「忖度」抜きで書く。
元々少ないブログ閲覧数なので、あまり気にしない。
というか、それがかえって好きなことが書けてよい。(→「負け惜しみ」を美化、昇華)
益々、人は遠ざかることを承知で書く。
(何度も念押し、しつこい、うるさい)
さて。
自分へのお清めの塩を撒いたところで、スタート。
長く知っている、ある人Aさん。
知的好奇心は、ほぼゼロ。
(動物本能的好奇心は旺盛)
深い思考力は、皆無。
単純、単細胞。
決して悪い人ではない。
世の中には、ズル賢い悪人は山のようにいる。
かくいうAさんも、時にはズル賢く立ち回り、損を最小限に食い止めることもある。
ある意味、防衛本能である。
が、根は正直な人物。
知的好奇心が無いのは、決して悪いことではない。
知的な面での話題を出さなければよいだけ。
小学生の孫と接しているかんじか。
ただ、小学生はまだ未完成で伸び代があり、将来、未来がある。
人によってはそのまま、あまり変わらず成人するかも知れないが。
知性や思考力があるからといって、なんの役にも立たないことがある。
科学者や研究者、政治家、などなど世の中の役に立ったり、実践に活かすなら効果があるが、ただ、頭の中だけで思っているだけでは、思っていないのと同じ。
逆に、リーダーが流れを悪い方向に導く場合もある。
知性や思考力はないが、その代わりに情熱がある、という人もいる。
優しくて、人情家で、力持ちである。
人が良い。
悪知恵などを働かせるかも知れないような知識や思考力は、いっそ無い方が潔癖でいられる。
ちなみに、この度の静岡県知事の職業差別発言で、知事は自らの職を辞することになった。
職業に高度や低度なんて、ねえ、、、。
シンクタンク、県庁職員がプライドを持って職務に取り組むのは結構なことである、、、にしても。
人材が全員シンクタンク系ばかりでは、作業をする人をどう動かすのか。
誰も作業しなくなったら、どうするのか。
リスペクトし合う協働の精神がなければ、うまくいかない。
先日、公民館のトイレ掃除の男性が、トイレ掃除現場で仕事仲間に、思いっきり仕事の愚痴、不満を言っていた。
わかるけれど、、、あんなに不満を募らせて仕事をしていたら、やる気はもちろん、充実感、達成感もないだろう。
好きでやっているのではないのは、わかるが。
愚痴の矛先は、行政のお偉方に向けられていた。
市役所や県庁の方々、、、間に挟まれて大変だろうけれど。
普通、人と人が、あまり深く知らない距離感なら、頭の中身はそうわからない。
明け透けに話したり、出したりしても、それが全てなのか、または真実なのか、誇張表現なのか、等身大のお人柄なのかどうかは、長い目で見ないとわからないことがある。
長い目で見ても、わからないこともある。
が、次第にわかってくる。
友好関係を結ぶにしても、大きく分けると、知的で、思考力の高い人と、そうでない人がいる。
だが、生き延びるには運が左右するので、知性や思考力はあまり関係ないこともある。
知的好奇心がない人は、何かを見ても接しても、あまり本人の印象に残らない。
すーっと表面を見るだけ。
別にそれが悪いわけではないが。
旅行やニュースも、海外には全く興味を示さない。
飛行機が怖い、とかではなく、自分に直接関係がないから関心を示さない。
もし、行けない絶対的な事情があるなら、行きたいという欲求や感情が芽生える前に無意識に押し潰すのだろうか。
関心を示したところで、どうなるわけでもないが、関心が積もり積もると行動に現れる。
一生、関心が薄い人もいて、家族も似たような感じなので、何の摩擦も起こらない。
目覚めるのが良いとは限らない。
人は人。
それが悪いとも良いとも、わたしは言っていない。
そういう人がいる、というだけだ。
同じような人同士が暮らしているので、問題はない。
本を読んだり、情報を得たり、考えたりしないので、こころは例え退屈であったとしても、本人は退屈の理由がわからない。
理由がわかったからといって、解決できるとは限らない。
物知りだからといって、行動しなければ、どうなるものでもない。
思っていても口に出さないだけの人もいるだろうし、行動に移さない人もいる。
ただ、志というものは、「持つ」と「持たない」、「ある」と「ない」では違ってくる。
周りにどんな大人がいるかによって、影響を受ける。
周りにどんな老人がいるかによっても、大きく影響を受けると思う。
※写真は、昨日の大阪市内、桜之宮公園、大川沿い