蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

身近な闇

2023-05-31 | 時事&世の中
昨夜見たNHK TV番組、クローズアップ現代。
私の知らない「私の息子」〜急増する闇バイト・転落の真相。

これは深刻だった。
胸の深くを切り裂かれるような気になった。
何不自由なく育てた一人息子。
明るく素直に育っていた、、、ように見えた。
親ともちゃんとコミュニケーションを取り、生活にも困った様子はなかった。
反抗期らしきものはなく、優秀な私立中学にも進学し順風満帆な学生生活を送っていた、、、はずだった。
大学入学後は親元を離れて念願の一人暮らし。
親の仕送りにもあまり手を付けず、バイトをしたりするのだが、ホストにも挑戦。
が、3週間で辞めている。
よほど目的があるなら別だが、興味本意では、見た目と、内情、報酬、得るものを比較すると、やってられない、、、になったのだろうか。
やがてインターネットで闇バイトを知り、消極的な犯罪加害者になり、同時に交通事故に遭い被害者になる。

何よりも逆縁(子供が親より先に亡くなる)は耐え難い苦しみ。
親の心境を察すると気の毒だ、では済まされない。
お父さんは、
「もっともっと小さな失敗を息子にさせるべきだった」と悔いる。
困難と思えることを先に取り除いてしまうような、ある意味、過保護だったのかも、とこれまでを振り返る。

子供は親から自立する過程で、色んなことがある。
夜の街に消えていく女子は転落がわかりやすい。
まだ未熟な社会を知らない男子の場合、転落の機会や場が見えにくい。
正に闇。
あらゆる可能性に挑戦し、知っていることが実際にそうなのか、実験して答え合わせをしたくなる。
方程式通りの答えが出るのか、身を持って確認したくなる。
純粋無垢に育って、いざ、親の目がない一人暮らしが手に入ると、タガが外れ弾けるのだろう。

と、ここで蛇足、脱線。
わたしの場合、その瞬間は弾けたが、長く続かなかった。
わたしは、結構、真面目なところもあり、猪突猛進タイプだったので、チャラチャラ遊んでばかりの生活には不安がある。
少し先を見据える
フードコートで自分の席を確保してから料理を注文するタイプ。
と、優等生的なことを書いても全く面白くもなんともないが。

まあそれはそれとして。
無茶をする人生お試し期間には、無茶をしなかったからといって、その反動で自由になっても無茶をするかと言えば、する場合もしない場合もある。
人生経験が浅く無知といっても、ある程度の常識や加減というものがある。
大概は危険察知能力は、小さい頃から養われていると思われる。
これぐらいやれば、人は怪我をしたり死に至るとか、湯気が出ているヤカンを触れば熱い、、、から、徐々に経験値を上げていく。
中には、不運なケースもあるだろう。
周りに信頼できる大人がいない、とか。

今回の番組のケースは、友人たちが危ない世界に首を突っ込むのは危険だからやめておけと止めたにもかかわらず、本人の強情な性格が裏目に出た、と友人の弁。
ちゃんとした親も友人もいても、色々あるようだ。
たいして必要に迫られているわけではないので、自由意思ですぐ引き返せるだろうという、そういう気持ちは誰にもあるかも知れない。
闇というものは怖い。
若さ故、幸運故に、大事に至らず乗り切ってしまうこともある。
ほんのちょっとした違い、というよりも、ほとんど同じなのに、間一髪でセーフになることも、不運でアウトになることもある。
他人事とは思えない。
だからこそ、社会全体で注意を喚起するのは事故や不幸を未然に防ぐ役に少しでも立つ。

若者だけでなく、どんな年齢層の人も危険がいっぱい。
君子危うくは近寄らず。
スリルがなくても、退屈でも、ローリスク、ローリターン。
だが、血気盛んな若者には通用しないかも。
年寄りの冷や水。
わたしは、ヒヤヒヤドキドキする。
ひょっとして血圧が高いのか?




ご近所さん

2023-05-31 | ご近所さん
梅雨入りらしい。
5月はわたしにとっては長かった。
気になること(旅行)があったからか。

昨夜、一瞬、停電があり、びっくり。
長女宅も同時に停電らしかったが、復旧は我が家のほうが30分早かった。
トイレも電化自動式だと流せないが、我が家の場合、ウォッシュレットや温水、温座機能以外は、手動式なので良かった。
ハイブリッド式のように、日頃は電化自動だが、手動に切り替えられるトイレもある。
あれが良いと前々から思っていた。
というか、立ったり座ったりするだけでセンサーで勝手に水が流れるのは、実に資源の無駄遣い。
便利と引き換えに失うものが必ずある。

と、全くどうでもよい独り言からスタート。
全編、全くどうでもよい独り言で貫き通されている、が。

わたしはどうもズレている。
日本人は皆んな横並び整列精神が発達しているそうだ。
皆んなキレイに同じ行動。
わたしはそれが苦手。
学生時代も結構、辛かったかも知れない、、、が、バリバリの鈍感力で、さほどなんとも思わなかったようだ、、、と今は解釈している。
もし、わたしが今、学生や仕事の現役なら、落ちこぼれている。
居場所がないにもかかわらず、あれ?皆んなと少し違うなあと、鈍感力でニコニコしているだろう。

ではあるものの、今の時代に現役活動していなくて良かった。
わたしは、自分だけの居場所を確保して、もう外に狩りに出なくてもよい。
経済活動も交友活動も何もしなくてもよい。
せいぜい、自治会の回覧版を持っていくぐらいか。

何度か蝶ブログに書いた、苦手とするご近所Aさん。
先日、うちの近所をお一人で歩いておられたので背後から、わたしの方から声を掛けてしまった。
もう、嫌いとか、苦手とか、かなわんわあ、とか、なくなった。
お互い、歳を取った。
と言ってもAさんは、おばあさんであるわたしより更に23歳上。
女性の平均寿命を軽々超えた、正真正銘のおばあさんなのだ。
自治会では同じ班。(脱会されたものの)
4軒も新しい家族が次々、連なって転入してきて、住民平均年齢をぐっと下げた。
そうAさんに言ったら「わたしは最高齢で恥ずかしいわ」と仰った。
何も恥ずかしがることはない。

うちの家の前まで一緒に歩き進めて、そこでちょっとだけ立ち話。
Aさんは姑より少し年下(4歳ぐらい?)なのだが、「おかあさんには長い間、お世話になってねえ、、、」
と、昔話が始まった。(と言っても短い)
夫が受験をする際に、姑が願掛け?を熱心にしていた話とか(いかにも姑らしい)。
「願掛けしてたんだって。知ってた?」後で夫に伝えると、「知らん、そんなこと言わんでもいいのに」と、いかにも不機嫌。
(何言ってる?、、、今までわたしはどれだけ聞かされて来たか、、、何を今頃、、、その態度、と、わたしも不機嫌に)
だけど、今はもう笑い話の過去完了形。

立ち話中、後から海鮮物を持って来てくれるとかで、お約束通り、Aさんは新鮮な釜揚げシラスとモズクを届けてくれた。

別に悪い人でなんかない。
ただ苦手なだけだ。
いつも思うのだが、近くで誰が聞いているかも知れない個人情報をハッキリ言うのはやめて欲しい。
褒めてくれているのはよくわかる。
だが、褒める内容が、、、個人情報はやめて欲しい。
子供のことも。
ちなみに、わたしはただの一度も褒められたことがない。
(別に、褒めて欲しいわけではない。
が、わたしの学生時代の友人のことは、「美人だ美人だ」と、何度も褒めていた)

見た目と個人情報だけが褒める中身。
姑に関しては、たぶん、Aさんのお店の顧客だったから、それだけで褒める(持ち上げる)のには十分だろう。
姑はAさんに、ずっと季節の直産品を送り続けていた。
長〜い、お付き合い。
実はわたしも40年以上前にAさんと一緒に、とある神社(高い山のテッペン辺りにある、行きにくい立地)にお参りしたことがある。
Aさんは姑同様、信心深いようだ。

ではあるものの、
おそらく見栄を張ったお付き合いだったのだろう。
背伸びはしていないようだが、背筋をシャキッと伸ばさなければならない、嘘は付けない(長い付き合いになると、嘘はバレる)頑張らないといけない、そんな感じ。
見栄と理想と緊張感は行ったり来たりのボーダレスか。
接点を見てそう思う。
それと、Aさんの価値観。
まあ姑の価値観とも合致していたのだろう。
わたしは、Aさんの実姉も何度もお会いしたことがある。実姉の息子さんにも、Aさんの息子さんにも。
Aさん同様、ご近所さん。
Aさんは決して悪い人ではない。
が、価値観がやはり戦前、戦中派。
あまり接近しすぎると、価値観まで見えてしまうので距離感が大事だ。

もう半世紀も前から知っている人なんだから、理解してもよいはずだ。
半世紀経つと個人や家族の人生の上がり下がり、隆盛、衰退はほぼ完成している。
それよりも、90歳にもなると、高齢の方を労わらないといけない。
価値観がどうのこうの、微妙な違いはもうよい。
いつまでもお元気でいてもらいたいものだ。