蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

お手紙

2024-09-03 | 日々のこと
昨日は四苦八苦して手書きの手紙を書いた。
いつもスマホ文字入力なので、手書きの苦しいこと、ツライこと。
先ず、漢字。
例えば横線が2本(例→目)なのか1本(例→日)なのか。
自信がなくなり、間違っていては恥ずかしいと、スマホで調べる。
が、目が悪いから2本にも3本にも見える。
で、漢字アプリで拡大して調べる。
こんなことをいちいちやっていては、イライラするばかり。
しかもサラサラと便箋に手書きで書いても途中で間違えると、また一から。
紙とペン。原始的ツールは手強い。
鉛筆なら消せるが、小学生の作文ではない。(内容はともあれ)
修正ホワイトを使うとみっともないので、変にこだわる。
いっそ毛筆のほうが格段に格調高い。
とは言え、毛筆調のフォントも出回っていて、そっちのほうがずっと正確で美しい。
文字バランスも素晴らしい。
手書きの苦しみ、、、。
長い間、忘れていた。

手紙アプリに、手紙の規則フォーマット通り、入力したら、こんなに簡単なことはない。
「拝啓」には「敬具」がセット。
別の書き方がしたい。
が、ハズレすぎて常識を知らない人だと思われても心外だし。ルールを気にする。
自分のブログならいざ知らず。
ああ、ブログのなんと自由で楽しいことか、、、と、今更ながらしみじみ思った。

手紙を書く前に、まず、内容、文章をスマホ入力した。
あとは、その通り、写すだけ、、、だと思いきや、そうでもない。
便箋や封筒を棚から引っ張り出してきたら、懐かしいモノが一緒に保管されていて、一つ一つ丁寧に読み込んだ。
20年近く前のものだ。
封筒も、郵便番号枠が5桁のものもあり、そのうちの一つはダイソーの包装袋に入っていた。
あのダイソー?だとしたら、結構昔からやっていたんだなと、別角度から感心。
郵便番号は1998年から7桁になったようなので、それ以前の封筒だ。
さすがに3桁の封筒は棚には置いていなかった。
3桁は1968年(昭和43年)スタートらしいので。

と、そんなことを調べながら手紙を書こうものなら、宿題の前、勉強の前に机の掃除をするパターンと同じだ。
引越し準備にかかっていて、一つずつモノに見入っているのと同じ。
方向は目指す方に向いているが、一向に具体的に着手できない。

と、昨日は、延々とグズグズしていた。
そのグズグズの前が有り、これまた延々と、手紙を書こうかどうしようか、と考えたり、書こうと決めたものの、お尻が重く行動に移れなかった。
なんと、1ヶ月の月日を要した。
早くしなければ、完全に旬を逃し、タイミングを失う。
気の抜けた炭酸水になる。
水ならまだしも。

と、いつものように行動前の充電期間を経て手紙を書いた。
清書し直せば良いのは重々わかっているが、3枚中1枚しか清書しなかった。
昨日書いて翌日である今日、読み直した。
清書すべきか一瞬考えたが、清書ドロ沼に陥りそうでやめた。
外出直前のヘアスタイル見直しと同じ。
明らかに、訂正、追加したにもかかわらず、そのまま、何度も見直した結果、封筒に糊付けした。
切手は昨日、貼っていた。
手書きの手紙のなんと重いことか。
こころと頭脳の重労働だった。
ブログなら10000文字だって100000文字だって鼻歌で楽しく書けるのに。
Eメールや文書も簡単に難なく書けるのに。
アナログは疲れる。
それでいて、乱筆乱文、文字は下手だし、行替えしたスペースに美しく収まらなかったり、見た目がどんどん悪くなる。
デザイン、見え方の問題。
ツールに慣れると、自分の能力が麻痺する危惧。
お手紙は、ガラスの小瓶に入れられ海に投げ入れられた紙切れの気分。
海を渡って遠い国に辿り着くだろうか。
(宛先は日本国内だが)
今日、先ほど、行きにポストに投函した。

あ、最後に。
なぜ、達筆自慢でもないのに、古来からの手紙というアナログなのか。
たんに、相手の連絡先を知らないからである。
ご本人の関連先住所をインターネットで調べて出したのだが、はたして本人の手に届くのか、心配だ。