蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

悪女

2022-12-16 | わたし
若い頃は悪女に憧れた。
蝶ブログにも前に書いたことがあるように思う。

若い当時、憧れの悪女テイストに近いかな?という、その頃の女性コミックを最近読んだ。
ぷぷぷ、、、
笑ってしまう。
昭和ズブズブのにおい〜〜!
ちなみに、わたしのうんと若い頃は、アメフト選手?というような立派な肩パット、ワンレン、ボディコンのバブル時代とかではない。
さらにもっと昔なので。
ファッションで言えばどんなの?
荒井由美の時代???
(それにしても、松任谷由美は半世紀も第一線の活躍はスゴイ。離婚しないのもスゴイ)

まあなにしろ、昔昔々の話。
かと言って、明治の悪女などとはまるで違うわけで。
すぽっと時代の溝に落ち込んだような昭和の悪女に憧れていた。

女子高生の頃は、女子高生が世間の男性たちの垂涎の的だとマスコミなどで聞きかじり、別世界のことだと感じていた。
初恋は、神戸で暮らす、カッコイイ、イケメンだった。
遊び人風なのに遊び人ではなかった当時のわたしの正体をいち早く嗅ぎつけて、遊びの手を引っ込めた大学生だった。
その大学生は、わたしと遊ぼうと思っていたのに、残念でした。
おそらく手を出すと、後々責任がらみの展開になると踏んだのだろう。
悪人の魔の手に触れられないまま、終わってしまった。

どうもわたしには、遊び人に敬遠される雰囲気が漂っているようだ。
かと言って、わたしは、石頭カチカチではないのだけど。
遊べばさぞかし面白かろうと言われたこともあるのに、遊ばれなかった。
真面目にまともに真剣勝負を挑んでくる男性もいたが、わたしが逃げた。
わたし、真面目なひと、苦手なのだ。
(矛盾しまくる話を平気でする)

かと言って、遊び人には距離を置く。
歯が立たないような人、事柄には挑戦しない。
歳を重ね、若さ故の美もなくなり、思い上がりも勘違いも自然消滅し、今はちょうどよいかんじかなと思っている。


序章で、ひと休み

2022-12-15 | 日々のこと
昨夜から読み始めた、お取り寄せ著書。
導入部は、一気に読んだが(プレゼン序章部分)、肝心のノウハウ部分に進むと、読むスピードが鈍化している。  
いつもわたしは、こうだ。
悪い癖。

絵に描いた餅の話は大好きな癖に、具体的にどうやって絵を描くか、という件(くだり)になると、途端に情熱が薄れる。
実はその中身が一番、大事なのに。
過程を疎かにして、結果ばかりを追い求めているということか。
だが、著者が勧める人生時間の楽しみ方は、今、わたしが実践していることと同じ。
入口ややり方は違っても、出口からは同じ道。
なので、真ん中の過程にあまり興味を示さない。

目的だけでなく、目的に辿り着くまでの経過を含めて楽しもう、堪能しよう、という著者の言葉。
目的に向かう家を出た時から、その前の、家で準備をしている時から、もう楽しみは始まっている。
決めた目的のことだけなら、一瞬で終わってしまう。
これは、わたしの今の現状、心情にぴったりマッチする。

実はわたしは目的は何かを薄々悟っている。
それも幼少時から。
なので、あくせくムキになって頑張っている人が目の前しか見えていないのもわかる。
人生の目的を成し遂げることなどないと感じている。
次の目的が続いて待っている。
次から次へと活気があってイイね、なのだろうけれど。
鼓舞しようと自分に鞭打っているようにしか見えない。
それはそれで結構なことだが。

山には頂上があり、登りきってはいけない。
わかっているが、(人は)登る。
が、降りる自分、降りることに労力をかけなければならないことを実感する厳しい現実に直面することになる。
それが嫌なら、登らないで、ずっと歩いていれば良い。
山も谷もなく、ひたすら歩く。
が、メリハリのある自分の一生を自分でデザインするには、自分と向かい合わなければならない。
自分は何を求めているのかを明確にし、それを実現するために大まかにプランを作る。
大きなプランの実践の延長に今日がある。

今日の続きが明日なら、とても幸せだ。
明日、また明日のことを決めたらよい。

著者の人と、ある意味、共通する心境である。
が、そんな心境はある日突然、神様からのプレゼントで天から舞い降りてくるわけではない。
自分でやらないと。自主性のもとに。
神様は後ろからそっと背中を押してくれるだけだ。

と、コーヒーブレイクは終了。
肝心の著書の中味、続きを読まなければ。
休み休み読もう。
のんびりしていたら、ちびっ子たちを預かる時間が迫ってきた。
今日は親なし(両親共に出張)、お泊まり保育(4人も)。
また、ママママ〜と、わんわん泣かれるのかと思うと、顔を見る前からすっかり疲れている。



そわそわ

2022-12-14 | 日々のこと
今日も書きます。

今日、家を出る時、うちの郵便受けをのぞいたら、本らしきものが入っていた。
あ、やっと届いた。
帰ってからの楽しみが増えた。

著者の方はブロガーさんでもあり、毎日、ブログを拝読しているのだが。
著書は有料だから、きっと無料のブログには書いていないような、スゴイことが書かれているに違いない、と期待する。
が、このブロガーさんは、お金儲け主義ではないので、きっとブログと変わらないだろう。
いや、ブログは、毎日更新されているので、鮮度はブログのほうが上のはず。
でも、著書はじっくり練られているから完成度は上のはず。
どっちもGOODのはず。

ちなみに、昨夜、NHK TV 22時からの連続ドラマを見逃した。最終回だったようだ。
かなり落胆した。
草なぎ剛や石野真子、風間杜夫の空気感、良かったのに。
で、今夜は22:45からの夜ドラの最終回。 
今度は絶対に忘れないように見よう!
連続ドラマが毎日の楽しみだなんて、なんて平和なわたし。
晩酌もしないし。
それなりに満足して生きている。



小さな暮らし

2022-12-13 | 暮らし
トップ写真。
この柿の木、他の枝には全く柿がなってないのに、この枝の先に集中して何個も付いている。
バランスが実に悪い。
たくさんの実が一極集中して、ぶら下がっている。
通りすがりにスマホでパチリ。
どんな味なんだろう。
自然のなりわいは面白く興味深い。

ちなみに。
1ヶ月5万円で生活出来るか?
あまりアクセクせず、悲壮感漂わせず生活している人もいる。
さて、シミュレーション。
まず食費。
自分が食べるものといえば、ほとんど買わない。
家族用に買う。
余ったり食べなかったりすると、わたしが人間ディスポーザーとなる。
わたしは食品ロスは許さないのだ。
我が家は頂き物がかなり多くを占める。
実際に出費を伴うのは、生協の宅配。
その中には食品だけでなく生活必需品や衣料品も含まれる。
固定費として、電気ガス高熱費、水道代、NHK受信料、インターネット・ケーブルTV費、固定電話代、、、
家の維持費、メンテナンス、固定資産税、自治会費、、、月割で、それらを食費に加算すると、5万円では収まるのか?
更に、お小遣い、ちょろちょろ。
交通費プラスアルファ。かわいいものだけど。
わたし個人分は別枠なんて枠があるとすると、月にいくらで生活するシミュレーションが正確に行えない。

ところで、うちの食器。
買ったものは、ほぼ無い。実家からのもの。
あとは引き出物やお返しなど、昭和の食器。
その他、景品。
ヤマザキ・キャンペーンの白いお皿、ポイントが貯まると何故か応募してしまう。
そして、ふるさと納税のノドグロが載せられて配送されていたお皿。何枚も貯まる渋い焼き物。
さらに色濃いのは、ここ10年近くは、コンビニ景品、キティちゃん、リラクマ、スヌーピー、、、サンリオがズラリ。
(食器だけでなく、タオルもクッションもエコバッグも冷蔵バッグも。ミニオンも鬼滅の刃も。
家族がコンビニ・ヘビーユーザー)
そんな食器が並ぶ。
食器を愛でながら美味を堪能する、、、というテイストとは程遠い。
たまには、自分が食器を買ってみたいものだ。
ごくごく稀に、それこそ例外的に、近所を歩いていて目についた、お漬物用の中ぶり食器を買ったりもする。が、まあ滅多にない。
日常的に、ワイングラスを食器乾燥機から取り出す時に、よく割る。
家族もわりとテーブルで使いながら割る。
1個100円也。良い方は、1個300円。
もっと良いものは、1個?円。

と、自分から買うものはほとんどなく、日常には問題がない。
人間は、お金を使いたい欲求はあると思う。
ストレス解消だったり、スカッとするようだ。
が、わたしにはない。
使いたい欲求より、使いたくない欲求がはるかに勝ってしまい、省エネ実践者、倹約家と化す。
最小限のコストで生きて行くには、小回りが効く。
小さく暮らすと、何かと融通が効く。

FIRE実践者が、目を見張るばかりのゴージャスな生活をしているかというと、地に足が着いている人が多いように。
小さな生活費が見込めると必要経費、必要運用資産が算出される。
小さく暮らせない人にはリスキー過ぎる。

仕事をしないリスクは、経済面だけではない。
膨大な余った時間をどう使うかだ。
年配者が現役を退くのとは少し違う。
若いエネルギー、時間をどう使うかは、キーになる。
わたしぐらいの省エネ者(ものぐさ)になると、物質だけでなく、運動エネルギーまでカットしたくなる。
が、動きがとろくなるのは避けたい。
かといって、無機質なジムで黙々とマシーン相手に頑張れない。
適度な緊張感は必要である。

運動エネルギーが低下すると共に情熱も低下している?
自分を動かす情熱は持ち続けたいものだ。

お金が(さほど)かからなくて、頭脳もハートも体もあたたまる、そんな活動は?
趣味を持つことかなと。
シニア向けTV番組で紹介されていたのは、身近なところでは散歩。
シニア男性なら料理教室参加なんかも良いかも知れない。
(わたしは料理教室はパス。麻雀サークルならオッケー)
まずは家を一歩出るところからスタート。
アクションは、次のアクションに繋がる。
仲間も出来る。
言うことなし。
励まし合いながら、慰め合いながら、老化と闘う。
お若いFIREの皆さんに関しては、各方面で余熱を活用していただきたい。




あなた任せ

2022-12-11 | わたし
FIREについて自分の場合は?と考えてみた。
そもそも4%で運用していけるか?
答えは、No.
逆に目減りしている。
絶対にFIREになれない。 
運用資産を食い潰して行くパターンは、豊かな気持ちになれない。
膨大な株式資料を読み込み、運用ノウハウを身に着けられるのか?
おそらく証券会社に丸投げし、言いなりになるだろう。
それでもFIREと言えるのか?
大きく見ればFIREだろうが、悪徳証券マンの餌食になるのは見えている。
で、自分独自でじわじわ減らしてジリ貧となる。
が、わたしはそれで良いのだ。
証券マン(ウーマン)は嫌いなので。

金融商品や株に限らず、自分では出来ないくせに、丸投げもしたくない、わたしの人生スタンスはこの路線だ。
信用しない代わりに、丸投げした場合は、全て手放す気持ちでなければならない。
少しでもリターンを求めようとするから見苦しい。
潔よさが大事だ。
丸投げしたら、文句は一切言わない。
どんなひどいことになろうが、紙グズになろうが、任せた責任は自分にある。
それがいやなら丸抱えして、どうにもこうにもならずにジタバタ一人で苦しむコース。
丸投げが、丸抱えか。
真ん中のバランス調整型が望ましい。

なんでも自分でやろうとすると限界がある。
一人で出来る分量や力量、時間には限りがある。
適材適所、分野ごとにお任せするのが良い。
ただし、任せっきりは良くない。
その辺りのさじ加減が微妙である。
が、文字通り何も出来なくなると、任せる以外に方法はない。
選択肢はない。

だが、「任せない」にも、「任せたくない」と「任せることが出来ない」があって、分別が面倒だ。

「任せる」のか、「任せない」のかを任せる人もいる。
こうなると選択肢は無限だ。


FIRE

2022-12-10 | 時事&世の中
バス、遅い。最近、遅い。
どうなってる?
いらいら。
人が足りないのか?
トラブルか?
と思いきや、どばっと高校生が大量に乗っていた。
ドアが開き乗ろうにも、ドア付近はスペースがない。
運転手さんのアナウンスで、どうにか3人分きちきちのスペースを空けてくれた。
が、目の前の、どデカい重そうなリュックに圧迫される。
こんなに混んでいるのにリュックを降ろさない高校生。
自分のことだけしか見えず、想像力が欠如している。
土曜日なのに、テストか何かで学校があるんだろうけれど。
同情は少しするものの、はあ〜、と、ため息。

行きからテンションダウン。
未来ある子供たちなのだが、なんだか心配になる。
勉強は良いとしても、ちゃんとした社会人になれるのだろうか。
社会人でも、人の気持ちが想像できない、汲み取れない人がたくさんいるが。

今、読んでいるFIREした人のブログ。
FIREとは「Financial Independence, Retire Early」の頭文字を取ったもので、「経済的自立」と「早期リタイア」を意味する。

元々は欧米を中心に流行していた考え方で、日本でも注目されるようになったそうだ。

親からの遺産が転がり込んだり、宝くじが当たったり、一生働かなくていい億万長者になったから仕事を辞めるのではなく、新たなライフスタイルの形成らしい。

生活費の25倍の資産を年間4%で運用するルールがあるという。退職金や年金頼りではない。

そもそも4%ルールは米国発の考え方で、米国株式市場の成長率7%とインフレ率3%の差に基づいている。

寿命が長くなって、より長く働かなくてはならない、ちょうど逆のライフスタイル。

そのためには、リタイア後の生活費を計画、予想し、何が大事か、時間やお金を何に使いたいのかを明確にする必要がある。

アーリーリタイアと似たようなものだが、FIREという造語は最近目にする。

アメリカ発の考え方だと、日本で定着するかどうか。

先ずは、少ない支出で生活できる工夫を楽しめたら何よりかなと思う。

月5万✖️12ヶ月✖️25=1500万円

それより40年間、月5万で生活できる?


女性同士の恋愛

2022-12-09 | 日々のこと
今日も書きます。

さて、頭の中がごちゃ混ぜ。
さて、さて、さて。
今日は花金だが、花金は死語?
なぜか、気分はハイ。
限りなく高揚している。
これは、アルコール効果。
家に着く頃は収まっているだろう。

(NHK TVの)夜ドラ、楽しく進んでいる。 
女性同士の恋愛。
今のわたしには、男性も女性もないかも。
自分が中性になっている。
が、やっぱり女性かな?


自分探し

2022-12-08 | ブログ
私が今、興味津々の作家さん。
48歳でアーリーリタイアされた方。(現在54歳、男性)

「お金、地位、美貌」で得られる幸福はたったの10%で遺伝が50%とされている。
が、残りの40%に目を向ければ、幸せはすぐにやってくる!をキャッチフレーズに幸福の啓蒙活動を継続中。
毎日ブログ更新されているが、その方の本も買ってしまった。
届くのが楽しみ。

あえて作家名を書かないところが、わたし流。
わたしは自分の閲覧数を減らしてもいいから、その引き換えに、自分だけの世界に引き篭もれる楽しみを確保できる。
ブログの肝心のところの中味(情報)を共有しない、シェアしないのでは、他の方がわたしのブログを読んでも何の得ることもないのに、わかっていながらリスクを取る。

スマホでも毎日更新されるその人のブログが読めるのに、あえて本(紙で製本)を買う意味は?
しかも、これ以上、モノを増やしてはいけないのに。
さらに、全く読んでいない新古品の本(10年ぐらい前の)が数冊あるのを先日、本棚の中に発見したのに。
(生情報はさすがにら10年近く前だと古すぎる)

ある、うねりだと思う。
自分が変わろうとしている。
人に受け入れられなくても全く平気だったわたしだが、ブログの過去からの推移を見ると、やはり胸に感じるものがある。

ちなみに、2016年夏から冬に書いていた、わたしの別のブログを発見した。
本当は、過去に自分の書いていた小説ブログを探しているのだが、ブログ名を忘れたので探しようがない。
こんな忘却人間になるなんて、過去のわたしは思っていただろうか。
探せなくて絶対忘れるだろうと確信していた(だろう)半年間だけのそのブログをスマホに貼り付けていた。
しかも、IDもパスワードもメモっていた。

ちょっと自分探しの旅に出ます。
(たとえ家から一歩も出なくても)



夜の連ドラ

2022-12-07 | わたし
今日も書きます、性懲りもなく。

わたしは昔から、ある小説の続編を書きたいと思っていた。
本当はぜひ読みたいのだが、作者がとっくの昔に亡くなってしまったため、不可能。

既存のものは、明治〜昭和にかけて3代にわたるヒロイン(祖母・娘・孫娘)が繰り広げる、地方の地域密着型の小説。
そこから、続編として、昭和〜平成〜令和と進んでいく。
NHKの朝ドラには適材かも知れない。
だが、視聴者は高齢者のみで、それ以外の人はウンザリだろう。
今の主流からは完全に離れ、古いのだ。

でもいいの。
別に仕事でもないし、発表するわけでもないので。
(地域活性化には良いかも?)

今、わたしはNHKの夜ドラに熱中。
火曜日のドラマにも熱中。
夜、遅くまで起きていなければならないけど。
ちなみに、ここのところ、NHKはLGBTQがらみが多い。


日本、残念

2022-12-06 | 日々のこと
サッカー、残念でした。
夜中に、「やったー!」だとか、「残念!」だとか、「ヤバイよヤバイよ」だとか、一人で発声。
一人なので「つぶやく」と書きたかったが、もっと熱気があり感情がこもっている。 
「叫ぶ」は誇張表現になる。
なにしろ、はらはらドキドキ。
初めてまともに、真面目に、真剣に、試合を見て感情移入した。

皆さんの観戦ブログを読み、なるほどと感心した。
観戦の仕方、ノウハウ、経緯、観察、考察、深いものがある。
自分の人生と重ねて回想されているブログがあり、感動した。
と、同時にわたしのブログの拙さを実感した。
それにしても、皆んな、すごい!!