9月になってもまだまだ暑い。
読書、、、涙、涙に、本のページに涙がぽとり。
いつもいつも、わたしのむき出しのハートは感受性の塊になっている。
が、やっと一区切り。
と思いきや、第6巻まであるようで。
わあ、それは無理。
休憩しなくては、頭が持たない。
(安物の頭は、持ちが悪い)
インターネットで続きを購入しようかと思っていたが、しばし躊躇、再考。
ばばばばーっと一気に片付けるのが苦手なわたしは、あとまだまだ6巻まであるのかと考えただけで、へばった。
どう考えても熱烈読書好きではないと思われる。
カチンコチンの岩のように難しい文章を一つ一つ読み砕いて理解し、その結果、涙が流れていた。
私の頭に「ご苦労さん」の意味もあるのかも。
とは言え、関西弁でひらがなも混ざり、読みやすい文章である。
が、なにしろ時は明治。
天皇制に移ったばかりで、国の方針転換が急激過ぎて、やや、ぎくしゃくする感は否めない。
これ、司馬遼太郎の昔、TV放映されたVTRが先週、再放送された中で言っていたことの、パクリです。
が、ちょっと司馬遼太郎の発言の影響を無意識に受けたのかも知れないが、なんとなく彼の主張を実際のテキスト(明治の小説)で復習しているような感じ。
洗脳されやすい?
これは要注意だ。
しかし、デリケートな問題なので、安易に書くのは控える。
さて、と。
バス停での皆さん。
待ち時間に色々おしゃべりをされていた。
話題は病気一色。
ここが痛い、あそこが痛い。
あの薬は、どーだこーだ。
あの先生は、あーだこーだ。
微に入り細に入り、説明しておられた。
先生もこういう場所で評価を上げられたり下げられたりするのだ。
上げられることはまあない。
大概は悪口。
どこに行っても、そんなに良くならないということ。
先生や薬のせいだけでもないと思うが。
痛い痛い、と嘆きを口にすると、ちょっとは気が晴れる?
「わたしはもっと重症です」という話が聞ける?
暑い中、バス停でひとり無言で待つよりは、仲間を見つけて時間の有効活用。
悪い作用はないと思う。
わたしは一人スマホ入力だから、声をかけてくれるなオーラを放っているだろう。
ブログネタも拾えるし、悪くない。
こうやって好奇心をもって、人の話を聞き、文章にするのは脳の老化に役立つらしい。
別に何か効果を求めてやっているわけではないのだが、ブログという趣味を持っていて、楽しいし、大満足である。