親の敷いたレールを歩かされ、潰れた人がいる。
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かわいそう。
だけど、それも運命。
夭折するケースもあり得るなかで、70年以上、、、長く生きている。
しかし、潰れたと見なすか、見なさないか、それは取りよう。
例えば、、、黄金の人生の人もいるが、病気の人もいる。
黄金は運だけではないと思うが、運も大きい。
病気は不運。
だとすると、運、不運に振り回されるのか。
逆に病気になって気付かされることもある。
どの面をどこから見るか。
取りようだ。
わたしはイジメられっ子だった。
おとなしくて可愛かったからだろうね、なんてちょろっと舌を出すのは、まあ痛いこと。
なんでもいいのだ。
自分を守るのは自分なので。
どこか陰があった。
子供の時から世の中を斜めから見ていた。
皆んな、何をわーわー喚いているんだろうと。
冷めた子供だった。
わたしの基準は、(文字通り)死ぬか生きるか、だった。
なので、生命維持の危機でもなければ、そんなに大騒ぎしなくてもいいのに、と思っていた。
なので「大変だ!!」の基準が周りとズレていた。
普通の一般的な表現をすると、「おっとり」していた。
真実は一つ。
が、諸説あるのは、見る方向が違うから。
どの方向から見ても同じとは限らない。
多面性がある。
多面性こそ、真実である。
どう捉えるかは、個人による。
信じた道、その一本、真実一路の人と一緒に行動すると疲れる。石頭カチンコチン。
なので、少し余裕、隙間を設ける。
アソビの誤差。
調整出来る自由な部分を持つ。
洗脳されやすい人の脳構造はどうなっているのか?
不思議だ。
自分のアタマで、自分で考える習慣がないのだろう。
または、考えてもまとまらない、わからないので、とりあえず丸投げ。
あるいは、考え過ぎて磨耗して壊れた?
そんなかんじか。
分野によって使い分けることもある。
これは石頭コース、あれはお任せコース。
複合ミックス型。
1人の人間の中でも調整し、複数の人間の集まりでも調整する。
そうやって集まったコミュニティの形成。
緩やかなコミュニティもあれば、強固なコミュニティもある。
お互い、個人が目的を持って集まり、役割分担する。
が、役割を持たない人、コトもある。
緩やかで自由で束縛がない分、絆は弱い。
ローリスク、ローリターン。
滅私奉公で頑張り、ハイリスク、ハイリターンを求めるのは生身の人間だからこそ。
が、自分と同じ温度を人にも強制されたり求めたりされると、暑苦しい。
何もしたくない人は、他者に期待出来ない。
が、災害時などは助け合う。
日頃の気持ちや行いの積み重ねは、大事。
ちなみに、
SNSの影響、効果は、良い面も悪い面もある。
何ごとも両面ある。
社会経験の少ない未成年者や若者、高齢者には、落とし穴や罠が見抜けない。
しかし、、、
世の中には驚くほど無知な人がいる。
ではあるが、社会のことがわかっていて、社会で生活できていれば、少々無知でも構わない。
無知と無教養は、少し違う。
無教養でも生きていける。
無知は、自分を危険な目に陥れる場合がある。
よく言われていることだが、周りに信頼できる大人がいるかどうか。
1番身近なのは親だ。
子は親を選ぶことは出来ないから、著しくハズレだった場合は、いち早く自立するしかない。
かえってそれがプラスに作用することもあるから、結果的には何が良いのかよくわからない。
わたしの精神は70%ぐらいは親の影響で成り立つ。(アンチも含め)
時代の色も追加される。
自分で加工したものはあるのか?
姑や姻戚関係の人々を見て学んだことも多い。
ぶ厚い頑丈な鉄筋コンクリートのBOXの中で、小さな天窓から明かりを取り入れて生きてきた(とたぶん思う)。
ブルース・リーの言葉がNHKテレビ番組で紹介されていた。
Be water.
友よ、水になれ。
(水は、どんな形にもなるが、強いパワーを持つ)
短いこの言葉。
響いた。