わたしの趣味はインドアがほとんど。
いずれ動けなくなったら、外出出来なくなったら、その時に家の中で楽しもう、と、あえて取っておいている趣味がある。
それは、映画館での映画鑑賞。
今では新作でも半年もしない間にネット配信される。
自宅でパジャマのまま寝ながらでも鑑賞できる。
が、映画館にわざわざ足を運ぶのは、出不精のわたしに、自分でハッパをかけている。
わたしは出かけるのが億劫。
だが、出かけると都会ではいろんな人がいて刺激になる。
(最新の大都会は尚更、技術の発展に目を見張り、街が動く)
とは言うものの、わたしの楽しみはもう日頃の近辺の都会にはないなあと、しみじみ思ったりする。
都会に求めるものがない。
出会いやキラキラ、そんな人工的なものより、落ち着きや、安らぎ、親しみ、自然のほうが良い。
都会にいる年配の方々を見ても、なんだか場にしっくり合っていないように感じる。
(シニアでも働いている人は別として)
自分の居場所に、都会は適していないと感じる。
若い頃は憧れたが、また原点に戻る傾向か。
ではあるが、出不精で引きこもっているのも心身に良くない。
かといって、自主的にウォーキングするには熱意が足りない。
コロナ時は、全くどこにも出られず、何も出来なかったので、内から押し出されるようにウォーキングしたけれど。
というわけで、自宅映画は、弱った時のためにお取り置きしている。
読書は、最低限しかしない。(ほぼしない)
ここのところ急に理解力がかなり衰えているのを実感する。
好奇心も弱くなっている。
自然減か。
そのほかに、あと、弱った時用のお取り置き楽しみとして、縫い物がある。
チクチク手縫い。
ごく近所に洋裁教室があり、いずれ顔を出してみようと思っている。
先生はわたしより年上のよう。
はやく行かないと、先生が引退してしまう。
社交ダンスも40代の時、歳を取った時の趣味としていずれ始めようと思っていたが、なかなか重い腰が上がらず、結局、動き出したのは、49歳の時。40代ギリギリである。
そういう前例もあり、いずれ次の段階のために、し始めようと準備したいのは山々だが、気持ちだけ充満して、なかなか動かないのがわたし。
もっと歳を取ると、麻雀とかは出来るので、そういうのはしてもよいと、薄っすら考える。
夫も麻雀は打てるので、いずれ我々が更に高齢になれば我々より若い誰かに接待麻雀をしてもらおう。
だが、孫たちに教えるのは無理。
彼らの親たちも麻雀経験が無いし。
わたしの父が麻雀を始めたのは、わたしが中学生の頃。50歳ぐらい。
我々子供たちは、兄主導のもと、どんどん覚えていったが、父は苦戦していた。
あんなに頭脳明晰な父なのに、なんで覚えが悪いのだろう、と、当時中学生のわたしは不思議だった。
だが、家族相手に麻雀を覚えるのも悪くない。
わたしは下手で読みが浅く、チョンボもよくするが、中学の時からやっているので、今、この年齢から始めることと比べたら、とても良かったと思っている。
あくまでも家族麻雀だが。
麻雀ではないものの、今では小学生の孫に、頭脳プレイのトランプでは勝ったり負けたり負けたり、で、負けが多い。
あんまり、強くない。
母は一切、ゲームも読書もしない。
が、夢のあるものに接するのが好き。
頭の中だけではなく実際に形に表す、行動実践派。
頭脳派ではない。
掃除もピカピカに綺麗にして家や庭を整えていたが、ああわたしと言えば、、、(ため息)
皆んな、身体が動く限り、自分らしい生き方をしていたなあと思う。
わたしは身体を動かさないのが自分らしい生き方か、、、(ため息)
今、現在も気になる未処理タスク(マイナス事項)を抱えているのだが、今年いっぱいは手を付けず、来年あたりから動こうと考えている。
あくまでも考えているだけなので、じわじわ更にマイナスに傾くかも知れないが。
とあれこれ書いてみたが、まとめてみると、、、
わたしは都会より非都会派。脱都会。
(だが、山の中のぽつんと一軒家、自給自足暮らしには根性がなくて住めない)
観光地や古い街並みは好き。
今しか出来ないことをしたい。
好奇心が原動力なので、無理やり頑張らない。
好奇心が減少したとしても、静かに暮らしたい。
以上、今日の独り言でした。
※写真は旅先で見かけた素敵なお宅