蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ジェンダー隙間世代

2022-01-19 | 無題
わたしと同世代(若い高齢者)の人は、ジェンダー意識の狭間にある。
リタイア後、家事をする男性もいるが、リタイアして間もなくまた復職する人もいる。
第一線ではなく、職種もシニア向け。
奥さんは働いていて、家事は奥さん任せには出来ない。
が、とりあえず、自分もとりあえず働いている男性。(経済的大黒柱ではない)
年金に影響がない範囲内の収入になるように調整して働く。

で、その男性。家事はしない。
だが、奥さんに全面的に頼るには、自分の家庭の状況的にも、世の中の流れ的にも気が引ける。
が、積極的に家事をするわけでもない。
どうするか?
極力、奥さんの手を煩わせないように気を使う。
食事も自分都合の時間帯を押し付けない。
が、度々の外食は(半分年金生活の)懐にこたえる。
消極的な協力体制シフトとなる。
皆さん、それぞれ軋轢が生じないよう頑張る。

ちなみに、、、
わたし世代でも家事をふつうに折半している夫婦もいる。
家事ゼロ(夫)対100(妻)の家庭もある。
ATMと呼ばれても仕方ない背景があったりする。
家政婦さんや執事がいて、家事ゼロ(夫)対ゼロ(妻)はあり得るかも知れないが、家事100(夫)対100(妻)は、あり得ない。
と、これは蛇足。

娘世代でも、まだ家事意識が半々になっていない夫婦もある。
(もちろん共働きの場合)
(育児も介護も看護も公的義務もない)心身共に健康な専業主婦で家事も時間も目いっぱい折半を主張する人はいるのだろうか?
いたとしてもわたしには何の縁もゆかりも利害関係もない。
娘夫婦たちは、たまたま2家族共に、食事作り担当は夫。ご苦労様。

夫の姉は専業主婦。
共稼ぎ息子夫婦をサポートして、孫育てに全面的に協力している。
上は社会人、下は高校生になった孫も、未だにおばあちゃんの家で(下の子は)食事。
それで皆さん一家円満、、、か?
一家円満である。今は。

だが、元々、夫婦の役割として夫がすべきことを母親がしてあげてしまっている。
妻は助かる。負担軽減。
「すみません、おばあちゃん」
同居していない、近くの親宅に通わせると楽勝である。
労力も経済的にも。
わたしが問題視しているのは、社会人にもなる大きな子供がいる息子!
自分の母親に任せて、妻は楽勝、自分は負担なし。
スポイルばあちゃんだと思う。
夫婦が喧嘩しながら疲労、疲弊しながらも、子育てや家事を二人、または子供も巻き込んでこなしていくのがわたしの個人的理想だ。
それを近くに住むエネルギーと時間を持て余した(一度も就労経験のない)母親と、相思相愛的互助会を結成。
夫や子供の家事自活、自立の道を阻むことにもなりかねない、母親のスポイル協力。
息子一家はたしかに助かるだろう。
孫たちは喜ぶだろう。
母親は疲れるにしても、当てにされ嬉しいだろう。
でこぼこ道路の石を綺麗に取り去ってあげる母親。
焼き魚の骨を一つ一つ抜き取って食べさせてあげるかのごとく。
この構図は、夫と姑の関係と同じ。
姑と、夫の姉もこんなかんじで、障害物を取り除き、平坦にし、滑らないように、その上にカーペットを敷くかのように。
内情を知る近い親戚からは「一卵性母娘」と呼ばれていた。
まあ仲良しは、毒親よりはずっとよい。
(※この全肯定的、逆転ネタの流れ、オチは、漫才コンビのぺこぱみたい。これ、わたしは好きなのだ)

姑のかわいい娘(わたしの義姉)は、やがてその夫の母親と同居することになるのだが、、、
姑は、自分の娘が親と同居していることを不憫がっていた。
同居は大変であることに違いはない。
義姉は同居の不満を倍返しにして自分の夫にぶちまけ、当たっていた。
偉そうにキツい口調で接していた。
旦那さん、お気の毒。
まあしかたない。
自分の親も嫁もキツイから、自分はあちこちからボコボコにされるサンドバッグにならないと収拾がつかない。
おつかれさまです。

で、義姉が放つ語録集があり、わたしは頭の中に保存されているのだが(そんなもの1日も早く消去したいが)、好きなことをおっしゃっていた。
立場的にわたしは実家の嫁だから、義姉は小姑であり、エライのだ。

自分の母親が自分たちにしてきたように、職場の全てである家庭で精一杯子供に尽くす。
やがて子供独立後は、子供が築く新しい家庭で全面お手伝いし、子供の配偶者のシェア義務を軽減させている。
これは、本人のためになっていない。
過保護親に育てられた子供は、自分も過保護親になるようだ。
虐待親に育てられて、自分も虐待親になるより、ずっとマシだが。(またもや、ぺこぱ)
適正な距離感が欲しい。
そういうわたしも偉そうなことは言えない。
放任主義親に育てられ、放任主義親になった。
一歩間違えると、ネグレクト。
何ごとも、微妙なさじ加減が要。

放任主義親のわたしから見ると、夫や小姑は、子供の今後備わる力を奪っているように見える。
なんでもかんでも親がやってあげると、身につかない。
試練の機会を奪う。
将来の配偶者が困る。
いつ目覚めるのかというと、一生目覚めないだろう。
わたしは、夫は気の毒だと思っている。
わたしは過保護ママみたいに何でもやってあげないから。
小姑の過保護甘やかしのせいで、小姑の息子夫婦は楽できたが、切磋琢磨の機会を失った。
小姑の息子夫婦はもうほぼ子育ては終了しているようなものだから、あとはどこかの分岐点でお世話する側とされる側が親と逆転に転じることだろう。
まだまだ時間はある。

人の家庭ばかり、辛口目線で見ても始まらない。
自分はどうなのよ。
自己擁護する気はないが、わたしは、娘一家を甘やかしているつもりはない。
最低限度のことしかしていない。
しかも要請を受けて出来そうなら受諾する。
ダメそうなら断る。
べったりではない。
ただ、子どもは親だけでなく、祖父母世代とも接することは悪くないと思う。
人は老いるもの。
少し離れた位置から見てではあるが、目の当たりに感じることだろう。
おじいちゃん、おばあちゃんも、父方、母方、いろんな家庭がある。
色々知ると自分の家庭のみが全て絶対ではなく、バリエーション、奥行きが出ると想像する。

長所と短所は表裏一体。
片方、一面だけということは決してない。

こんなに長々書いて、なにしてる?わたし?
実は今日、小学生孫たちの夕食、おばあちゃん食堂営業の前に、さぼっている。
サボりはツライ、、、。