蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

落ち込み

2024-04-30 | わたし
脱力感というとまだいいが、虚無感、無力感に見舞われている。
ぽかっと空洞が出来たようなかんじ。
何もする気にならない。
時間を持て余す。

キッカケは、ある。
だが、それは本当のキッカケではなく、たまたま、表面的な糸口だったように思う。
自分が追い求めているものは、自分が未熟なせいで絶対に手に入らないものだと実感した。
原因は自分にある。

自分の性格を大改造しない限り、自分以外に解決を求めてもダメ。
では自分が変わればいいではないか。
自分は変わらない。変わりたくない、変われない。
仮に変わろうと努力すると、土台から潰れてしまう。
今まで積み重ねてきたものをリセットすると、土台ごとなくなり、わたし自身が壊れる。
そぉっと、上のほうだけ変えたらいいではないか。
あるいは、最小限の芯だけ残して、大改造。
または、大々的な改造でなくても、ミニミニマイナーチェンジするか。
だが、自分が足を引っ張っている。
どうにもこうにもならない。

さらに考えられるのは、努力したからといって変われるわけではない。
期待する結果が得られるわけではない。
努力もせずに、架空で言っているわけではない。
努力はした。
よく言われる日本人的特徴としては、プロセス重視で、結果より、到達するまでの努力を評価するらしい。
が、、、諦めるという結果もある。
目標から手を離す。
諦観、解脱の心境。あと一歩。

そこで、般若心経読本。
あまり役には立たなかった。
気を鎮めたり自分を立ち直させたり、全然しない。
よけいに落ち込んだ。
何をしてもダメなようだ。
こういう場合は、何もせずに時を待つ。
が、待っている間は結構、苦しい。
こんなことは、今まで初めてだ。

とは言え、思い起こせば、かつても経験したように記憶する。
1回目の無気力は18歳、2回目は40歳代だったが、特に40歳代の無気力はただ「楽しいことをしたい、という、自発的&活発な意欲がない」と自覚するだけのもので、さほど気になるほどでもない、うんと軽い症状だった。


FMラジオではDJの元気な声。
わたしはほとんど内容は聴いていない、まさに、イージー・リスニング。
こうやって、意味を見出さない時間は、意味を求めないことが意外に癒やしになっていくのかも知れない。


※写真は、さきほど、今朝の、たくさん落ちたハナミズキの花びら。
家の前の道路に広がる花びらも、せっせせっせと拾って掃除した。