を入れず、自分が思い込んで創作を書いたらどうしよう。
今のところは、決して創作は書いていない。
(誤解を招くような表現はあるかも知れないが)
その時はブログ村カテゴリーを「エッセイ」から「小説」に鞍替えしなければならない。
とにかく今はまだ「エッセイ」に留まっている。
話を戻そう。
どこまで戻せばよい?
次女Rが話してくれた、おばあさんの話を聞いて、わたしは人ごとだとはちっとも思えなかった。
お正月に、初めて夫の実家に来る娘婿(次女Rの夫)に、お家探訪として、敷地内外を案内したが、その際の次女Rのわたしに対するお婿さんへの言葉。
「おかあさんは語り部やから、適当に聞き流していいよ」
わたしは、語り部らしい。
今では夫の実家について古いことを1番知っているのは、わたしだそうな。
やっぱり語り部か。
しかし、盛る可能性もある。
説明すること全て、自慢!かも知れない。
姑に、嫁いで以来ずっと何十年と家自慢され続けてきたので丸暗記している、、、はずだが、覚え間違い、説明し間違いが重なり、もはや盛っていると言われても仕方がないような現状である。
訂正してくれる人が誰もいないため、わたしの説明は(映倫に全て通るかの如く)ノーチェックで記録として通ってしまう。
責任重大だが、今となれば、ほんと、誰も知らない。
姑はわたしに伝えていて良かったと思う。
ただ、わたしがどれぐらい正確に伝えていけるか??だが、かなり怪しい。
歴然とあるものは、過去の物証の品々と、ご先祖様の名前と生年月日と、戒名と死亡年月日。
それは確かな動かぬ歴代の家の皆さんが遺した足跡。
今日の記事は終わりそうもない。
だらだらすごい文字数になってしまっている。
とりあえず、ここでストップする。
おばあさんの盛り話が、引き続き盛られないまま、まとまらずに放置する。
※ちなみに、トップ写真は、ウチではありません。