蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

上流階級

2022-01-21 | 無題
いきなりだが、幻視・幻聴・記憶障害が症状として現れるレビー小体型認知症という病気があるそうだ。
わたし、それ?
文章を書きながら、頭の中で、色々空想している。
直にリアルな人間に対して絵空事を話してはいないが、「架空のこと」と前置きして文字にして遊んでいることもある。
小説家は、一歩間違えばその症状とニアミス状態?
実際に見たかのように、聴いたかのように写実的に身振り手振りを交えて表現する落語家は?
迫真の演技の俳優は?

レビー小体型認知症の記事を出かける時間調整のため、ミニコミ誌で、ぱらりと見てドキリとした。
認知症の一種なんかあ、、、
わたしはもう始まっているかも知れない、、、が、小さい頃から天然のため、周りにはあまり気付いてもらえない。
天然キャラが老化と混ざって曖昧もこキャラになっている。

まあそれはそれとして。
おとん、おかん。お父様、お母様。
この差はスゴイ。
おとん、おかんは、ちょっとした流行語になった時期もあったが、呼ばれた両親は眉をしかめるだろう。
おとうさん、おかあさんが、標準語?
神戸方面は、おとうちん、おかあちんというわけではなくて、わたしは、おとうちゃん、おかあちゃんだった。
だが、大人になるにつれ、その呼び名が恥ずかしくなり、かといって、パパママは両親もわたしもガラでもなく、しかたないからパパさん、ママさんと呼んでいた。
とうちゃん、かあちゃん、おとう、おかあ、おっとー、おっかー、とーちん、かーちん、とーたん、かーたん(幼児語)、おとっつぁん、おっかさん(時代劇風)、、、などなど各家庭で色々あるだろう。
歳を取ると、おやじ、おふくろ、なんていうのもある。

ちなみに、わたしはお父様、お母様は、ドラマや映画の中でしか聞いたことがなく、衝撃を受けた。
ものすごい上品で、おハイソな雰囲気に圧倒される。(皮肉ではありません)
少し長めの膝上丈の半ズボン(制服)をはき、制帽をかぶった、賢そうなおぼっちゃまを連想した。(からかっているのではありません)
わたしの周りの鼻垂れ小僧たちの親には、そのような重厚?荘厳な呼び名の人は一人もいなかった。
外ではオーソドックスな呼び方だが、家ではそう呼んでいたかも?という雰囲気の子もいなかったように思う。
うーむ、、、わたしの育成環境が、おハイソから程遠いと考えられる。
教育熱心家庭ではあったのだが、おハイソではなかったのだろう。
いわゆる中流。
階層を分断する厚い壁があったのかも知れない。
うーむ、、、おハイソってなんだろう?
(ちなみに、「ハイソ」に「お」をつけたがるわたしは、どういう趣味なんだろう?)

わたしの父は、兄が子供の頃、近所の悪ガキたちと遊ぶのを嫌がっていた。
一種の隔離政策。
学校も就学前から別。
でも、うちの前の家や、左斜め前の家に悪ガキの家があった。
そして、右斜め前の家には、わたしたち近所の子供は一歩も家の中に入れてもらえなかった。
高くそびえる本家の厚い壁、、、。
今思えば、祖母がその家が嫌いで、たんに、仲が悪かっただけかも知れない。
祖母は、毎日、橋を渡ったすぐ近くの実家に通っていた。
まあなんと近くから嫁に来ていること。
そういうのが多い、ワンマイル徒歩圏内ワールド。

見聞を広め、大きな視野を持て、といっても箱庭みたいな狭いコミュニティで婚姻。
外からの情報も入らず、ずーっと何も大きなことは起こらず平穏無事な日々を重ねてきた。
それがわたしの実家。
わたしの結婚は、その箱庭から、次の箱庭に移動しただけだった。
平穏無事な何事も起こらないことは幸せだと感じる様になったのは、わりと最近。
歳を重ねて、後ろを振り向き、残された行く道、前を見ての感想。
波瀾万丈が良いとは、わたしは個人的には思わない。
退屈と感じるか、幸せと感じるか。
わたしは退屈だと思わないし、幸せだと思う。
ひとそれぞれの価値観、感性によるのか、はたまたその人が歩んできた道によるのか。
たまたま運が良かった。

実家の田舎ぶりを延々と書いた。
ついでに嫁ぎ先も。
やはりわたしは、時代遅れの人間だとつくづく思う。
わたしは、パパママと呼ばなかった田舎もんであるが、卑屈でもなく、力むでもなく、自慢するのでもなく、いたって自然体でいられることを有り難く思う。
だが、嫁ぎ先については、微妙だ。
自分らしさを追求できる居場所かどうか、まだ答えは、はっきり掴んでいない。