蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

余白の美しさ

2024-09-06 | 無題
人からどう見られたいか、は、自分がどんな人が好きか、にもよる。
どんな人になりたいか、である。
理想と現実のギャップは、常に現実を冷静な目で直視しなければ見えない。  

現実と向かい合えない弱さが自分にあるとすると、現実を変える、という方法がある。
だが、それは現実的に無理だとすると、現実を歪めて見る手もある。
客観重視から主観重視へ移る。
それも不十分なら価値観を変える。
これが一番、強力である。
自己肯定して他を否定する。
あるいは、全部否定。
まれに、全部肯定。

へん、なんだい、あんなの。
自分の力でもない親の七光じゃないか。
見掛け倒しに決まってる。
たまたま運が良かっただけ。
いずれダメになるさ。
などなど、、、。
自分側に引き摺り込もうとする。
自分諸共、身投げ。
逆のほうがいい。
全員一緒に幸せに。
だが、一歩間違えるとカルト教団みたいになる。
それもどうかと。

今まで並列(平等)だったのが、縦(不平等)になるのが耐えられない。
最初から不平等も耐えられない。
能力がある人も無い人も平等、、、
能力がある人が能力がない人をサポートする。
理想的な助け合いの社会。
人を助けるために頑張るのか。
先に自分が一人前になるのが先。
皆んな、それぞれに頑張りましょう。
と、政治家も大変だ。

いくら素晴らしい人でも必ず歳を取る。
100歳まで健康に生きられる健康長寿薬を開発するために、世界中の富豪が巨大な資金を投じている。
世界、人類のためと言うより、自分の老後のためかなあと思ってしまうが。
まあ悪いことではないにせよ、人間の欲望には限りがない。
キリの良いところで、ブレイクタイムにする、あるいは未知の未来を残したまま終了するのも一つの美しい終わり方かも知れない。
果ての果てまで追求しすぎても、良いとは限らない。
余韻、余白は、「無い」だけに美しいかも。