蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

おばあちゃんの幸福

2023-05-12 | 老い
おばあさんになった、わたし。
「祖母」には10年前から、なっているが、今、新たに、実質的老女に格上げされた。
格下げではなく、格上げである。

自分の腕をふと見る。
腕だけは細い。
肉が付いていない細い腕。
細かい「和柄」(日本の伝統的な柄)かと思うような、幾何学模様がカサカサ現れている腕の皮膚。
顕微鏡で皮膚を拡大したかのごとく。
ところが、、、倍率1倍。

これは、全然、自虐表現ではない。
事実を事実として書いている。
それに引き換え、
83歳のデビ夫人の美貌!
国会で生のまま、ほうれん草?をムシャムシャ。(CM)
お見それしました。
おそらくもう、何も思い残すことはないと思う。
やりたいことは、やり尽くした感がある。

市川房枝、沢村貞子、、、その路線から時代は、森光子を経て、草笛光子、さらにデビ夫人。
歳を重ねても美しい女性を目標に、憧れに、女性たちは将来を見る。
しかし、女優でもない、文学者でも政治家でもない一般人は、頑張らなくてもいいと思う。
そう思い、アンチ・アンチエイジングをわたしは一人唱えていた。
ところが、、、時代は20年も寿命が伸びて人生100年。
あと20年は、若く活動しなければならない。
それから、寝たり起きたり、健康寿命が揺らぎ始める。
なんと、長いことか。

和柄模様の皮膚に感嘆(マイナスの)している場合ではない。
寝たり起きたりを30年も続けるわけにはいかない。
まだもうひと踏ん張りしなけばならない、そんな歳。
でも、ひと踏ん張り、したくない。
シワシワでよい。だが、まだ、年齢が若い。
困ったものだ。

若い皆さんは、将来、一人につき一人の高齢者をおんぶしなければならない。
重い。気の毒。

かといって、姥捨山は令和の時代なら虐待、犯罪。明治でも昭和でも犯罪だ。
老人鬱なんていうものもある。
歳が行って生産性がないことをマイナスに捉えては、明るく生きていけない。
人間はだれでも生を受けたからには、老いる。
そんなことを嘆いていては、せっかく生きているのに、かえって罰当たりである。

ではあるものの。
今回の旅で思った。
半世紀近くも前に造られた、アメリカのアリゾナ州のサンシティのように、高齢者が集う街があればいいなあ、と。
快適なのは良いが、その一方で異世代間コミュニケーションや刺激がないのがネックらしく認知症などの弊害もあるようだ。
受け身だけではなく、積極的にキャリアを社会に還元できるような仕組みが作られているとか。
なんだか、ちょっとわたしにはピンと来ない。
理想的すぎて、現実味がない。

高齢になるとお金のあるなし、ではなく、好奇心があるなしがポイント、重要らしい。
両方ない人は?
と、憎たらしいことを言ってみても始まらない。
お金がなくても工夫すれば楽しく生きていけるようになっているとも思うが、引きこもりがちな孤独、独居の人には、絵に描いたようようには行かないのが現実かも知れない。

わたしは、政治家ではないし、高齢者向け美容家でもないので、はっきり言って、広く浅く遠く、自分と関係のないことには興味はない。
とは言うものの、自分の幸福の定義を自分で確定すると、幸福になれるそうだ。
だがしかし、実際のところ、そうそう定義出来る人は多くないと思われる。

さっそく、わたしの先ずは一つ目の課題は、、、見た目の老化にどう向き合うか。
中身もしっかり老化している。
自分の目標、対策としては、好奇心を持ち、積極的に活動しないことには、老化をそのまま引き受けることになる。
ではあるが、皮膚へお高い美容クリームを購入する気はゼロ。
皺にヒルアロイン酸注射をする気もなし。
フェイス、リフトアップもしない。
若い人が見ると老婆に映るだろう。
いいの、いいの。
老婆を卑下する自分には決してなりたくない。
誰か他者に認められたい欲求もない。
ただ一人、自分が自分を肯定したい。

さて、肯定するために、何をしようかな、、、と、、、
お天気、快晴、太陽ポカポカの一日を外にも出ず、コーヒーとFMラジオで終わらせようとしている、わたし。

言い訳は用意している。
明日、次女一家(超こだわりグルメ娘婿が頭痛のタネ)が晩御飯を食べに来るので、今日は目一杯サボっている。
サボりまくっている。
ああ、気持ちよいサボりタイムだった。

と、皺をまた増やしているが、良いのだ。
自分の幸せは自分で決める。
毎日が楽しければいいそうだ。
そう著名な宗教家が言っている。
サボる時にはその宗教家の教義?をいただく。
サボらない時は、それはそれでまた良し。
なんでもよい。

わたしにとって、幸福とは、、、限りなく自分を甘やかすこと。
だが、脳みそが溶けるのが弊害。
良いことばかりを望むのは欲どしい。
一つでも良いことがあれば、良い。