蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

おしゃべり、べらべら

2024-07-07 | 日々のこと
わたしの日課はブログを書くこと。
先ずは、お気に入りマークしている他のgooブログをざざざーっと目を通す。
しっかり読むこともあるが、感銘や影響を受けすぎると、自分のブログを書く気力が削がれる。
(わたしは読み手でもあるが、書き手なので。そんな大層なものではないが)
毎日の15分連続ドラマのようなブログが読みやすい。
ウォーミングアップには丁度よい。
だが、自分のブログといったら、、、完全に自分の気分、風まかせ。
書き出して夢中になって、はっと文字数を見てみると5000文字を超えていたりすると、頭で考えるより先に指が動いていると思われる。
そういう時は頭から湯気を出している場合が多い。
沸騰した温度が下がるまで、思いを吐き出している。
(その割に、大したことは書いてないが)

更新しないでいると、気になる。
ムズムズする。
だが、何も思いつかない、書きたいことがない時もある。
「今日は何もありませんが、アップします」では、自分のブログが自分が描く理想とするものから、遠ざかる。
とは言え、理想はあくまでも自分軸。
自己チューなので忖度しない。
自分が面白い、楽しいと感じなければ全くブログを書く意味がない。
自己満足は、自己肯定につながる。

ふと、指が止まることもある。
えーーっと、、、と、思考停止になる。
あるいは、書いている内容で、用語など、少し調べなければいけない時は、流れが止まり、せっかくのノリ、勢いがスローダウンする。
ペラペラペラペラ、、、あまり考えずに思いついたことをとめどもなくしゃべる、おしゃべりブログである。

友人と会っていると、これまたペラペラ、息つく間もなくしゃべって、周りの人はうるさい、鬱陶しいだろう。
ずーーーっと、しゃべり続けている。
レストランやカフェならいざ知らず、電車内だと、迷惑をかけていると思う。
誰も周りは話していない、話し声がしない空間では、聞きたくなくても聞こえる。
なので、あまりしゃべらないことにしているが、相手がベラベラしゃべる。
その時は、あまり積極的に受け答えしないようにしている。
類は友を呼ぶ、、、で、おしゃべりなわたしは、おしゃべりな友人ばかり。
ではあるものの、2人ならベラベラしゃべるが、多人数になると途端に口数が少なくなる。
いわゆる内弁慶タイプか。
あまり社交的とは言えない。


ちなみに。
突然、話は変わる。
昨日は、今日の合同夕食の食材を買い求めにスーパーに行った。
暑いから、夕方、日が落ちてから行ったのは良いが、必要とする食材が完売だった。
餃子の皮、ひとつもないって、あんまりだ。
しかたないから、それまでカゴに入れていた餃子用の食材を全て元の場所に戻して、別メニューにすることにした。
食材は、一から選び直し。
春巻きと鶏肉唐揚げに変更。
鶏肉売り場には、なんと、「本日の広告商品(鶏肉100g、78円??)は完売しました」と棚は空っぽ。
売れ残っているのは、広告ではない、「特価」とは書かれているが、100g、128円の鶏肉。
いつも広告の商品は売り切れている。
皆さん、ダッシュ!!朝早くから目掛けて初動がはやいようだ。
わたしのように、夜に行ったら、そりゃあ広告商品なんか、残っているわけがない。
ではあるものの、みすみす安値を逃して高値で買うのは忌々しい。
128円はそんなに高値ではないが、広告商品に比べると高い。
だが、鶏肉は必要。いや、鶏肉、やめるか?
メニューを検討しながら、鶏肉売り場をウロウロ。
鶏肉をカゴに入れたり戻したり。
悩むこと数分。1パックにするか、2パックにするか。
結局、広告の安い鶏肉は(完売で)買えず、安くない通常価格の鶏肉を2パック買った。
何ごとも、早起きは三文の徳。
夜まで待って、三文の徳(得)を仕損なった。
徳がないから、得できなかった。

一番セコイ性分の特徴としては、損をした時ではなく、得をし損なった時に、悔しがり落胆するらしい。
まさに、それ。
ではあるが、高級スーパーにクルマで乗り付ける涼しげなスタイルとは真逆の、安さが売りのスーパーの激安特売商品が買えなかったと嘆くわたし。
しかも、自宅から往復徒歩だ。
帰りは、ゆっさゆっさ延々と歩くと、エコバッグに立てて突っ込んだネギが、長いためネギ自体の重さで半分折れかかっているのが気になった。
しかし、昨日、買ったおかげで今日は買いに行かなくてよくなった。
一昨日、出かけた帰りに買ってくれば良かったのだが、夫が不在のため、解放気分で、気が緩んだ。
合同夕食は、何を作ってもいいのではあるが、自由すぎるのも大変だ。
自己規制の自由プラン、メニュー。

と、どうでもいいことをツラツラ書いている。

※写真は、わたしの実家で4日前にご馳走になったパエリア。
義甥の得意料理。



小さく頑張った、小さな1日

2024-07-06 | 日々のこと
今日は頑張った。
いたって真面目に、自主的に、積極的に、1日を送った。
なんて言うと、どんなに活躍したのかと思われそうだが、、、。
全く活躍とはほど遠い。
もっともっと羽目を外して弾けて遊びほうけることも出来るのに、誰の目もないのに、優等生的に過ごした。
昔、不真面目だった分、揺り戻しか?
というか、もう落ち着く年齢に突入しているようだ。

が、いいのだ。
健康的に、前向きに、自分の時間を使った。
運動と用事をドッキングさせただけなんだが。
あまりにも暑いのが良くなかったが。

万歩計、目標の7000歩はクリア。
目標設定はいたって低いけれど。
だが、トイレに行く時だけしか動かない日もある。
動くのは、数歩。
友人も一日中動かない、同じような状態だったと言っていた。

動いたり、動かなかったり。
何もしたくない、意欲が起こらない、沈んだ気持ちが続いていたが、マシになった。
やはり、気持ちのアップダウンは、バイオリズムか。
虚無感の原因は、それまで積み上げてきた自分の価値観が崩れたこと。
すでに自分は老年になっていて、再び一からやり直すには、ぺちゃんこになって絶望感に襲われた。
蘇る余力がなかった。

と言っても、離婚とかそういうのではなく、趣味の分野なのだが。
ではあるものの、役割義務をほぼ終えた老後の今、趣味はそれぐらい大きなウエイトを占める。
趣味を取り除いたら、なんにも残らない。
生きることは出来るが、空気が抜けた風船のよう。
生きがいは大事だ。
もちろん、メイン根幹の生きがいは、しっかり保持しているが。

もっと深刻な状況が訪れていたら、おそらく、困難に立ち向かう方に全エネルギーを注がなければならない。
そんなエネルギーが全く残らないほど、落ち込むだろう。
そういう状況ではないのは、幸せなことである。

今日のブログ、、、なんの提案もヒントもない、ツマラナイ内容になった。
もっとワクワクすることを書こうと思ったのに、気分屋なので、うまく行かない。
でも、小さな幸せが積み重なるといい。



暑い

2024-07-06 | 暮らし
暑い夏、スタート。
家庭内エアコンバトルも同時スタート。
「暑い暑い暑い暑い」と、わたしに言う夫。
暑さ倍増である。
人に言って暑さが軽減されるのか。
発散して少しでも温度が下がるならまだしも、言われるほうは、耳、聴力も正常なので、聴きたくなくても聴こえる。
これは、わたしは、一種のハラスメント認定している。
先日、お会いしたある人が言っていた。
夫婦は離れて暮らすのが仲良く行く秘訣、と。
これには全く賛同している。

ただ、別居したくても出来る人と、出来ない人がいる。
出来ない人もいるので、あまり理想を声を大にして叫ぶのは控えたい。
別れるわけではなく、離れて暮らすことを推奨している。
近すぎると、良いものでも悪く思えることがあるから、少し距離を取るとよい。
育児サポート、病気や介護で、夫婦臨戦の危機どころではない状況もある。
夫婦間以外の外的緊張感は夫婦の緊張感を和らげる。パラドックス。

知り合いには、仕事で週の半分は別々に暮らしているという夫婦が2組。
リタイアして無職だけれど、離れて暮らしている老夫婦が1組。
その他は、夫は仕事が夜勤、という老夫婦1組。
妻が仕事で家にいないという老夫婦が1組。
あと、3組は夫が毎日、どこかに出かける老夫婦。
なんだ、老夫婦ばかりではないか。
あ、わたし自体がシニア、前期高齢者だった。
わたしの知る人々は、似たような年齢の人ばかりだから、皆んな老夫婦。
四六時中、顔を合わせず、どうにか仲良くやっている。

亭主達者で留守がよい、と言われても、リタイアして毎日、家にいる夫には夫源病になる妻もいるようだ。
不思議と、妻は苦痛でも、夫側は同居を苦にした病気にはならないようだ。
理由は簡単に推測出来る。

それにしても、暑いだけで、ケンカになるのでは身体が持たない。


消滅するその日まで

2024-07-03 | 
本日は、わたしの生まれ育った実家へ。
自腹を切って持ち出し、友人ご招待ツアー。
呼吸する木々の優しいながらパワーを感じ、そして心地よいおもてなしに、癒された。

内容はとても満ち足りたものなのであるが、、、
問題は、交通の便が悪い。
バスは1日3便(平日、夕方だけ、A市、A駅行き)しか来ないので、タクシー。
しかも都市への電車の便がすごく良いB市(B駅行き)には全く1便もなかった。
(わたしが子供の頃はB駅行きは30分に1便あり、そのバスで通学していたのに)
バスがない朝は、住民は自転車か車ということか。
行政から完全に切り捨てられている。
見限り限界衰退集落か。
実家は見捨てられた地区にある。
なんだかなあ、、、寂しいけれど、仕方ないか。
ではあるものの、わたしが元気で実家に行けるうちは、実家も元気でわたしを受け入れて欲しい。
わたしが85歳を超えるまで。
というか、あと17年も? 無理だろう。
せめて、あと12年。
12年、もってくれたら、よしとしよう。
80歳まで。
実家愛を大切に、精一杯、愛でよう。

自然に抱かれて暮ら、、、せない。

2024-07-01 | 暮らし
日曜夜は、TV番組「ポツンと一軒家」。
いつも山奥に暮らす人々の生活を見て、ため息が出る。
素晴らしい景色、自然に囲まれた暮らしであるが、過酷な厳しい自然でもある。

昨日の足腰シッカリのご主人(70代なかば)は、「なんでもなさるんですね」とスタッフの柔な一言に、「しないと、生きていけないから」と、重いお答え。
小さい頃から山道を往復1時間かけて歩いて毎日学校に通うと、足腰が鍛えられる。
鍛えようとして山道を歩いたわけではなく、歩いたら鍛えられた、逆に、強い足腰がないと歩けない、通えない。
目的は生きること、生活すること。
そのあとから、色々な結果が付随して付いてくる。
迷いながらやっていては、とても力が入らない。
選択肢はない。
迷いはなく、この道しかない、と腰を据え、肝を座らせ、地に足着いて真っ直ぐに生きていくのは、あっぱれだ。
多くの中から選んだわけではなく、選択肢がなく結果的にそうなった、としても。
芯が通り、ブレがない。

わたしには、絶対に出来ないから尚更。
もし、多額の結納金を積まれて嫁入りを望まれても(あり得ない設定)、生ぬるいわたしには、あの山生活は出来ない。
奥さんも農家の出だったり、共通の環境があったり、やはり小さい時からの積み重ねがあってこそ。

虫が苦手、なんて言っていたら、5分で退散、逃げ去ることになりそう。
まだ、山に遊びに来るお孫さんたちチビッコのほうがずっと逞しい。
わたしは、田舎生まれではあるものの、街育ちだから。
自然に囲まれた生活は、リゾート地や、誰かが運営している別荘なら行けるが、自分が、薪から割って、、、などとは不可能。
一本目の薪割りで、腰を痛めそう。
乾燥させた薪も、なかなか火が着かなかったり。
ひとりキャンプも、ファミリーキャンプも、絶対に苦手。
海も苦手。
邸宅内プライベートプールならどうにか、いけるか?なんていうと、まわり一同シラけて、槍が飛んで来そう。
軟弱にも程がある。

そういう自分の特質をよく知っているので、自然の中で暮らしている人には、ただただアタマが下がる。
たまたま、わたしのファミリーメンバーたちは、アウトドア嗜好ではない。
登山が趣味の新メンバーは一人いるが、(たぶん)山仲間と登ると思われる。
仕事でくたくたになるので、オフの時は、身体には極力刺激を与えないような、快適な舗装された道路を、快適な乗り物で動きたいようだ。
わたしは、ろくに仕事もせず、全然くたくたにならないのに、やはり虫嫌いは、行動の選択肢を狭める。