夜な夜なシネマ

映画と本と音楽と、猫が好き。駄作にも愛を。

6回目の『ボヘミアン・ラプソディ』

2018年12月15日 | 映画(は行)
まだまだ何度でも観られそうな気持ちを抑えて10日ほど経過。
私が5回目の『ボヘミアン・ラプソディ』を109シネマズ大阪エキスポシティで観た日、
職場のアラ古稀の友人は109シネマズ箕面で通常版を鑑賞していました。
その日の晩に「どやった?」とメールしたら、「超超よかった!」との返事。
で、「もう一度観たいと思っている」とのことだったので、
それならやはり今度はIMAX版を観てよと、仕事帰りに一緒にエキスポシティへ。

NHKの『クローズアップ現代』にも取り上げられましたが、
あの番組の内容はとてもつまらなかったですよねぇ。
勢い込んで観たわりには、なんじゃこりゃとがっかりしました。
それでもおそらくその影響はあるから、まだまだ客が入りそう。
平日の18時半の回で、まぁまぁの入り。
同じような時間帯に上映される作品では何度も“おひとりさま”を経験していますから、
これだけ入っているのは珍しい。

さすがに6回目なので、もう書くことがありません。
好きなとこいろいろは3回目をご参照ください。
ただ、ほかに鑑賞した友だちなどと話をしていて、
あそこの台詞どやったっけてなところを確認するのが楽しい。

雨のなか、タクシーに乗り込んだメアリーがフレディに
「ここにいる人たちはあなたのことを気にかけていない。ここにいては駄目」という台詞のあと、
私は“Go home”と言ったと思っていたのですが、
1度しか観ていない友だちが“Come home”と言っていたという。
チェックしたら、友だちが正解、“Come home”でした。
メアリーがブライアンやディーキーやロジャーのところへ帰れと言っているのだと思っていたら、
「帰れ」というニュアンスよりは、「帰っておいで」だったんだなぁと思いました。

私がこの映画が素晴らしいと思っているのは、「観ていて傷つく人がいない」ところです。
実在の人物を描くと、遺族を傷つける場合が往々にしてある。
ま、本作でも裏切り者となったポール・プレンターだけは例外ですが、
彼以外にはまず、登場人物の誰かと親しい関係にあったことを恥じる人はいない。
本作がフィクションだらけの嘘っぱちだという人がいるとしても、
映画なんて所詮フィクション。
真実に忠実に描いて傷つく人がいるよりもいい場合だってあると私は思います。

ポールにしても、最初はそう悪い人には思えない。
BBCの口パク演奏の辺りなど、クイーンのために奔走している印象。
「ベルファスト出身でカトリックでゲイ」、だから孤独をよく知っているという台詞に、
それがどれほど差別を受けることなのか、私にはわからないけれど、
生きづらかったのは間違いないでしょう。
ほかの登場人物の描かれ方を見れば、傷つく人がいないように配慮した作品だと思われ、
これを観て怒るような関係の人もポールにはいないのだと思うと、ちょっと切ない。

そういえば、EMIの重役レイ・フォスターもちょっと傷つくか。
でも彼の場合は描かれ方にユーモアもありますよね。
それにしても、何度観てもレイ役がマイク・マイヤーズというのはわからない。
眼鏡を取ってくれないと、たぶん20回観てもわかりそうにありません。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする