最近、やりとりしている趣味関係のリアル人に、「ブログを17年やっている」と打ち明けると、「ぜひ、そのブログを教えてほしい」と頼まれた。
が、絶対に教えない。
先方も無理にとは言わない。
なので、そのままにしている。
わたしのブログなど、つまらない、退屈しすぎて、例え牢獄の中に収監されていたとしても読む気がしないと想像する。
なので、何がなんでも知られたくない。
ここまで強く思うには理由がある。
かつて、リアル人にブログを教えて欲しいと言われて知らせたところ、いったい何人の人が蝶ブログにヘキヘキして脱落したことだろう。
数えてみよう、、、。
1人、2人、3人、4人、5人、6人、、、。
わたしが中学生頃や、若い独身の頃から直接関わりがある身近な人々や、身内。
そのうちの2人は、ほんの最初の記事数本、サワリのあたりで脱落。
ティストが嫌いなのだろう。
実際に知っているわたしとは違うんだそうだ。
更に2人は、数ヶ月でドロップアウト。
長文すぎて、読むのがメンドクサイのだろう。
あとの2人(身内)は、偵察隊のように、わたしの日常を知ろうと、まともに読んでくれていたが(読まれたくなかったが)、そのうち飽きてきたよう。
というよりは、自分のことが忙しくなり、人のことに首を突っ込む余裕がなくなったと想像する。
というわけで、お互いをよく知るリアル人が読む可能性のある蝶ブログであるが、いまや誰も読んでいないのが現実である。
そういう経緯から、蝶ブログをお知らせしても、やがて見捨てられるのは時間の問題になるのは目に見えている。
火を見るより明らか。
それはそれで、肩の荷が降りるものの、期待を裏切る自分のブログに対して、ブログがちょっと可哀想になる。
いくら暇つぶしの、憂さ晴らしとは言え、長くわたしが慈しみ育んでいるものの一つとなっている。
具体的な誰かに向けたものではないにしても、自分の生活やこころを切り取った断片を散りばめている。
とは言え、書き散らしているだけだが。
本来、ゴミ箱に入れるべきものを捨てられず大事にお取り置きしていると、なんだか愛着が湧いてくる。
ガラクタ、コレクターか。
自分からの愛情を自分に向けている。
延々とそれが続くと、読む側は、そりゃあイヤになるのはよくわかる。
なので、マイナスの先が見えているため、誰にも蝶ブログは教えない。
リアル人にブログを知らせるのとは逆に、WEBから知り合うケースもある。
こころの叫びが先なので、実際のリアル実態は少しイメージが違うことがあるが、だいたいは想像の延長上にある。
今、NHK TVの夜ドラで、「VRおじさんの初恋」という番組を放映中である。
放映時刻が遅いため、見たり見なかったりしているのだが、ほぼほぼ見ている。
今日で終わり?まだ続く?
今調べてみると来週もまだ続くようだが、GWは見られなさそうなので、ストーリー展開の先が気がかりだ。
インターネット繋がりのバーチャルと現実を混在させたストーリーで、今時の人なら誰しも経験があるかも知れない。
だが、インターネットのない時代でも似たような心情はあった。
文通している、まだ見ぬ人と会う、、、ロマンチック。
ツールが違うだけで、共通の心境だろう。
ちなみに、今更ながらだが、VRとは、バーチャル リアリティ、仮想現実で、「表面的には現実ではないが、本質的には現実」とのこと。
わたしは、本質だけを表すと、どちらかというと、クールな人のよう。
WEBでやりとりしている趣味関係の人と実際にお目にかかると、「イメージは、もっと怖い感じかと思ったけれど、実際は優しそうな人」と言われた。
本質と現実では多少ギャップがある。
が、同じでもある。
誰の目も気にしない、忖度する必要がない蝶ブログはまさに、本質そのものだ。
ではあるものの、本人(現実)を知っている人でも、本質は知りたくないことがある。
触らぬ神に祟りなし。
予期せぬ毒にあたるのは避けたい。
誰しも嫌なことには目を背け、楽しいことを求めるのは当たり前だ。
※写真は、昨日、夕方、雨がぱらぱらする中、急いで撮った、近所の道端。