いつも訪れている人気ブログの記事に、「高齢者の生きがい」が紹介されていた。
「高齢者の生きがい」に、わたしの場合、ぴったり内容が当てはまる。
自分は高齢者なので、合点がいく。
当たり前。不思議でもなんでもない。
アグレッシブに攻めの姿勢ではなく、現状維持を望む。
守り。
健康であること、然り。
ある調査によると、「趣味」が、生きがいNo.1という結果だった。
納得。
「家族や孫との交流」も高順位だった。
わたしは至って普通の考え方、感性をしているようだ。
平凡そのもの。枠内に収まっている。
調査によると、「何にも考えていない」という項目もあった。
これまた面白い。
生きがいなんて考えてはいないが、何も考えないぐらいに、現状には気持ちの起伏がないのだろう。
ある意味、達観。
あるいは、脳の断捨離、省エネ?
あえて意識せず毎日を平穏無事に過ごしているのは幸せなこと。
でも、知らないうちに過ぎるより、なんらかの機会に、幸せだなあ〜と悦に入るのも幸せが倍増しそうだ。
が、不幸もあまり考えずに過ぎるのなら、いちいち一喜一憂していては疲れる。
不幸は見過ごし、幸せだけをズームアップするのが良さそうだが、そう簡単には行かない。
自然に任せると、不幸ばかりがズームアップになりそうだ。
時が解決してくれるようだが。
日にち薬とはよく言ったものだ。
それはそうと。
本日は、母の退院の付き添い。
朝7時から家を出て、1時間半、電車で立ちっぱなし。
通勤通学ど真ん中のラッシュアワー。
やっと今、座席に座ることが出来た。
まだまだラッシュアワーは9時まで続く。
母の入院する病院まで、遠い遠い遠い。はるかに遠い。
入院時は姉が付き添い、退院時はわたし。
入院中、一度も顔を出さず。
薄情?
いえ、薄情なわけではない。
立ちっぱなしの満員電車こそ、わたしは辛い。
しかも大都会。
わたしの大嫌いな、ごった返す大阪駅を乗り換え、経由する。難関、関所、越え。
通学、通勤の若い人ばかり。
通院のひとは、徒歩かチャリ(自転車)。
見事に分断、棲み分けがされている。
車内、席が向こうのほうに空いていたようだが、発見出来ず。
もたもた。
若い人は、ちゃっちゃと上手く空席を見つけ出すのに、わたしと言ったら、、、。
遠く、通路をはさんでボックス席2つのうち、3つも空席があったのに、、、、人が座りに行っているのを見て、はじめて空席があることがわかった。
青息吐息のおばあさんに、席の近くでぜいぜいヨロヨロ立たれると、着席している人も嫌だろうなあと、変に気を遣う。
席を替わってほしいのではなく、気遣われるのがかえって苦痛。
まだまだ本格的におばあさんになっていないのだろう。
こんな通勤タイム移動なら、前泊しようかと思った。
満員電車で立ったまま1時間半は、疲れる。
今、どうにか座れたからよいものの。
新快速は、停車駅が少ないから、一旦座るとゆっくりできる。
やれやれ。
いつも座れる時間帯に電車移動しているので、立ったまま、しかも満員は、結構こたえる。
若い時は、なんとも思わなかったのに。
しかも、周りが若い人ばかりだと、自分が浮いて浮いて、居心地が悪い。
やはり同世代の集合体が快適だ。
一人だけ異種は、身の置き所に困る。
レジャー地のような、ファミリー層が混ざっているのは、色とりどりカラフルで楽しい。
が、学生さんはまだしも、シーンと静まり返った咳ひとつ聞こえない、通勤ビジネスマン・ウーマンの電車は息が詰まる。
満員の時、ドア近くに、身長が、わたしの孫(小5男児)ぐらいの男子中学生がいた。
メガネをかけているが、ちっちゃい。
わたしの孫もほぼほぼ前から1番目か2番目だろうけれど、彼ならダントツ、前から1番に違いない。
どこの中学に通っているのだろう。
などなど、立ったままでは揺れてスマホも触れないから、車内吊り広告や、そこかしこを見るしかない。
とかなんとか、またまた普通電車に飛び乗った。乗り換え。
とりあえずは、座って小休止だ。
まだまだ目的地は遠い。