蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

隙間の家

2022-01-29 | 思い出
(※写真と記事は無関係です)

・・・
昔、子供の頃に過ごした家。
実家1(田舎)と実家2(街)の隙間にあるような家。
これもある意味、実家というのかも知れない。
実家1は、大正時代建築の田舎の古い家。
実家2は、父の仕事場。
実家3が、田舎と仕事場を繋ぐ家。
田舎⇄仕事場⇄その家⇄学校

3つの家を行ったり来たりしていた。
わたしのベースを作ったのは田舎の家。
自然に囲まれたのどかな風景。
父が生まれ育った田舎の家で、わたしたちきょうだいも生まれ(途中まで)育った。
1番多感な時を過ごしたのは、隙間の家。
わたしは小学生高学年から22歳まで。
姉は中学1年から23歳まで)
今もハッキリくっきりその空間を手に取るように覚えている。

両親は主に仕事場で仕事をしていて、ほとんどその家には寝に帰るだけ。
子供たちだけだった。
姉、兄、わたし。
姉とわたしは、二階の奥の和室の窓側(東)(床の間と反対側)に背中合わせに勉強机を置いていた。
兄は二階の手前の和室を独り占め。
窓側(北)に勉強机を置いていた。
兄は中学3年から18歳までそこで暮らした。

兄が出て行った前後に、姉が一階の勝手口近くに増築された洋室を、個室として確保。
わたしは、姉がいた時は畳に布団を並べていたが、姉が居なくなった和室に、ベッドを置いて、一人でいた。
兄が居なくなった和室はそのまま使われず、わたしの和室に行く、たんなる通り道となった。
兄がいた和室は6畳ぐらい?
わたしたち姉妹の和室は、8畳ぐらい?で、畳に続いて、腰から上に窓のある板の間(東側)があり、更に人が通れるぐらいの幅数十センチの木製ベランダ?付きの上から下まで窓一面(南側)に面していた。
そして、床の間(西)(続きに違い棚付き)があった。
木製ベランダは、雨戸を閉めるために作られていたと思われる。
周りには陽光を遮る高い建物はなく、明るい。
一階はガラリと格子戸を開けて玄関があり、3歩?ぐらい進んで玄関を上がると、2畳か3畳程の玄関前の畳敷小部屋?(待ち合い?)。
そこを通って、右手側に改装された洋室(田舎の家から搬入されたと見られるピアノと、応接セット、ステレオ。昭和色そのまんま)、左手南側に和室2室続き(道路南側和室前には小さな細長い庭、その前は道路から隔てるための塀)、北側、お風呂とトイレの前に小さな庭、台所、カー・パーキング・スペースがあった。
50坪ぐらいの敷地に建てられた、しっかりした戦前の街の家のようだった。
十分、レトロ感ありありだったが、機能性は良いものの、住み手は忙しく、ほったらかし風だった。
姉は途中から増築洋室に移ったから良いものの、わたしは、畳にベッドという、いかにも時代の継ぎ目の、生活優先、インテリア感覚を無理矢理押し殺したような部屋だった。
特に二階のわたしの部屋は、当時(60年以上??前)流行った、かなり暗い濃い色に、キンキラが散りばめられているような和室仕様の塗り壁で、エグかった。
そのエグい塗り壁の色違いが、夫の実家の別棟に施されていて、わたしはそのテイストが嫌いだった。

が、立地は抜群。
学校の生徒の中では、一二を争うほど学校から近かったのでは。(一二の成績を争うほどなら良いが)
とはいうものの、学校に隣接する、学校の真横に家がある生徒が二人いて、その子たちには近さでは負けたが。
電車通学の生徒が少なくなかったため、学校から駅までの、休憩場所にはぴったり。
駅も、電車やバス、色々。
駅を利用して、東西南北、あらゆる方向から生徒が通学していた。
その中で、駅に向かう道の、ど真ん中にある家だったので、クラスメートのほとんどは来たことがある。
親が不在なこともあり、気軽に皆んな寄ってきた。
ただし、悪の巣にはならなかった。
悪自体が存在しない学校だった。
わざわざ遠路遥々通う生徒、嫌なら通わない。
登校拒否生徒はいたのだろうか?
せっかく勉強して受かった学校だから、辞める生徒はあまりいなかった。
地元では優秀でも、地元を離れると優秀な生徒だらけ、、、という話はよくある。
緊張の糸が切れ虚無感に襲われたり、、、。

わたしは、そんなイバラの道を経ず、くじ引きで合格した。
運がいいのか、悪いのか。
(その後は、くじ引きはなくなったようだ)
うちぐらいだ、遠路でもなんでもない、すぐそこ、至近距離に家があるのは。
学年をまたぐと、数人、近くの子もいた。
ちなみに、学校というものは、近ければ近いほど便利だ。
というわけで、秀才の皆さんの中に混じって、家が近いわたしがいた。

家の構造よりも、学生生活と切り離せないのが、実家3・隙間の家。
実家1も実家2も(2は姿形は変わったものの)今も存在するが、実家3はもうない。
今は、知る人ぞ知る地元老舗店舗の駐車場になっている。

この隙間実家、、、昼と夜の顔がある。
これを書き始めるとまた長い。
まだ今の年齢では書く気がしない。
もっともっと歳を重ねたら書くかも知れないし、書かないかも知れない。