蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ハシゴを外された?

2023-02-27 | わたし
延々と書いた前回記事。
要約すると、実家への交通アクセスが不便なので仏壇を実家①(田舎)から実家②(街)に移した。
半世紀前より、(直近では7年ぐらい前?)さらに①へのアクセスが不便になって、逆ギレしている。
利益バランスを考慮するバス会社としては、致し方ないが、数少ない利用者としては憤慨している。

というかんじか。
日本の僻地で廃線になる路線の利用者が「廃線にしないで欲しい」と訴えているが、それも生活者としてはわかるが、それは利用者のエゴ。
電鉄会社も健全に経営していく使命もあり、税金もごくごく限られた人に使うわけにはいかない。
そういう地域に住んでいる状況を選んでいる限り、受け入れるのはやむを得ない。
生死にかかわる問題でもない限り。

影響力のほとんどない自分の閉ざされたブログで、わたしはちょっと愚痴ったまで。
インフルエンサーではないから、得るものも失うものもないので、快適なブログ環境。
この、閉鎖感が気に入っている。
自慢も愚痴も悪口も言いたい放題、吐きたい放題。
ただし、自分の性格の特徴や、自分へのこだわりもあり、ヘイトスピーチ的なことは嫌悪する。

誰に思いを吐くより、ブログに綴るのが一番の安らぎになっている。
特定の人に胸のうちを話したとしても、受け止めきれないだろうし、社交的に受け入れてくれるのは、忖度を思い計ってこころ苦しい。
なので、地面に穴を掘って叫んで、また土を埋めるのが、わたしとしてはこころの平安を保てる。

最近、誰もいないところで、聞こえないことを前提に、声に出して怒りや不快感を表現していることがある。
今は、わざと無人の時に口にしているのだが、そのうち無意識に声に出したりする日が来たら嫌だなあ、、、と不安だ。
時々、街で自販機に向かって独り言を言っている年配の人(特に女性)を見かけたりして、痛いなぁ、自分もああなるのかなぁと思っている。
歳を取るとああなるのは仕方ないのか、、、。

そう言えば(関係ないけど)
わたしの尊敬する上野千鶴子さんが入籍していたそうだ。
あれだけ「おひとり様」シリーズで本を出していて、そりゃないでしょう、と、ファンをがっかりさせたことだろう。
おひとり様のナビゲーターに、後ろをついて行って登ったハシゴを外された思いか。
クロワッサン症候群も然り。
影響を受けた読者の読後の人生まで保証してくれない。
示された道に導かれるのも導かれないのも、自己責任。

そもそも提案者と読者は同じステージにはいないと想像する。
一つ上の恵まれたところから、発信している。
まともに真に受けて盲信、猛進したら痛い目を見る。
退路や方向転換余裕を少し残しておかないと。
臨機応変に道を微調整できるように。
参考にする程度でよいと思う。
提案者と自分は、棲む世界が違うことを前提にしないと、全く同じだと考えると、余裕がなくなる。
信じていた人が路線を変更すると、ぴったり後を着いて来た人は路頭に迷う。

かつて、子育て真っ最中に、そういうことがあった。
子供の教育進路で、声高に掲げていたそれまでの価値観を翻す人がいた。
共に熱心に歩んでいたママ友たちにとっては、青天の霹靂。
今までの盲進的行動は何?
理由はわたしはわかる。(推測)
競争から降りた途端、そのレースそのものの価値を否定する側に転じた。
まあなんと勝気な人だろう、と、とてもわかりやすかった。
子供の教育だけでなく、ご自身の趣味活動にも熱心なあまり前しか見えない性格が垣間見えた。
子供の評価は、勝った負けたではない。
そんな一時点の時にどちらかが上だったとしても、人生は長い。
いちいち他人と比較して一喜一憂していたら自分が摩耗するし、第一、幸せの性質を見直したほうが、幸せに近くなる。
当時は子供も小さかったので、今のような感想は抱くことは出来なかった。
カツカツ目一杯の情熱と力を注ぐのは良いと思うが、周りを振り回すほどの余裕のなさは、若気の至りか。

アスリートなどは負けず嫌いでなければ、勝てないと良い成績は維持出来ない。
人を押しのけるのは大の苦手で、はいどうぞ、どうぞ、といつも1歩も2歩も引いてしまうわたしは、情けなく泣き笑い顔で「負けるが勝ち」と呪文を唱えるしかない。
究極のところ、「誰に」勝つのかと言うと、勝つ相手は目に見える他人にではなく、「自分に」打ち勝つのだと思う。
いろんな人がいる。
何を信じるかは、そのひとの人生。
ただし、宗教2世のような悲劇を起こしてはならない。

ちなみに、上野千鶴子さんが入籍していた人は、山登りが得意の男性らしい。
生活感漂わない、足腰達者な、自然派山男、、、か、、、。
なるほど、彼女の夫にはありえるタイプだ、とひとしきり頷いた。


時代から置き去りの実家エリア

2023-02-27 | 
実家①(田舎)の仏壇を移動した。
姉と姪が実践者で、わたしは見守るだけのナマケモノ。
移動先は実家②(街)。
①と②の距離は10キロ。
バスで30分?
(行政区分では別の市町村)
実家①(田舎)は、ルーツの家。
実家②(街)は、両親の仕事場だった所。

だが、行政から見捨てられた感のある実家①地域は、公共交通手段であるバスが、朝夕のみで著しく不便。
わたしは、子供の頃、①と②の間を通学のため、バスで往復していた。
その頃には30分に1本、バスの便はあった。
今は、なんと1日2本のみ。
どういうこと???
プンプンプンプン。
切り捨てられた思い。置き去り地域。
車が無い人は、歩くか自転車?
あるいはタクシーに乗れと?
片道7000円〜8000円?ぐらいかかるのに?
雨嵐でもないのに?
重い荷物を運ぶわけでもないのに?
病気でもないのに?
そんなに元気なら、健康のため、歩けと?
いえ、遠方から来るので時間がない。

私は自分が住む自宅の最寄り駅(電車)から実家②(街)まで、乗り継ぎがうまくいくと、電車で片道1時間半ぐらいかかる。
さらに最寄り駅から自宅までバスと徒歩。
バスも少ない時間帯もある。
さらにバスが時刻表通りに来ないこともあり、ギリギリの場合は余裕を持って(バス時刻を信用していないので)一本早いバスに乗ったりもする。
すると乗り継ぎ待ち時間は益々増える。

実家②(街)へは自宅から2時間もかかるため、実家②(街)発、実家①(田舎)行きの朝のバスには間に合わない。
真剣に本気で乗ろうとすると朝日も上がらない暗いうちから自宅を出る羽目になる。
まるで冠婚葬祭当日か、非常時。
自由意思でちょっと行くだけに、そこまでして負担を強いられるのであれば、行く気がしない。
無理をしないのがわたしのモットー。

しかたなく、別の電車路線を延々と乗り継ぎ、行きは、降りた駅からはタクシーで実家①(田舎)へ。
帰りは①(田舎)発、②(街)行きの1日2本だけの夕方の貴重なバスに乗る。
一旦②(街)に出ると、電車の便はすこぶる良い。
目と鼻の先の便利な駅なのに、そこへ公共交通手段がないため辿り着けない。
JR、私鉄、特急、急行、快速も止まる主要駅で、とても便利。
実家②(街)は、家から電車のプラットフォームが見える駅から徒歩2分の至便の場所にある。
のではあるが、②(街)と①(田舎)が繋がらない。朝夕、バス2本のみ。
便利なのに、不便。この格差!!

そもそも、わたしが車の免許を取ったのが、この不便さからである。
目の前にある便利な駅に簡単には行けない、背に腹はかえられぬ、不便なもどかしさ。
でも当時はまだ30分に1本、バスはあった。
バス会社はなぜ、こんな仕打ちをするのか??

原因はある。
行政のテコ入れ。
実家①(田舎)近くでは、
大規模住宅地開発が行われ、駅、商業施設、文化施設、ホテルを中心に、学校、高層住宅、一戸建てを配した。
人々の足は、新しい駅に集まるように流れが作られた。

古くからの住民は②(街)に行けない。
新しい駅に行く流れが強く促される。
行こう思えば行けるが、1日2本のみのバス。
しかも行きも帰りも新しい駅を経由、迂回するコース。
新しい駅を作り、そこへ流れを誘導すると、街②自体も廃れてくるかも知れない。
新しい駅は延長された電車の路線に繋がれている。
新しいベッドタウンの創成なのではあるが。
わたしの感想では、期待ほど、そう大きな成功、発展をもたらしていない気がする。
土地神話が崩れバブルが弾け、ニュータウンは予想ほど伸びなかったように思う。

ではあるものの、極端な流れの変化、、、だと嘆くところではあるが、もう半世紀近くの年月が経っている。
さらにもっと前から、山が切り崩されている時から地元の村から開発される様子を眺めていた。
のどかな田園地帯に突如現れる聳え立つマンション群に、未来都市のイメージを抱いた。

わたしが、浦島太郎なのか。
だが、取り残された古来からの地域は江戸時代のまま。
いまだにカチンコチンの古い慣わしや制度でがんじがらめ。
これ、おかしくない?
更に取り残されて塩漬け地域となる。
古い頭の住民が絶滅したら、新しい柔軟性のある未来が描ける、、、と、こっそり期待していたら、、、若い人も古い頭の親の教えを守り継承しそうだ。
いつまで経っても古い地域は世代交代の後も塩漬けか。
若い人も一掃され、全く他人が運営するのであれば、少しは変わるだろうけれど、若い人が一掃されても、更にその次の世代が古いままだと、江戸時代然は続くことだろう。
行政は新規移住者を受け付けない屈強な仕組みを作っている。
閉ざされたエリア。閉鎖的。

「江戸時代村」のようなテーマパークなら良いが、中身が江戸時代そのまんまというのではシャレにならない。

なので、仏壇を移したのに、移した先の実家②(街)とは交通遮断。
またまた不便な目に遭う。
不便な実家①(田舎)に行くのが大変なせいもあり、仏壇も実家②(街)に移したのはよいが、益々実家①には行きにくくなった。
実家②(街)は事務局のような交流拠点となったが、実家①(田舎)は、もはや形骸化した容れ物だけになった。
というか、半世紀前と同じなのだが。
そもそも半世紀前が、江戸時代と同じ。
時間が止まったエリアは、ある意味それはそれで希少価値?
人が去っていく魅力のない限界集落は滅びていく。
本当の意味の「限界集落」ではないが、文化的限界集落。
家屋は朽ち果て、、、ということはなく家々は美しく整えられているが、農業継承者は減少の一途。
街からたった10キロのエリアなのに。
活かすも殺すも次世代次第か?
が、政策の影響は大きい。

かといって、未知の外国の人がズカズカ入って荒らされるのは見るに耐えない。
でも、あれも嫌、これも嫌では、衰退するのを手をこまねいて見ているだけになりそうだ。
明るい日本の未来が来ることを切に願う。

※写真は大阪城公園の梅