蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

わたしの愛の行方

2023-05-16 | 老い
わたしのブログは著しく宙ぶらりん。
等身大の自分を軸に書いている。
が、等身大が、あっちこっち極端な要素を抱えて分裂、分断していて、まんなかの平均値を取ると、わたしではなくなる。

昔、昔、、、
わたしが若い独身の頃、、、
お付き合いしていた相手を見るとよくわかる。
自分に相応しい相手というものを勝手に自分で想定して設定したため、歪みが生じていた。
お付き合いしても、瞬時に壊れる。
つまり、続かないのだ。
お付き合い経験なし、と同じ。
そもそも、お付き合いの定義がおかしかった。変。
お人形のように血が通っていない。人間なのに。
付き合うというのは、共通の何か、接点があり、お互い好意を持ち合い、共鳴し、進んでいくものだと思う。
結婚や恋愛になると、途端にギクシャクする。
その人と結婚する気がない。
逆もある。
わたしがその気満々でも、相手はその気がない。
なので、深い関係にはまるでならない。
電車は信号待ちで止まったまま。
付き合ってその結果、結婚があるのが順序。
なのに結婚を前提とした途端、がらがらと間柄が崩れてしまう。
遊び期間がない。
今、思えば、恋愛コースに限ることなく、広くお友達や仲間でも良かったのに。

人間性そのものを見ようとしなかった。
というより、そういう目が育っていなかった。
未熟にも程がある。
人に責任を転嫁して気持ちを楽にしようとするとすれば、親に洗脳されていた。
洗脳を解いて自分独自の道を歩き始めるのが自立の第一歩なのに、それをしなかったのは自分である。
なので、その方面の情緒が未経験、未踏のまま今日に至る。
もう枯れているから、火をつけても燃えない。
ではあるものの、とても良い調子だ。
嘆くわけでも後悔するわけでもない。
自分が歩んできた道を全面肯定している。
理由は、、、今が良ければそれまでは何でも良い。
懺悔とか、しない。

ただ、老化に対してはアタマの中だけでの想像や予習、予備知識だったので、実践を積み重ねたのではないから、ある日、突然、教室の引き戸をガラっと開けたら、頭から金属製の洗面器が落ちてきたようなかんじ。(昭和のギャグ)
落ちてきたのは、チョークや黒板消しではなく。

心構えがちゃんと出来ていなかった。
若い頃は、若さを享受しながらも、若さを失った先の自分を想像して、あまり若さ故の勘違いで天狗にはならないように自戒していた。
今度は、同じ若さでも、また色合いが違う。
老年へ。
前回は、若者から中年、充実期への以降。
それを超えたこの段階で、いよいよ中性になる。
外見も中身もダウン。老化。
へんに自分の特性である「女性」を意識しても、肉体とはかけ離れたところで「女性」。
女性は灰になるまでオンナだと言われているが。
女性としての肉体が不在なのに、魂だけ女性だなんて、、、。
LGBTQの概念、意識を一から学んでいるような気になっている。
女性でも男性でもない。老人的中性。

さてLGBTQ。
生まれた時の体が女性で、心が男性の人。
またはその逆。
女性の身体、女性の心で好きになるのは同性の女性、あるいは異性の男性、あるいは両方。
元○、現○、好きになる相手は同性または異性または決まっていない。
相手も、元○、現○または、同性または異性または決まっていない。
・・・ややこしい。
何通りのパターンがあることやら。
数式が必要だ。

整理すると、自分に関しては、
生まれた時は体は女性で、見た目も女性であることを好み、自分が好きになる相手は異性(男性)。
その相手は生まれた時の体は男性で、見た目も男性であることを好み、好きになる相手は異性(女性)。
これが基本情報だが、生まれた時の体が女性である事実は不動だが、老年になって体は元女性であっても女性としての機能は衰え中性に近づくのだが、精神的には女性のままであり、好きになるのも異性(男性)。
あまり変化や問題はないように思われるが、一つだけ変化があり、体が元女性で中性になったこと。

異性(男性)が異性(女性)を好きになるとすると、わたしはその相手範疇から、はみ出る。
元男性が女性になった現在女性という人と同じグループに属する?
肉体も、外側だけの形を変えても、臓器までは取り替えられない。
病気で心臓や腎臓移植する人もいるから、子宮を移植して女性になるケースもあるのだろうか?
健康な子宮を取り出して他人から移植されるよりも、健康な子宮を本人の身体に入ったままお借りして子供を生み出すほうが自然な流れ。
肉体的に自分が(例え移植されたものでも)子宮を持たなければ完全に女性になった気がしない、という超こだわり屋さんがいるとしたら、、、最新医学と倫理との擦り合わせをして検討していただきたい。
基本的に病気を治す目的ではない場合は、倫理的な側面から臓器には手を付けないとされている。
健康な人の健康な臓器を、病気の人に移植することはあっても。

とすると、老女になると、臓器は女性特有の臓器が老化しただけで、そのせいでホルモンの影響を受けて女性らしさは失われた中性に近づいていく。

ところで、
体は元女性、現在中性の女性を好きになる相手はどんな人か。
女性で異性が好きな場合、相思相愛になるには相手は男性であるのが望ましい。
元女性の男性でもオッケーか?
いや、わたしの場合、性転換した人とお付き合いする嗜好はまるでない。
相手からオファーがあれば、その時考えるとしても、普通は元・性同一性障害の人同士がペアになるほうが、すんなり行くと考える。

もし、元女性で現在老化女性のわたしを好きだ、素敵だと思ってくれる人がいれば、元女性であっても、バイセクシャルの人であっても、トランスジェンダーの人であっても、何でも良いのだが、、、それ以前にどんな人であっても恋愛感情を抱いたり、肉体関係に移らないと想像する。
男女に限定されない人間愛に移行している。
性別の垣根は超えてしまい、性別そのものが消滅している。
それが老化なのか。
かわいいおばあちゃん、元女性。

わたしが愛を注ぐ相手は、世界中の生きとし生けるもの?
とはいうものの、宗教家ではないので無理だ。
目指そうという気持ちも全くない。
無理して精神を高めたり広げるのではなく、自然派、土に還る派か。
大して豊かな愛をたっぷり持ち合わせているわけではないので、大きく手を広げても愛が自然増しない分、薄まるだけ。
それなら有機野菜を育てるように、自分の滋養を土に還して、地に足ついた余生を送りたい。(わかりにくい説明、自分だけがわかって陶酔系)
自分を濃縮させたエッセンスをぽとり土に垂らす。
液体にならなければ、気化するか、小さく個体にまとめて土に埋める。

出来の悪い偽瀬戸内寂聴みたいなかんじ?
言い過ぎ?
が、決して今東光ではない。
世俗に背を向けるのではなく、身に張り付いた垢は無理やり剥がさず、強制的に除去しようとせず、そっと騙し騙しそのままにしておく。
無病息災ではなく、一病息災。


本日の記事、長すぎました。
自分の人生もそう思うことだろう。