蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

老年の生きがいは?

2023-09-14 | 日々のこと
いつも訪れている人気ブログの記事に、「高齢者の生きがい」が紹介されていた。
「高齢者の生きがい」に、わたしの場合、ぴったり内容が当てはまる。
自分は高齢者なので、合点がいく。
当たり前。不思議でもなんでもない。

アグレッシブに攻めの姿勢ではなく、現状維持を望む。
守り。
健康であること、然り。
ある調査によると、「趣味」が、生きがいNo.1という結果だった。
納得。
「家族や孫との交流」も高順位だった。
わたしは至って普通の考え方、感性をしているようだ。
平凡そのもの。枠内に収まっている。
調査によると、「何にも考えていない」という項目もあった。
これまた面白い。
生きがいなんて考えてはいないが、何も考えないぐらいに、現状には気持ちの起伏がないのだろう。
ある意味、達観。
あるいは、脳の断捨離、省エネ?
あえて意識せず毎日を平穏無事に過ごしているのは幸せなこと。
でも、知らないうちに過ぎるより、なんらかの機会に、幸せだなあ〜と悦に入るのも幸せが倍増しそうだ。
が、不幸もあまり考えずに過ぎるのなら、いちいち一喜一憂していては疲れる。
不幸は見過ごし、幸せだけをズームアップするのが良さそうだが、そう簡単には行かない。
自然に任せると、不幸ばかりがズームアップになりそうだ。
時が解決してくれるようだが。
日にち薬とはよく言ったものだ。

それはそうと。
本日は、母の退院の付き添い。
朝7時から家を出て、1時間半、電車で立ちっぱなし。
通勤通学ど真ん中のラッシュアワー。
やっと今、座席に座ることが出来た。
まだまだラッシュアワーは9時まで続く。
母の入院する病院まで、遠い遠い遠い。はるかに遠い。
入院時は姉が付き添い、退院時はわたし。
入院中、一度も顔を出さず。
薄情?
いえ、薄情なわけではない。
立ちっぱなしの満員電車こそ、わたしは辛い。
しかも大都会。
わたしの大嫌いな、ごった返す大阪駅を乗り換え、経由する。難関、関所、越え。
通学、通勤の若い人ばかり。
通院のひとは、徒歩かチャリ(自転車)。
見事に分断、棲み分けがされている。

車内、席が向こうのほうに空いていたようだが、発見出来ず。
もたもた。
若い人は、ちゃっちゃと上手く空席を見つけ出すのに、わたしと言ったら、、、。
遠く、通路をはさんでボックス席2つのうち、3つも空席があったのに、、、、人が座りに行っているのを見て、はじめて空席があることがわかった。

青息吐息のおばあさんに、席の近くでぜいぜいヨロヨロ立たれると、着席している人も嫌だろうなあと、変に気を遣う。
席を替わってほしいのではなく、気遣われるのがかえって苦痛。
まだまだ本格的におばあさんになっていないのだろう。

こんな通勤タイム移動なら、前泊しようかと思った。
満員電車で立ったまま1時間半は、疲れる。
今、どうにか座れたからよいものの。
新快速は、停車駅が少ないから、一旦座るとゆっくりできる。
やれやれ。

いつも座れる時間帯に電車移動しているので、立ったまま、しかも満員は、結構こたえる。
若い時は、なんとも思わなかったのに。
しかも、周りが若い人ばかりだと、自分が浮いて浮いて、居心地が悪い。
やはり同世代の集合体が快適だ。
一人だけ異種は、身の置き所に困る。
レジャー地のような、ファミリー層が混ざっているのは、色とりどりカラフルで楽しい。
が、学生さんはまだしも、シーンと静まり返った咳ひとつ聞こえない、通勤ビジネスマン・ウーマンの電車は息が詰まる。

満員の時、ドア近くに、身長が、わたしの孫(小5男児)ぐらいの男子中学生がいた。
メガネをかけているが、ちっちゃい。
わたしの孫もほぼほぼ前から1番目か2番目だろうけれど、彼ならダントツ、前から1番に違いない。
どこの中学に通っているのだろう。
などなど、立ったままでは揺れてスマホも触れないから、車内吊り広告や、そこかしこを見るしかない。
とかなんとか、またまた普通電車に飛び乗った。乗り換え。
とりあえずは、座って小休止だ。
まだまだ目的地は遠い。