蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

つまらない独り言が、なかなか終わらず往生している

2023-01-18 | 時事&世の中
人口世界一が変わるようだ。
中国からインドへ。
どちらにしても、10億人超え。

中国、人口減少の理由は一人っ子政策の影響と、結婚しない人が増えたこと。
「結婚しない」には2通り。
結婚できない、と、結婚したくない。
自立した若い中国人女性がTVニュースで取材されていた。
自由を結婚や子育てで奪われたくないそうな。
「日本の数歩、後を行く」と、ニュース司会者(有働由美子さん)がぽろっと言っていた。
日本はあれからまた少し変わったが。
社会整備されないと、理論ばかりではなかなか理想の道には進めない。
中国は年金制度が整うまで高齢者たちは苦労することだろう。

子供を能動的に選択して持たない人は、以前は非難の目を向けられていたこともある。
今の時代なら過去のそれらの人たちは、子供を持ったかも知れない。
自主的に選び取った勇気ある選択であったとしても、ある意味、時代に翻弄される部分がないとは言えない。

社会の風や体制が後押しして、追い風になるか、それとも逆風になるか、生きた時代によって生きやすさ、生きにくさが違う。
なにごとも先人は大変。
その苦労の後に我々がいる。
時代の運、不運もある。個人の運、不運もある。

時代は進めば進む程、良くなる場合も、良くならない場合もある。
いつの時代もその時代でどう自分が生きるか、だ。
しかし、昔、SF小説や映画で観たようなことが現実的になりつつあり、驚くような恐いような。
科学の発達、進歩、進展には、歯止めをかけたほうが良い、倫理上の問題もある。
人の遺伝子や生命をいじくっても良いものか。
人口数を極端な方法で加減するのは避けたい。

が、人口は国力、マンパワーはエネルギー。
未来にも繋がる。
日本は明治の初期は3340万人らしい。
直近の100年で3倍に。
急激に増えたが高齢化の波も急に押し寄せた。
医療が進歩しているので、高齢化は進む。
少ない若い世代は、多くの高齢者を支えるのはハード。
自分も高齢者なので、複雑な気持ちになる。

と、だらだら、専門性のない薄い内容。
更なる深い追究は専門家に任せて、と。

わたしが脳に響いて同調したのは、有働由美子さんの一言。
「日本の数歩後を歩く中国」
同じなんだと、驚いた。
と同時に、人は進化したりすると同じコースを辿るということか。
戦争は絶対にやめてほしいが、同じ過ちを繰り返すのも歴史。

さて、今日は発注していた書籍が届いた。
またゆっくり読もう。
ではあるものの、少し仕事をしなければならなくなり、ちょっと気が重い。
しなくてもどうってことはないのだが、わたしのこだわりがあるので、見て見ぬフリは出来ない。
面倒だが関わることにした。

だらだら、面白くもない低温の独り言が続き、まとまらない、、、
終わらない〜




溢れるまで

2023-01-17 | わたし
幸福論を唱えるブロガーさんがいる。
ふむふむと納得の話がずらり。
が、一つ気づきがあった。
お腹一杯ではなく、腹八分目が満足の肝だとは昔からよく言われている。
が、そのブロガーさんはどの分野も成功を収め、高い場所からの風景を見た経験があり、腹十分を味わったことがあるから言えることかも知れない。
常に10を求めず、日頃は8で満足せよ、とのこと。
太く短くか、細く長くか。
あらかじめ分量は決まっているように思う。
分量を拡大、伸ばすには、継ぎ足すのは無理かも知れないので薄める?

昨夜、山中伸弥先生のiPS細胞の話をTV番組(NHK.23時〜)で見た。
熱い俳優・織田裕二がナビゲーター的な役で出演、クリエイターもコメンテイターで出ていた。
織田裕二が熱く語り過ぎていて、「わかってんの?」とヒヤヒヤ老婆心で見ていた。
山中伸弥さんが、ニコリともしない、淡々とした無表情で語っていただけに、余計に不安になった。
番組の中でヒートアップするには、よく医学を熟知してからのほうが良い(無難)と感じた。

山中伸弥さんが、ずーっと考え続けていた研究内容を、ふとシャワーを浴びている時に「これだ!」と閃いたというエピソードを披露された。
シャワーが良かったわけではない。
凡人は、真似して煮詰まったらシャワー!!
と、飛びつくかも?
水温は何度、水流の強さ、水質、シャワーヘッドのメーカーも参考にしたりして。
と、これは全く面白くもなんともないダサダサの趣味悪ジョークであるが。

何かの拍子に溢れるということ。
自然な流れ。
逆に、煮詰まったら、最初からやり直すと良いみたいだ。
ある執刀医が、オペ途中でうまくいかなくなったら戻ってやり直すとうまくいく、と言っていたが、執刀医本人以外、患者さんには全くわからない。
(テレビドラマなんかでは、モニター越しに大勢のスタッフが凝視している中で手術が行われているのを見たことがあるので、スタッフにはある程度わかることもあるかも知れないと想像する)
が、結果良ければ全てよし。

熟考すれば、何らかの結果は出るということ。
良い答えか良くない答えかは、後になってわかる。その時はわからないと思う。
歴史を見てもそう。
後付けの意義。意味。
リアルタイムで出した答えと、時代が移った後からの答えは違う。
そういうものだ。
けれど、いずれにしても時は流れる。 
自分が生きている間しか時の声や風には触れられないけれど、自分が知らない未知の世界を残すのもオツかも。







嫌な思い出、良い思い出

2023-01-16 | わたし
むかむかと込み上げてくる黒煙。
で、つい書かなくてもよいのに書いてしまう。
吐きます。
あ、そんな人となんで関わるのかワカラナイわ、イヤならやめればいいのに、という、パンがなければケーキ発言(コメント)は、私を暗闇に押し込めるため、こころの中だけに留めておいてください。
日記は一種のセルフカウンセリングなので。
というか、そのコメント女性(別SNS)に、逆ギレしている。
出来ないから嘆いているのに、「なぜしないの?わたしはしていますよ」と、神経を逆撫ですることを悪気なく言う。
悪気はないのはよくわかるが、深い配慮や思いやり、相手の気持ちに立って考える想像力が欠如している。
立てないには理由があり、足がない場合もあるわけで。

反対意見をシャットアウトする気はない。
自分の気づきやヒントを得る可能性を閉ざす。
が、理解されずに否定され上から目線というのは、いかがなるものか、、、である。
たんに感じたままを書いているのだろうけれど(別サイトです)、クシャミが出そうで気持ち悪いから思いっきりクシャミをする、なんでそれが悪い?の感覚だろう。
相手の気持ちには一向にお構いなしで自分の思いをぶつける。


と、インターネット社会には有りがちなことであり、イヤならネットを遮断すべきである。
メリットもデメリットもある。
リスクを取らないことは、安心安全過ぎて無菌室はなんの面白味も手応えもなく、スカみたいなかんじではある。
なので、反対意見はwelcomeである。
なぜ反対なのか、根拠がハッキリ示されていると尚welcomeである。
発想の転換や、ヒントが隠されている場合がある。

と、賛否両論をまず書いて、、、
気合い、いっぱい、体幹整えスタンバイ。
さ、行こかー。
(記事は、ほぼ前書きだけで終了している、、、)


趣味関係の元練習相手A。
今だに脂汗が出る思いがある。
わたしが悪い、わたしが悪い、わたしが悪い。
あんな風になってしまったのは、自己主張しなかったわたしが悪い。
意見をはっきり言わなかったわたしが悪い。
責任はわたしにある。
コミュニケーション能力のないわたしの招いた結果。
自己責任で結果を受けなければならない。

が、わたしにもポリシーがある。(ここで反論)
口に出して言わないとわからないようなことを、幼児じゃあるまいし、わざわざ説明するのは終わっていると思う。
人として当たり前で常識だと感じていることが、わたしとAとではズレている。
わたしは長年、よく頑張ったものだ。
ある意味、悪い時間の積み重ねだった。
辛抱すればいい、ってものではない。

しかし、失敗を活かさなければ意味がない。
せっかくの学習能力を得るチャンスだ。
反省し、次に活かす。
そうでなければ怨むばかりでは、執念、怨念の塊、怪談の幽霊みたいになる。
じめじめ暗くて鬱陶しい。
マイナスをプラスに活かしてこそ、生きた教材だ。
そのマイナスエネルギーをプラスエネルギーに強力パワー変換してこそ、人としての性質が底力が問われるところ。
益々さらにマイナスエネルギーをマイナスに増幅増長させる人もいるようだが、、、生まれつきの性質の違いか。
これもマイナス底力か。

マイナスな人は、おいといて。
わたしは、うなされそうになるぐらい、嫌な思い出が頭から離れない時がある。
が、良い時もあったはずだ。
経験としてどんな素晴らしいことでも悪いことでも最後が良いと、脳は「良い」判定するらしい。
そういう実験結果で実証されている。
なあんだ、直近の記憶に新しいことが、感情的に身近なものとして残るのか。
昔の古き良き時代、自分のピーク時の思い出が忘れられない人もいる。
自分の中でにんまりニコニコして収まるか、同時代を同じ場所で楽しい思いで生きた人と昔話をシェアするかして、当時の幸せ感に浸るのも良いだろう。
ただし、誰かれなく昔話をして嫌われないように気をつけなければいけない。 
嫌われても良い場合は、自己責任で楽しい時間を過ごしていただきたい。



憂鬱なコロナワクチン

2023-01-15 | 日々のこと
ぼそぼそ独り言。

昨日、コロナワクチンの注射をした。
前回、めちゃくちゃ後遺症が出て重症だった。
なので、すごく憂鬱だった。
頭の上に重いモノがずっしり載っている気分。
打った瞬間は全く痛くもなんともないのに、やはりじわじわワクチン「敵」が忍び寄る。
味方なのか?敵にしか思えない。
今回の後遺症としては、体調不良に加えて、腕が痛くて上がらない。
もうイヤだ〜。
第8波らしいので仕方ないか。
「痛い、痛い」と(こころの中で)泣いているわたし。

その割に、趣味の練習に出かけている。
ほんとにいい加減なものだ。
後遺症が益々悪くなる不安はないのか?わたし?

だが、日曜日、在宅の夫の大音量のTVにお付き合いするのはとても苦痛なので、別々行動はお互いベストな休日の過ごし方。
円満コース。
夕方に長女一家とウチで合流。
今日は手作り焼き餃子。
良い休日の〆となる。日曜日のメリハリ。
皆んなニコニコ、別居のススメ。
だが、条件的に出来ない人もいるだろう。
その人はその人でまた自分の道を見つけていただく。
皆んなそれぞれ人生は違うから。答えは同じとは限らない。

まだコロナワクチン後の注射した方の肩が痛くて上がらない。
服を着替えたり日常生活に支障をきたす。
が、前回よりは後遺症はマシだった。
やれやれ。
(打たない選択肢もあったが、打った)
が、どうにか終わった。やれやれ。
持病を抱えている人は、大変だろうと想像する。
病気はこころを支配する。



地味な暮らし

2023-01-14 | 暮らし
淡々と粛々と、面白くもなんともない日記を書く。

仏教系の色合いのある教えは、わりとすんなりこころに響く。
先入観からではない。
おそらく知らないうちに自然に、身に入っていたのだろう。

仏教は、何もしてくれない。
なぜなら、そのまま、ありのままを受け入れるわけで。
スーパーマンが突然現れて救ってくれるわけではない。
元々、「多くを望むな」というかんじか。

昨夜、40年前に建てられたアパート住民たちの72時間を撮影した番組を観た。
造船業が盛んだった大阪市住之江区。
(あいも変わらずNHKテレビ)
前から見たかった内容。
人は余計な贅肉を削ぎ落とされると、シンプルな生活になる。
断捨離やミニマリストとか、そういう時代の流行りに乗らされたような生き方がもてはやされていると感じる。
いかにも自分で考え選んだかのような錯覚に囚われている場合もあるが、いっそ選択肢がないほうが、なんだか純粋のように感じる。
有無を言わさず。
何十年も同じアパートに住む人々が助け合って暮らしていた。

朝から集会所でお酒を飲む60代男性。
明るい、綺麗な歯をした人だった。
(入れ歯かも知れないが。綺麗すぎる場合は、義歯はよくあること)
九州?だったかの7人?きょうだいの末っ子で中学2年の時に父親を(病気で?)亡くしたそうだ。
酒飲みで博打好きの、どうしようもない父親だったらしい。
お母さん、苦労しただろう。
わたしより歳下の男性なので、わたしは当時高校生か。
わたしは同じ時代を生きているにもかかわらず、全く接点はなかった。
法制度や福祉も同じ時代。
時代が違うからわからない、とは言えない。

そう言ってしまえば、今この瞬間に同じ時間を生きている人とも、接点がない人がほとんど。
時間は同じだが、場所が違う。
あるいは出没時間が少しズレて、平日と休日とで違うだけで、顔を合わせないこともある。
(例:通勤、通学の人々)

時間を問わないインターネットで知るぐらいではあるが、このインターネットはまたクセモノだ。
未成年が悪い大人に引っ掛かって被害者になるかのように、高齢者がこれまた詐欺師に引っ掛かるのも、手段は電話だったりするが、今はスマホも参入しているかも知れない。
自分は大丈夫だと思い込んでいる人ほど、危険性が高いらしい。

インターネットでしっかり知り合うのは、わたしの場合、30年間に2〜4人ぐらいなので、詐欺師から見ると騙す対象人数が少な過ぎて話にならない。
時間と人数の効率が悪すぎる。
しかも、知り合ったのは詐欺師だった経験はなく、皆さん、善良な市民。

それと、不思議なのは、、、
わたしの場合、時代遅れの環境にいたため、昔はお見合い結婚だったが、娘たちは(親や親戚、職場関係者など他者の尽力による)お見合いではなく、自力結婚。
さらに、その相手や背景も似たり寄ったり。
お見合い結婚でもないのに、環境の変化はほぼないところに驚く。
類は友を呼ぶのだろう。
大きな摩擦もなく、無事に行っている。

自力恋愛結婚ではない、ネット見合いの甥も、すんなり行っている。
やはり価値観に共通するものがあり、行動が似ているのか。
派手さは全くなく、地味で堅実なように思う。
そう書くと読む人はなんの刺激も面白味みも興味も得られず、またまた閲覧数が減少するのだろう。
これも自然の成り行き。

ちなみに、またまたお気に入りブロガーさんが薦める本を注文してしまった。
近々配達され、わたしのヒマを潰してくれることだろう。
解脱しそこねた、お若い(わたしの子供世代の)元僧侶の仏教思想も入っていると思われる本。
しかしながら、お薦め本をどんどん買うと、ブロガーさん、儲かってしまいますね。
まあそこは、お賽銭感覚で。(失礼な物言い)
また良書を紹介していただきたいものである。


人工的アップデートの顔

2023-01-13 | わたし
全く異なる価値観と出会う。
異次元の世界。
赤の他人であり、共通するものはまるで無い。
が、今を同時代にリアルタイムで生きている接点はある。ただそれだけ。
生きていた時期が重なる。
距離感はとてつもなく大きく遠いが、時代の動き、波を感じる。

犯罪に手を染めたり、道徳や倫理観が著しく欠如していたり、人に迷惑をかけないのであれば、他人の価値観は否定しない。
共鳴はしないが。
ただ、価値観が違うと、こうも違うのかと驚く。

具体的に言うと、美容整形。
サイボーグのような、ロボットのような、よく似た顔が量産される。
なりたい顔になる、、、んだそうだ。
ファッションと同じ。
着たい服を着る。

服なら簡単に着替えたり、人の服と交換したりできるが、顔はそう簡単にはいかない。
アップデート20回?の女性タレントが、自分の整形変化を売りにしている。
ごろっと違う別人顔になっている。
別に、整形だけが特技、特徴ではないだろうけれど、その人が世に出る知名度が上がった直接のキッカケは美容整形。
民族アイデンティティさえ変えるかのような顔の劇的変化、上書き。
全く別の違った人種になりたいのはわからないでもないが。
マイケルジャクソン然り。
ただ、彼は、歌、踊りがベースにあってこその「整形」。

日本人やモンゴル系の顔が嫌いな日本人がいても、しかも多数いても、個人の自由。
西洋人の顔に憧れても、個人の自由。
志向や嗜好は、教育や環境からの影響もあるだろう。
顔にメスを入れ、痛みや腫れに耐え、手に入れる、お気に入りの顔。

整形20回アップデートの女性(芸能人?タレント?)は、見かけを常に内面と同じにしたいそうだ。
今日は白人、明日は黒人、明後日は黄色人種、、、となると、多重人格の人はややこしい、忙しい。
いっそ、すっぽり頭から顔ごとカバーにして、ころっと被ったり外したりしたらどうか?
本人は納得いかないだろう。
皮膚ごと、骨ごと交換したいだろう。

美容整形は常にメンテナンスが必要だから、定期検診みたいに一生のお付き合いとなる。
その覚悟が必要。
途中で嫌になっても投げ出せない。
健康やお金が尽きたら?
若い時はいいけれど、歳がいくと身体もこころも価値観も変わる。
これは「年寄りの冷や水」的発想か。
その時はその時の顔にアップデートするのだろう。

健康なのに痛い目をして、時間、労力、お金を使い自分の満足を得る。
わたしには全く価値を見出せない。
ただそれだけのこと。
自分の満足を追求するためにやっていることであり、他者の思いは関係ない。
評価を求めているものでもない。
その他大勢の中の一人であるわたしの感想は、、、何が良くてそんな苦労するんだろうね、ご苦労様、、、である。
人の価値観をけなすのは、良くない。
理解できないだけである。
まあ頑張ってね、自分がそれでよければ。
(わたしは全く価値を認められないけど)。

「自分自身が個人的に価値を認められない」、、、という表現、差し障りない言い方に留める。
2ちゃんねる的な言い方のほうがストレートでわかりやすく、胸に刺さる。
が、やめておく。
それも、わたしのポリシー。
自分の胸の中だけで思っておく。

その人は、これからアップデートした顔に相応しい内面をアップデートするらしい。
(順序が逆だったか?)
アップデートした内面に相応しい顔にアップデートし続け、常に止まることなく進化を遂げていくとか。
どんな内面なんだろうと、かえって興味深い。
顔はもっと興味深い。



直感を磨く

2023-01-12 | わたし
FAIR(アーリーリタイア)した人のブログ。
その記事の中で、全くわたしと同じ結論に到達したことがある。
それは、、、
頭で考えた理性での行動より、感覚、直感で行ったことのほうが、良い結果を招くということ。
迷って考えるより、考えないで迷わないほうが良いらしい。
(※が、良いと感じるのは自己解釈であり、頭で考えても考えなくても同じ、ということのようだ)

自分で決めたと思い込んでいるが、実は既に決まっていることなんだそうな。
意識して考えたわけではなく、無意識でやったこと。
こういったわたしの説明は自分では理解しているのに、人にわかるように説明できない、幼児のごとく。
いかにもアタマが悪い、キレの悪い人の典型になってしまっている。
ただの思い込みや勘違いではなく、科学的実験によって証明された、理論的裏付けがある。
そこで、当のご本人ブログから引用させていただく。

・・・
多くの人は頭で考えてもわからないのに、何も考えず感覚に頼れば正しい答えを導き出せるのだ。
これは時として、熟慮を繰り返すよりも直感に従った方が正しいことを意味し、似た実験は他にもある。
さらに大胆にいえば、「人に自由意志はなく、脳の揺らぎで勝手に起こした行動を、自分の意志だったと勘違いしているだけ」という、本ブログで時折書いている説を裏付けるデータともいえる。
多くの行動は自分の考えや意志とは関係なく、脳が勝手に行っている。僕らはそれを「自分の意志で行った」と錯覚しているだけなのだ。
・・・

やはり、かなりわかりやすい。
具体的な(専門家の)実験結果を紹介しながら、納得できる説明になっていた。
じつは、これと同じ内容のことを知人Aさんから聞いたことがある。
結論としては全く同じことだったので、わたしとしては2度目のレクチャーを受けているかのような、再放送を見ているかのような、そんな感じだ。

そしてAさんは、わたしこそが感覚人間だと指摘した。
考えているのではなく、直感で進んでいて、それが正しい道だったとのこと。
わたしは一生懸命熟考し、苦しみ悩み試行錯誤した結果、今の自分があると自負していたのに、そうではないらしい。
一笑に付された。
まあそう言われてみると、ムキになって反論するには至らない。
そうかも知れない。
考えても段々わからなくなって眠くなるか飽きてくるか、途中で投げ出すことが多い。
明日、続きを考えよう、と。
明日になったらすっかりそのことは忘れて、明日また別の案件に取り掛かる。
生活に追われる。
ただし、〆切があるものに関しては、わからないままお尻に火が着いたまま適当に答えを出すか、考えるのが面倒な時は、一番最初に頭に思い浮かんだことを採用する。
叩き台として原案を作り、改善、改良したり手を加えない。
一向に進まないか、わからないまま答えを出すかのどちらか。
1かゼロか。コンピュータ記号脳。

知人Bさんは、全くといっていいほど考えない。
自分が取る道を選ぶ時、とりあえずコースを具体的に調べて(値段や時間、方法)、調査が揃ったところで、即座に1秒で選ぶ。
それが自分の身体にメスを入れる大事な局面、病気や治療のことであっても。
この人、考えてないなあと驚いたが、あれはあれで考えているのだろう。
自分のことは自己責任でやっていただいたら宜しいが、他人が関わってくるとそうはいかない。
話し合ったり、調整したり、アイデアを持ち寄ったり、原案を元に、作り上げていくコースがまるっきり無い。
そんな人が身近に何人もいる。
一緒に作り上げないとしても、提案したり、せめて説得するなり納得させるなりの根気がいるプロセスは必要だと思う。
全面おまかせは、時と場合によっては良くない。

と、話が逸れている。
逸れついでに。
ちなみに夫はおまかせタイプ。
楽ではあるが、他者とのすり合わせや調整をした経験が皆無。
考えることや作業が苦手。
結果だけが欲しい。
一方的にまかせるか、一方的に独断で有無を言わせず決行する。
彼の育成歴で親と揉めた経験がないからだ。
いつもアスファルトの舗装された道。
石ころゴロゴロは、ママが排除する。
坊やが転んだら大変だから、と。
で、すくすくとケガのない坊やは大人になった。
ある意味、汚れていない。
折衝したり、交渉したり、そういう機会がなかった。
そして、なんと!社会人になってからも!!

唯一、手を焼くとしたら妻に。
ソクラテスは悪妻がいたからこそ、考える力に磨きがかかった。
が、夫は悪妻に対してもどうこうしようと思わない。
世の中、いろんな現象がある。森羅万象。

と、(蝶ブログにおいて)どこか少しでも愚痴る機会あらばと狙っているわたし。
いつの間にか、科学実証の話が個人攻撃に、、、。
愚痴と悪口は、最高に楽しいのは何故?
直感を磨くには悪口は欠かせないのか?
いやいやそれはないだろう。
ソクラテスに聞いてみよう。






深夜の退屈

2023-01-10 | 日々のこと
今日は好きなことを書く。
いつも好きなことを書いているが。

6日前から気になっているブログが、なんだかあまり好きではなくなってきた。
じつにいい加減だ。気分屋のわたし。
簡単に出会うものには、簡単に離れる?
やはり、長い時間の積み重ねで見守ってきたブログは安心して読むことが出来る。

わたしは、へんな、どうでもいい、わたしなりのこだわりがある。
そのせいで、ヘンコになっている。


と、それはそうと。
NHK TV「大奥」と「ワタシってサバサバしてるから」を見た。
「わたサバ」は、コミックで先に読んだから、中身は同じ。
コミックのほうが面白い。
実写版は、やり過ぎ、作り過ぎの衒い(てらい)を感じる。(個人的感想)
ちょっと疲れるかなあと。
TVより以前に既にネタバレ。
「大奥」
これも原作はコミックらしい。
スカッとするが、着物で暑いのか、ヒロイン冨永愛がちょっと顔がテカっているように思う。
初俳優業となる彼女、キャストとしては大胆な起用。
これからも活躍してほしいけれど。

クローズアップ現代で沢木耕太郎さんのドキュメンタリー本の紹介をしていた。
毎日同じ行動の繰り返しで満足する、足るを知る人生を極みとしていた。
波瀾万丈の人生の後半は、静かな何もしない、何もない毎日こそを愉しむ。
なるほど。わかる。
わたしは目指さなくてもすでにその境地。
ただし、人生の前半も何もない。
つまり、一生を通じて何もない。
それが、幸せだと感じるわたしは、いったい何?

同じくNHKで深夜1:10から「認知症の母と脳科学者の私」の再放送があるのだが、待てないので寝る。
録画すればよいのだけれど、面倒。
そもそも、「認知症の母」を世話する側だったわたしが、「認知症の母」になって世話される側に転身スライドしつつあるので、番組を辛くて見られない。
というか、認知症に対してあまり興味がなくなってきている。
認知症の実態をかなりよく知っているからか。
これ以上、知りたくない、というか、知ったところでどうしようもない。
今夜、昨夜、と2夜、Eテレで認知症特集をしていたが、身につまされる。
いずれ来る道、そこまでやって来ているような気がしている。
なんて書くと、ブログ閲覧数はまたまたガタ落ちだろう。
あと10年は持ち堪えて欲しい、わたしの脳みそ。




無防備の罠

2023-01-09 | ブログ
わたしがつい最近、6日前ぐらいから興味を持って拝読しているブログ。
つい、コメントを寄せてしまい、返信がないので今しがた自分のコメントを削除した。

このブロガーさんは、本来、2チャンネルあたりに(もちろん匿名で)出没されるタイプかと想像する。
なぜなら、ホンネと実情をリアルに語りすぎておられるからだ。
無防備であんな内容を不特定多数の人々に曝け出すのは無謀で危険。
還暦を過ぎたとのことなので、社会的知識はお持ちかと思うが、あまりにもお坊ちゃま。
悪い人が寄ってきたらどうするつもりか。
逆手に取って、悪い人を引き寄せて騙す、という手もある。
わたしは基本的には自分で明かす社会背景だの、肩書きだの、環境だのを信用していない。
まともな人は見ず知らずの人には自分を公にしない。
選挙にでも立候補するならいざ知らず。
が、こころの声は、直球で伝わるものがある。

というわけで、そのブログ、毎日、リアルなこころの声を楽しみにしている。
ドラマよりドキュメンタリーはリアリティがあり真実味がある。
が、わたしは他人の不幸は願っていない。
静かに応援している。


※写真は、若き日のわたし、、、のわけがなく、グレース・ケリー。



パワー微弱

2023-01-08 | 日々のこと
やっぱりわたしは自主性がない。
強力に圧されないと動かない。
昨夜、布団の中で仰向けスマホでアップしたような、今日、明日の行動、、、計画倒れの予感。

行っても行かなくても、してもしなくてもよいことは、必要性やモチベーションがないと、やる気を起こせない。
一緒に行こうと誘われていても、強く圧されず半ばわたしの自主性に任せるカタチだと、ずるずる行動に移さない方向に流れてしまう。
えいやっと決断する(スイッチをオンにする)瞬発力が必要だ。
慣性の法則、以前のままでいたい、動きたくない、と、エネルギーを出すのを惜しむ、易きに流れる傾向にある。
ひたすら、動きたくない、強力なアンチパワー。
そのくせ、何もしないままで長時間過ごすと後味の悪い後悔が押し寄せる。
めんどくさいけど、えいやっと行動に移すキッカケを自分で作り上げなければ、何も動かない。

冬は、こたつに、ミカン。
そういう過ごし方はよくわかる。
こたつから出にくい。エネルギーもさることながら、ぬくぬくが気持ちよく、寒いのは嫌、、、となる。
が、わたしは布団系のものは使用していない。
床暖房に食卓と椅子。あとは、ドリップコーヒー。
よっこらしょと座位から頑張らなくても、高めの位置の椅子だからすっと立てるので障害物もなく、動くのに、エネルギーは要らない。
にもかかわらず、、、
何?この、めんどくさがりようは?

わたしの自己分析によると、、、
「オフ」である。
オンとオフがあり、今はオフなのだ。
季節の問題もあるが、今は何も動きがない。
①精神的②行事的③義務的④ビジネスがらみ⑤身に降りかかる偶然的事項、、などなど。
オフを続けすぎると、急にオンのスイッチを入れても動かなかったり、トラブルが生じたり、円滑に行かない。
昨年後半はその皺寄せがどっときて、かなり慌てた。
なので、適度にオンとオフを混ぜて行動しないと、スタンバイ維持にはそれなりの微弱であるものの力が必要。

と、入力しながら、とりあえず、今日のお出かけはやめた。
なぜか、夫がちょっと(30分?)出かけた。不思議な微妙なバランス。
さて、明日はどうなる?
朝が早いから、今日から気力をスタンバイすることになるだろうから、たぶん、行かない。
なあああんだ。

とかなんとか、冬籠を楽しんでいる。

と同時に、最後まで全く中身のない本日のブログ記事を読んでいただいた方には申し訳ない気持ち。
傾聴お疲れ様でした。


あ、最後に。
もっとどうでもいい追記。
今、別SNSで初めてそこで日記をアップしている還暦を過ぎた男性がいる。
まだ5日目ぐらいだが、毎日更新されている。
初めて親元を離れる男性で、自由に使っていい1500万円を弟さんから渡され、今から自活、自立の道に入る。
貸アパート物件探しから始まり、面白い。
食事時にはお母さんから「ごはんが出来たわよ」と呼ばれる、生まれてから今までずっと続いていた実家暮らしに決別し、独立するそうだ。
夢が広がっているワクワク感が伺える。
自立が確立され一人暮らしを謳歌できた矢先、お母さんの介護に呼び戻される可能性は否めないが、まだお母さんが元気なうちの、貴重な今しか出来ない体験!!
応援している。