蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

自分の声を聴く

2024-09-08 | 人生
毎日訪れるブログに、人気女性ブロガー「ちきりんさん」のブログ記事が紹介されていた。
こうなった(成功した、あるいは失敗した)理由は、最初から意図していたわけではなく、結果的にそうなった、だが、考察してみると後付け理由が多い、と。
なるほど。そうかも知れない。
数々の偶然が重なっただけかも知れない。

運、不運に見舞われた結果、成功した、失敗した可能性はある。
ほぼほぼ筋書き通りに事が進んでいたのに、この一つで、どんでん返し(好転、暗転)になった、、、というものもある。
なかなか思い通りには行かないのが人生。
結果を見て推測するしかない。

わたしも、あの時のあのピンチ、よくぞクリア出来たなあと、冷や汗、脂汗が出る。
一歩間違えば大惨事となっていた。
普通に平々凡々に生きていても、そんなことは日常生活を送る中にも潜み、多々あることだろう。
たまたま、そうならなかった。

わたしの場合は、逆はほぼない。
あの幸運を掴み損ねた残念、無念さはあまりない。
大して多くを望まなかった。
身分不相応な願いはなかった。
第一希望を掴み損ねたとしても、第二希望で手を打つ。手堅い。
足るを知る、等身大スタンス。
どんどん転がり落ちることはない。
とは言え、不屈の精神で這い上がることもない。
ハングリー精神の不足。現代っ子のハシリ。
向上するとしても、少ししかしない。

だが、一歩間違えていたら、、、という不慮パターンは、誰にでもあり得るだろう。
道を歩いていても、鉄骨が落ちて来る確率や、乗っていた飛行機が落ちる確率と、宝くじに当たる確率はどちらが高い?
アンラッキー事故は誰にでも見舞われる可能性はゼロではない。
その確率を計算するなら、生まれてくる前によくぞ母親の体内で受精卵になり、無事、成長したなあ、、、ということになる。
母親の月々の月経となって排出されていたかも知れない。
キリがない。

たまたま運が良くて、、、といっても、宝くじ以外は、そうラッキーチャンスは頭上から降ってこない。
目標に向かっている途中に女神が微笑んだならわかるが。
不幸のどん底で、藁をもすがる気持ちならわかるが、何も考えず、何もしない段階で、ウマイ話は降って湧いてこない。
多少なりとも動いてこそ、それに関連するものが引っかかってくる。
棚ぼた式は、現実味が薄い。

ちきりんさんほどの多くの人が納得する実績や考察力があるならいざ知らず、わたしごとき吹けば飛ぶような一個人の書くことなど、風にひらひら舞う葉っぱの如く。
なんの説得力もなく、あるのは、自分に対する言い聞かせのみ。
それを自己満足というのだろう。
世界中の誰を説得、納得させるよりも、自分を納得させるのが先。重要だ。

失敗も成功も、今、幸せに感じているかどうか、かも知れない。
夢があるかどうか。
時代の流れもある。
あの時代は良かった、、、なんて言い出したら、今の幸せが指の間からするりと溢れ出そうだ。
若い頃は、良かった、、、当たり前。
老いた今と比較する意味があるのか。

だが、古き良き時代にノスタルジックな想いを馳せるのも悪くない。
自分の幸せは自分で作る。