蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

全く何もしないオフタイム

2023-01-07 | 日々のこと
今朝は去年12月に出し忘れた、紙ゴミとアルミ缶ゴミを2ヶ月分出した。
たくさん大量にあった。
年末から年明けにゴミを持ち越していたため、年越しゴミが無くなり気分がスッキリした。
12月初旬に出し忘れたまま、次女一家は3回も我が家を訪れた。
古紙ゴミの多い家だと次女婿に思われたことだろう。
お歳暮の季節でもあり、頂いたお歳暮の空箱紙ゴミはどんどん嵩張って行った。

今日したことと言えば、それだけ。
あとは、じーーーっと椅子に座っていた。
お尻に糊が付いているかのごとく。
自分の昼ごはんと、夫婦分の夕食を作り片付けた。
TVを観ながら居眠りし、お風呂に入って寝室、布団の中で、仰向けスマホタイム。
何もしない、100歳の日と同じ。

今日は半ドン(=仕事は半日だけの意味→死語)、明日、明後日と、丸々どこにも出かけない夫と一日中、顔を合わせるのは、うんざりする。
なので、成人の日は、わたしはかなり早朝からお出かけすることにしようかと思っている。
遠方まで、企画もの団体さんウォーキング。
参加費1000円、気軽、健康に良い。
たぶん、歩けて気力がある限り、行きたいと思う。
集合場所から解散場所まで16キロのウォーキングなので、万歩計は何歩をカウントするだろう。
(家から2時間の場所に現地集合)
別の日の25キロウォーキングも誘われているが、行かない。
別にわたしは上を目指して果敢に挑戦するタイプではない。
ウォーキングに力を入れる気はほぼない。
平坦な生活のちょっとしたアクセント、彩り。

夫は朝から飲んで寝てTVやビデオを観て、寝たり起きたりの一日だろう。
まさにオフそのもの。
とてもそんな部屋の空気が循環しないグタグタには付き合い切れないので、わたしは新鮮な空気を吸ってウォーキング。
(ただし、参加するかどうかは、まだ未定)

次女のお婿さんは、仕事が休みの日も出かけるらしい。
家でじっとしていない。
わたしは一人で家でじっとするのは大好きなのだが、同じ家の中で、飲んで寝てTV番人の酔った人と濁った空気で煮詰まりたくない。
それだけ。
悲鳴をあげる側であるわたしが、別々に過ごす努力を積極的にしている。

かつて流行った「ワシもワシも」と濡れ落ち葉夫族は、今はどうなっている?
夫はまだ仕事をしているので、休みは休養が必要なようだ。
ゆっくり身体もこころも望むままに休めるのがよい。
以前は休みは必ずゴルフだったのに、歳のせいか、あまりゴルフに行かなくなり、家で寝たきり老人となっている。
リタイアしたらどうなるのか、うっすら想像が出来るだけに末恐ろしい。
夫はわたしが仕事をやめさせてくれない、と誰かに言っていた。
わたし、そんなこと言った記憶は全くない。

わたしも身体がしんどくなったら、遠方まで長距離ウォーキングはおそらくしないだろう。
そんな元気はない。疲れるだけでマイナス。
元々、インドア派で、体育系ではないので。

さて、明日はどうしよう。
ちょっと頭に浮かんだプランがある。
長女一家が午後から来るが、夫が在宅だし、趣味関係のお出かけをしようかな。
それはそれで、また楽しそうだ。

なんのオチもない記事になってしまった。
明日は明日の風が吹く。
なんだか、だらだらしそうな悪い予感。
夫婦揃って同時澱み空気か。


お賽銭は?

2023-01-06 | 日々のこと
見た目について。
次女のお婿さんAは、煮物をする時、アクを取るタイプらしい。(長女のお婿さんB曰く。
Aは見た目を気にしそうだから、とか)
長女のお婿さんBは、気にしないタイプ。
しかし、わたしは、次女のお婿さんAがアクを取る(タイプだ)としたら、見た目はさておき、味への影響だと思う。
そう意見を言いたかったが、余計なことを言っても、その場にいた全員何の得にもならないので、こころの中だけでつぶやいた。
姑根性だと取られても心外だし。

さて。
初詣。お賽銭。
100円玉をいっぱい夫は用意する。
姑もそうだった。
お詣りする人数、全員の分。
あちこち神社仏閣をハシゴし、同じ神社やお寺内のお賽銭箱もハシゴするので、100円玉はじゃらじゃら、ずっしり。

今年、おやと感じたのは、長女のお婿さんBが100円玉を受け取るのを辞退したことだ。
自前で賽銭箱へ。
Bの子供(わたしの孫)たちの分は、少し部分的に自前?
何故なら、夫はあらゆる先々に設置されたお賽箱にお賽銭を入れようとするが、長女のお婿さんBは自分がチョイスした賽銭箱に入れたいだろうと思う。
そのBの選にもれたお賽銭箱には、夫の100円玉が入れられる?
これを見て、わたしは感心し、気づきを得た。

お賽銭は、自前でなければ何の意味もないのではなかろうか。
わたしや子供たちは、姑がいる時は姑からお賽銭箱がある都度100円玉をもらい、夫にバトンタッチしてからは夫からもらう。
神様は、実質的に誰からもらっても誰が払おうが、総額が全て?
わたしが夫からもらったお賽銭を入れないと仮定すると、夫がわたしに渡す予定のお賽銭を夫が2人分入れると、願いが叶うのは夫で、しかも2倍効果があり、わたしは願いが叶わない?
自前の自腹お賽銭を入れたら願いが叶う可能がアップする?
神様は、サンタクロースのように、皆んなの願いを叶える役。
サンタさんのほうが平等かも知れない。
なぜなら、サンタさんはお手紙は受け取っても、お賽銭箱はないから。
ひょっとして、自発的に払いたい人向けに振り込み口座があるのかも知れないが。

お金で願いは叶うとは思えない。
が、お賽銭は神社の修復やメンテナンスや人件費に、有効に役立ってもらい、1日でも長く神社を維持してもらえば良いのかも。
サンタさんは、代行を親がやっているケースが多いので、例えばスケボーをプレゼントしてほしいと願ったら、肘当てや膝当てのプロテクターまで付いてくる気配り。
神様はそこまでしてくれない。
せいぜい、(コロナ前なら)お正月の参拝者に御神酒を振る舞ってくれるぐらい?

どっちにしても、お賽銭は、自前でしょう。
今時、子供じゃあるまいし、大の大人がお賽銭まで人からもらって、お賽銭箱に投げ入れているわたしは、何?
ではあるものの、神様には願いは通じなくても、それで家内安全なら、よろしいかと。
今更、自治、自立を謳ったところで、神様の元に集まる総合計金額に問題なければそれでよい。
わたしは、あんなにどこでもお賽銭をポイポイ入れない主義だし。

家内安全は、こういう家庭内お賽銭のやり取りから生まれるのかも知れない。


勝っているのは誰?

2023-01-05 | 暮らし
トランプ。
ゲーム中、先に勝った小学2年の孫が、わたしの背後からカードの出し方をアドバイスしてくれる。
「今、この強いカードから出す!」と。
もう完全に孫に完敗した。
ババ抜きとか、そういうアタマを使わないゲームではなく、カード配分と出し方のタイミングで勝敗が決まる「大富豪」というゲーム。
わたしの若い頃は「大貧民」と呼ばれていたもの。
わたしの時代では無かったものだが、4枚同じ数字を揃って出すと「革命」と呼ばれる、強いカードと弱いカードの価値が逆転するルールや、更に新しいルールとしては、「11」を出された次の人からはカードを11より弱い順に出さなければいけない縛りが加わった。
わたしの時代のルール、娘や娘婿の時代のルール、地方ルールも加わり、面白い。

理解力、記憶力、思考力、即戦力、小学2年の勝ち!!
あっぱれ。
はぁ〜⤵️
喜んでいる場合ではないが。

娘、娘婿、小4男児孫、小2男児孫、わたし、5人で「大富豪」をすると白熱。
保育所年中・女児孫が加わると、(5歳孫は)大富豪が出来ないので「ババ抜き」にチェンジ。
2歳女児孫は最近は、以前ほど激しく邪魔をしなくなった。
いずれ3年も経つと参加することになるだろう。
わたしの勝算順位はどんどん落ちそう。
皆んな、わざと負けてくれるかも知れない。
そう遠くない将来だ。

欲を言えば麻雀が良いのだけど、麻雀は1卓で4人しか出来ないし、幼児では無理だから、やはりトランプが無難。
姑とも子供が小さい頃、夫の実家に行くと
わたしたちは5人でよくトランプをした。
娘もわたしも懐かしいシーンが蘇る。
娘は孫だった当時を、わたしは嫁(母)だった当時を再現している。
姑役をわたしがスライドしてバトンタッチ。娘は当時のわたし(母)役にスライド、当時のわたしの子供たちは今の孫たちに入れ替わる。
姑がいなくなった代わりに孫たちが時間をスライドして順番に一代ずつ時代が移り送られている。

先日見た写真。
寝転んでいる若い舅の頭をぽんぽんと軽く叩いている幼児。
幼児は、夫の姉の子供。舅にとっては初孫。
(その幼児も、成人して家庭を持ち、子供はもう社会人。孫が出来ても不思議ではない歳)

同じ部屋、同じアングルで、寝転んでいるのは、夫。ぽんぽんと叩くのは孫。
そのショットとダブった。
目の前に同じ光景があるが、時代は移っている。
(さらに、ぽんぽんと叩く乳幼児だった孫はトランプ指南までしてくれるようになった)

同じ空間に代が代わり時間だけが移っている。
静かな幸せの光景である。
些細なことにこだわったり、腹を立てたり、ほんとうに小さな小さなことだと感じる。

ほんの僅かな摩擦は生きている証拠。
そうやって毎日ガチャガチャしながら、
過去から現在、未来へと、大事な生命を育んできている。

※写真は伊勢の旧家




喧嘩両成敗に意義あり

2023-01-04 | 日々のこと
わたしのマイナスパワーはスゴイ。
自分でも驚くほど。
地下から吠える。
が、地上に出るとなぜか菩薩に変身。
しかし、菩薩は仮の姿でもなく、地下も嘘の声でもなく。
両極端が合体して表裏一体となる。
光と影は見る方向が違うだけ。

さて。
次女一家を迎えた昨日の夜に疲労はピークに達した。
次女の夫(婿)には最大級に気を使う。
今日、次女母娘が次女宅に引戻り、さらに長女一家との夕食をクリアすると、無事、お正月行事は終了。
ああしんど。
年賀状の返事を今、書き終えてポストに投函したところ。
年賀状は、留守にしていたため、誰から届いたかは、自宅に戻らないとチェックできない。

昨日夕方は、すごいスピードと勢いで、目標時間内に夫の実家を片付け、自宅に向けて出発。(車で約1時間)
自宅に戻ると大量の荷物や衣類、身の回り品、食品(冷蔵庫内冷蔵品、調味料、乾物、米、野菜)をババババと荷解きし、片付け、次女一家がやって来る時間と競争。
いらっしゃ〜い!と笑顔で迎える頃には、息も絶え絶え。

娘たちは若いからハイスピードで何でもこなすが、老体にはチャチャチャと行動するのは身体がキビキビ動かない。
急いで後始末をして出てきたが、いつも何かしらミスがある。
封を開けたままのコーヒー豆と、スマホ充電器を持ち帰るのを忘れた。
出る間際まで洗濯物や、台所の片付け、ゴミの処理(プラゴミ、生ゴミ、紙ゴミ、缶、ビン)、お正月グッズの片付け、3つの棟に鍵をかけて、バタバタバタバタ。

早くしないと、次女一家が自宅に到着していまう。
迎える人が居ない、鍵がかかったままの実家に寒空の下、外で待ってもらうわけにはいかない。
ゼイゼイはあはあ、焦る焦る、ほとんど駆け足。
更にさあ、3世帯11名、今から夕食!という流れに、準備に手間取っていては、夕食が始まらない。

この流れ、時間配分、来年はどうにかしないと。課題だ。


ちなみに、それはそうと。
次女に愚痴をぶちぶち言った。
価値観の違いから来る生活習慣、方法の違い、この長年の恩人(次女の実父)との生活をどうしたものか、と。
次女は言った。

「2人とも悪い。2人とも一歩も引かない。調整のしようがない」と。
このアドバイザーは、優秀なカウンセラーでもある。
首が折れそうになるぐらい、わたしは大きく深く頷いた。

「事実は事実として、で、どうすればいい?」と次女に訊ねた。
「別々に暮らすしかないね」

あらまあ、、、そうなの?
そうかあ、、、
またまた首を大きく縦に前後に振った。(こんな表現はおかしい?→「うなだれた」「頷いた」か)

大きな収穫を得た。
わたしも悪いようだ。
自分が感想を抱くのと同じように相手も真逆の感想を抱いているわけだ。
2人(両親)の間に挟まった次女にしてみると、よく状況が見える。
次女は、わたしの味方でも敵でもない。
(丸め込むのに失敗した)
喧嘩両成敗か。
ま、しかたない。
が、敵にこれからも負けない。
闘志、闘魂を新たに燃やした。
これが年頭の誓いだとすると、ちょっと菩薩から程遠い。
理想の自分ではない。
が、負けないゾ!!負けてなるものか!!
弱い立場の人間は、窮鼠猫を噛むのだ。



小さなトゲ

2023-01-02 | 日々のこと
またまた、天井を眺めながらのスマホ・ブログ入力。
今夜でこの生活も終わり。
あと少し。
がんばろー。

しかし、、、
今までものすごくお世話になっていて、今もなっていて、今後もなると思われる、恩人のような人物。
だが、一緒に生活していると、小さなストレスが重なりチクチク棘(トゲ)が刺さるかんじ。
こんなにお世話になっているのに、なぜこんなにストレスが溜まるのだろう。
日常生活のほんの小さな小さなことの積み重ね。

例えば、電気を切らない。
就寝時も煌々と。
わたしが寝室に行って消す。
なぜ、電気を切らない?
寝る=消灯
そういう言葉があるのに。

トイレも電気をつけっぱなし。(時々)
引き出しも開けっぱなし。(時々)
何かモノを探したら、出すだけ出して後片付けをしない。
モノを使ったら定位置に戻さない。
こんなかんじ?

ほんの些細な取るに足りないようなことばかり。
自分だって、ちゃらんぽらんのサボりだから、人のことは言えない。
だが、目に見えない分量で毒が蓄積される。
自分の毒が回り回って自分に戻ってくるのか。
生きていたら気に入らないことや、思い通りにならないことが必ずある。
欲を言ってはいけない。
お互い様だ。
無理やり不満を押し込め、押し殺す。
根本的解決はない。
そういうものだ。
100%の幸せや、100%の満足は求めてはいけない。
努力ではどうにもならない案件は必ずある。

年末に、「幸せの縮図だ」とブログに書いてウキウキしていたのは誰?

・・・
仰向けでスマホ入力して愚痴っていたら、またスマホが顔に落ちてきた。

あと少し。
がんばろー!!



全然ゆっくり出来ないお正月

2023-01-01 | 日々のこと
またまた天井を見上げながら仰向け、布団の中から、こんばんは。

忙しい元旦だった。
お正月は主婦が何もしなくていいようにお節料理が生まれたという説がある。
ほんまかいな、と疑問に思った。
バタバタ忙しいではないか。

長女一家が泊まる布団の準備をしていて、自分の小学校の頃からの成績表と卒業証書、花道(華道?)の免許を見つけた。
いずれも実態とかけ離れたものだった。
卒業したのは、事実、免許も事実だが、ペーパードライバーのようなもの。
本当に名目だけ、入れ物だけ、枠だけ、タイトルだけの、インチキパッケージである。
半世紀も前の見掛け倒しのわたしの経歴。
騙された人が悪いのか、騙した人が悪いのか。
ラベルと中身が同じだと思われたようだ。
が、経歴には一切詐称はない。
中身が追いついていないだけだ。

今からゆっくり中身を詰めていこう。
もはや手遅れ、持ち時間が明らかに足りない。
残り時間を全て使い切って一生詰めても、詰まりきれないだろう。
ではあるものの、やることがあって、暇が潰れていいかも。

さて。
お正月、あと何年迎えるのか。
時計の針は超スローモーションで回っている。

※写真は、伊勢の旧家で見かけた書。


明けたけどまだ

2023-01-01 | 日々のこと
明けましておめでとうございます。
今は、布団の中で入力中。
紅白歌合戦もしっかり観た。
お節料理もどうにか作った。
年越しそばも食べた。

あとは、ぬくぬく電気敷毛布と、たっぷり羽毛が入った羽毛布団の間で、気持ち良い、柔らかい暖かみに包まれて、朝まで快眠を貪るのみ。
夕方まではガヤガヤ団体、娘一家は来ないので、朝は思いっきりのんびり出来る。
夫と2人だけだと、なんと楽なこと。

と、書いていたら、とろーんとなってきた。
もう限界。
仰向けでスマホ入力すると、スマホが顔に降って来る。
ガンガン顔に当たる。
骨っぽい衝突落下音。
元旦から、その顔どうしたの?DV?と聞かれてはマズイ。

年頭の誓い、とか、抱負とか、とても書けない。

おやすみなさい。