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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ファン・サービス

2024-09-05 | 無題
好きなことを書く楽しさは、何にも代えられない。
おしゃべりで、内気なわたし。
プレ認知症グレーゾーンを行ったり来たり、うろうろしているわたしには、ブログはぴったりの活動だ。

ちなみに、四苦八苦しながらお手紙を出した相手からは、絶対に返事は来ない。
(一昨日、投函したばかりだし)
それを確信しているのに、手紙の末尾に記した、わたしの連絡先であるEメールアドレス、受信箱を覗いている。
1日1回にすべき?
いや、3日に1回覗いて、あとは1週間に1回、1ヶ月に1回チェックしてみよう。
ファンレターに返事を出す人はまずいないので、返事など来るわけもないのに、岸壁の母になり、舞鶴港から海を見る気分。
2通目を出す気持ちはない。
が、ひょっとすると、ファンレターは半年後にまた出すかも知れない。
今は未知。予想できない。

ブログならお互いの繋がりがハッキリわかるのだが。
特にgoo。足跡機能あり。
前にはよくgooブログ・ピーアール記事を出していたが、あまりにも反響が少ないため、やめた。
自虐嗜好があるわたしだが、自虐ならまだしも、たんに自信がなくなり、意気消沈するだけなので、広く知ってもらおうという気はなくなった。
メジャー路線とは程遠いことは、他ならぬ誰よりも自分が知っている。

その代わりに、好きなブログを応援する側にシフト。
楽しみに、好きなブログを読んでいる。 
だが、好きなブログの数は至って少ない。
あれもこれもにすると、気持ちが分散される。
熱心に訪れていると、ファン・サービスをしてくれるブロガーさんもいる。
直接、メッセージはないものの、ファンを囲い込む、お返しサービスかと受け止めている。

しかし、、、旅はいいなあ、、、。
こころの旅。
実際にあちこちを紹介してくださるブロガーさん、毎日楽しみにしてます。

とかなんとか。
実はわたしも発信側でもある。
インプットとアウトプットを自分の好みの配分で行う。
 

ところで。
関西のTVニュースで終活をまだ目前に迫っていない世代(50代、60代)に勧めるお寺が紹介されていた。
住職さんは、京都の大学教授でもあり、古くから代々継承されているお寺の跡取りでもある人。
一度、人生をリセットすると、また違うものが見えてくるそうな。
今は断捨離ばかりが叫ばれるが、断捨離は宗教的な考え方がベースになっているにもかかわらず、モノを捨てたり、モノを持たないことを推奨したり、物理的な「モノ」に偏っているように感じる。

また、別のメディアで、70代、80代の、自立したお一人様が自立して暮らせる大規模コミュニティを作ったことが紹介されていた。
東京から車で1時間?
廃校になった小学校などを中心に、文化的コミュニティを形成する。
年寄りを閉じ込めるのではなく、他の世代も混えて核となるコミュニティから自由に行き来する。

ではあるが、やはり東京を中心に構想が練られるのだと感じると、少し気が抜ける。
(そこそこの?)企業に勤めた人が、退職金と年金で、一人で最期まで自立して暮らせるコミュニティだそうだ。
だが、そのレベルの人は実際にはどれだけいる??
社会の上層、上澄エッセンスのような話かと感じてしまう。
ではあるものの、絵空事ではなく、実際に今、動いていることであるには違いない。

自分の老後イメージ。
健康を害してからの、介護ヘルパーさんの助けを借りて自宅で暮らす日々。
だが、訪問介護施設がどんどん閉鎖されているらしい。
税金からの出される訪問介護費は下げられ、その分、利用者の負担額は増え、同じ介護費対策税金の割り振り配分から訪問介護費が削られてしまう皺寄せを受ける。
また調整、変動するとは思うが。
最後は介護施設のお世話になるだろう。最期は??

わたしは、お一人様ではない分、計画が甘い。
お一人様の代表でもありそうな上野千鶴子さんが、実際はお一人様ではなく、それ故、詰めの甘さを先輩女性学者に指摘されていた。
とはいうものの、上野千鶴子さんとわたしは、8歳違う。
あちらが歳上。
同世代かというと、微妙。

究極の老いの先のことを考えて能動的に選択、行動している(お一人様を含む)人々の動きが、今、かたちになって見え始めている。
時代の先端を行っていない人はもとより、遅れている人も、後から遅遅、着いて行くことになるのだろうか。