人によっては、家で居ても何もすることもない、と、退屈を紛らわせるために押し出されるかのように外に出ることがある。
すると、意外に楽しい「種」に出会うことがある。
あくまでも「種」であって、華々しい実は成っていない。
種を見過ごしたら、何もない、無目的の単なる虚しい暇つぶしになる。
種をキャッチすると、そこから芽が出る。
だが、種は埋まっているので、外からは見えない。
何の種かもわからない。
水をやって、しばらく待ってみないと。
育てることをしないと枯れてしまう。
最初から既製品の商品のように、出来上がったものが用意されているわけではない。
一から作るのはイメージが湧かない場合、パーツやキットをバラ売りしていることはあるが。
高い理想や目標は掲げず、誰でも出来ることなどと高をくくらず、とりあえず外に出て、歩いてみよう。
発見がある。種がある。
なければ、見つかるまで探せ、とは言わない。
休む、休憩する。
また外に出たくなるまで待つ。
発見が無いことが発見かも。
それも気づきの一つかも。
それはそれで、真っ白、純粋な脳ミソなのでは?
伸びしろ100%?
ちなみに、ウォーキングの会でスマホでカシャカシャ写真を撮っていたら、、、
参加者の女性に、「どんな風(テイスト)に撮るんですか?
わたしは、わからなくて」と問われた。
ものすごく不思議な質問に、驚いた。
なぜなら、公式でもないプライベートな遊びの写真なんか、自分が好きなように撮ればよいのだから。
コンテストに応募するわけでもないし、写真展を開くわけでもないし、誰かに見せるわけでもない。
(ブログに使う写真もあるが)
自分のために撮る。自分が楽しいように。
なので、どういう風に撮るのかなんて、思いもしない奇問だった。
そう言えば、幼稚園の時、クラスメイトの園児がいつも、わたしの絵の真似をしていた。
これまた、いつもわたしと同じ絵を描くのが不思議だったが、彼女は後にピアノ方面に進んだ。
ゼロから、無から、思いつかないのだろう。
まあ色々な人がいる。
また、ある人に、品質に対する感想を述べると、なぜそんな感想が湧き出て来るのか、不思議がられた。
経験がないため、思いもよらないようだ。
無意識に接していることに対しては、何の感想もないと思われる。
考えたことも意識したこともない世界。
各人それぞれの歩みが違うと、視点が違う。
視点が違う人同士が出会った場合、何の接点もなく素通りするか、あるいは、考えたこともない感性に触れて驚くか。
未知のものを興味深く捉えるか、はたまた、今更、どうでもよく、接したくもなく避けるか。
色々なケースがあり、その後の展開が変わる。
※写真は、桜で隠れて見えないけれど、今日の大阪城。
去年の今頃も同じ場所で同じ写真を撮った。