昨日から別の小説を読みはじめた。
またまた古い作品。
山﨑豊子の「女系家族」。
令和の時代に「何を今更」的作品。
文庫本末ページには、昭和41年10月20日発行、昭和50年11月10日18刷と記されている。
その本は、2階にある元・長男の部屋の本棚からチョイスした。
元・長男の部屋は、わたしが今は寝室として使っている。
この部屋には横長のロフトがあり、天井が山小屋みたいに三角に尖り、ロフトの前には、まん丸の大きな、はめ込み窓がある。
まん丸窓から射す灯りは、太陽の自然光だったり、街灯だったり、大きさや形が変化する、家の前を通る自家用車のライトだったりする。
その明かりを下方から見る。
見なくても勝手に視界に入って来る。
2階は長男の部屋だけ、当時の長男の要望で畳敷きにしている。
勉強机を置いている床の面だけ、板張り。
そう書くと素敵そうなイメージだが、(気に入っていることは気に入っているが)エアコンがいつの日からか壊れている。
今年の猛暑も扇風機。
ちょっと前は、大きな団扇だった。
手動。ぱたぱた。
エネルギー源は電力でも風力でもなく、生身のわたし。
何時代に生きている人間なのだろう、わたし。
今年の記録的暑さは尋常ではなかった。
が、よくも倒れもせず(倒れたまま)、高温の、もあっとした部屋から朝になると生還出来たものだ。
帰宅時に閉め切った部屋の温度計は36°以上。
窓を開けてもさほど風は通らないし、室温もそう変わらない。
ではあるが、なぜか、この部屋で寝る。
というか、他の部屋で寝る気があまりしない。
一晩中エアコンをつけると、身体がだるいような気がするからだ。
床(畳)に直接、布団を敷くため、床すれすれの位置に身体を横たえる。
窓の開口部が床の位置まで来て、開いているので、外から微かに流れてくる風が、それより上からの空気よりほんの少しだけ冷気を帯びることがある。
わたしはなぜか、それが好きなのだ。
とは言うもの、酷暑には無駄な抵抗だったが。
朝まで、もわんもわんとした熱気に包まれたままということもある。
それを扇風機でかき回すだけ。
顔に、もわんもわんの風を当てる。
パジャマは汗だく。
元・長女の部屋も、元・次女の部屋も空いているが、2部屋ともベッドのため、床から少し高い状態で横になることになる。
第一、エアコンは同じく故障。
すでに選択肢に並べるには条件を満たしていない。
さらに、向きも、ベッドの頭側に窓があったり、ベッドが窓から離れていたりする。
それに対して、窓に面して身体全体を横たえることが出来る元・長男の部屋は、わたしの要望を満たしている。
微妙な好みがある。
この長い長い説明、動画なら一瞬。
写真や絵なら一瞬。
なんでこんなに文字を割いてわたしは書いているのだろう。
要約すると、
「エアコンが壊れている部屋で、開口部が床まである窓際に布団を敷いて寝ている」。
おしまい。
ちなみに、ここ2〜3日、涼しくなって大喜び。
また暑くなるにしても、あの酷暑、真っ只中ほどではないだろう。
と、本のことを書こうと思ったのに、延々と部屋の説明をしてしまった。
子供が、言いたいことの前に、そのことが起きる直前の話をずっと話し続けているようなもの。
買い物を言いつけられた子供が、道中で水たまりをまたいだ途端に、買い物の内容がアタマから飛ぶ。
いつも脇道に逸れる。
道草に夢中。
本題に取り掛かる頃には、すっかり日が暮れている。