蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

評価されない無形の楽しみ

2023-02-16 | 趣味
科学と哲学では理解出来ないことが、たくさんある。
それには変な新興宗教だったり、うさんくさいものが疑問解決へと導こうとする。

うさんくさくないものもある。
芸術。
芸術を理解する側と、自分が体現する側がある。
両方というのもある。
プロ野球の大ファンで応援団長をやっていたり、なおかつ、地元で仲間と草野球もするパターン。
コンサートを聴きに行き、それとは別に自分も家で演奏することもある。

で、わたし。
芸術脳が未発達。
科学脳も未発達。
唯一、発達しているのは哲学脳。
デキナイ自分を肯定し、応援するために哲学脳を駆使する。

小学校の頃から、成長期に、4教科(中学からは5教科)にだけ価値を置く教育を受けた。
その弊害が尾を引いている。
副教科はお遊び、息抜き、と。
入試の合否評価対象にならないからだ。
(芸術や体育コースには進まなかった)

だが、わたしは幼い頃からピアノ、習字、短期間ではバレエ、算盤を習っていた。
大人になってからも華道、その他諸々を習った。
全てものにならず、素通り。
素養がないのか、やる気がないのか、両方か。
大人になってから習ったものは特に、人には言えない。
逆効果なぐらい成果がない。
たんなる暇つぶしだったのだろう。
次のライフステージへ移るまでの待ち時間。

子供の頃のお稽古は親に勧められて。
拒否する選択肢があることを当時、知らなかった。
成果があったかと言うと、どれも現在、ひどい。
習ってない人より、ひどい。
時間と労力とお金の無駄遣いか。
素直に習いに行って、親はとりあえず満足していただろう。
しかし、見事に習得していない。
(ほんの少し、知っている程度)

滋養になっていない。 
が、ここで哲学脳は、「人生で無駄なことなど一つもない」と、無表情で無機質風に答える。

目に見えて残っているものは、全く活用されていない、形だけの免許皆伝。
その他、捨てずに残っている物、物、物、ガラクタの山。
あとは、子供、孫。

無形、有形、いろいろある。 
子供、孫は、有形になるのだろうか。
物体、物質として存在するから有形なんだろう。

かつて、脳を素通りして消えていった無形のもの。
今、その中の一つに取り組んでいて、厄介で難儀で理解不可能で、苦悩の涙を流している。
だが、老後の暇つぶしには、もってこいだと内心喜んでいる。
素養がないだけに、挫折も味わったことがない分野で怖いもの知らずの未知数。
敵は自分だけ。

老後は、評価点数に関係ないものに取り組むのが最適だと感じる。
評価はもう結構。
苦い涙で、卒業した。