『 今日はお雛さま 』
今さら 雛祭りでもあるまい と言いながら
あられを頂き ちらし寿司も頂いた
一方 お天気は 荒れ模様
風雨が強く 温度も下がり
昨日のお天気は 一体何だったのかと思い
ついつい 「さすが 女の子のお祭りだ」なんて
言わなくてもいいのに・・・ 口は災いの元!!
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『 食して肥えませ ・ 万葉集の風景 』
題詞 「 紀女郎が大友宿禰家持に贈る歌二首 』
戯奴がため 我が手もすまに 春の野に
抜ける茅花ぞ 食して肥えませ
作者 紀女郎
( 巻8-1460 )
わけがため あがてもすまに はるののに
ぬけるつばなぞ めしてこえませ
意訳 「 お前さんのために 手も休めずに 春の野で 抜いておいた茅花ですよ どうぞ召し上がって少しは太りなさい 」
なお、「戯奴」は女主人が使用人に使った言葉らしい。ここでは、単に戯れで使っているのかもしれません。
「茅花」は乾燥させるなどして保存食したらしい。
昼は咲き 夜は恋ひ寝る 合歓木の花
君のみ見めや 戯奴さへに見よ
( 巻8-1461 )
ひるはさき よるはこひぬる ねぶのはな
きみのみみめや わけさへにみよ
意訳 「 昼は咲き 夜は恋しい人と寝るという 合歓の花を 主であるわたしだけが見るのではなく お前さんも見なさいよ 」
なお、「君」は主君のことです。
題詞 「 大伴家持が贈り和(コタ)ふる歌二首 」
我が君に 戯奴は恋ふらし 賜りたる
茅花を喫めど いや痩せに痩す
作者 大伴家持
( 巻8-1462 )
あがきみに わけはこふらし たばりたる
つばなをはめど いややせにやす
意訳 「わが君に 私めは恋しているようです 頂きました 茅花を食べましたが ますます痩せるばかりです 」
我妹子が 形見の合歓木は 花のみに
咲きてけだしく 実にならじかも
(巻1-1463 )
わぎもこが かたみのねむは はなのみに
さきてけだしく みにならじかも
意訳 「 あなたから頂いた 記念の合歓の木は おそらく花だけが咲いて 実を結ばないのでしょう 」
* 歌を贈った紀女郎(キノイラツメ)は、奈良時代初頭の頃の女性です。父の紀鹿人は外従五位上に昇っていますので、下級貴族の娘といった環境で育ったのでしょう。
720 年前後の頃に、安貴王と結ばれています。安貴王は、志貴皇子の孫ですから歴とした皇族で、二人の間には市原王が生れています。
ただ、紀女郎が嫁いで2~3年後の頃に、安貴王と元正天皇の采女との密通が表面化して、安貴王は罰を受けました。諸国から天皇に献上される采女との密通は「不敬之罪」として厳しく罰せられ、采女は故国に戻され、安貴王も、謹慎や官位剥奪などの罪を受けたと思われます。729 年頃には赦免され、後に従五位上まで昇進しています。
この事件から間もない頃に、紀女郎は安貴王と離別しています。
* 歌を返した大伴家持(オオトモノヤカモチ・718 ? - 785 )は、万葉集の編纂に深く関わっている人物です。従三位中納言まで上った人物ですが、経歴などは割愛させていただきます。
* 二人の歌の贈答は、間違いなく恋愛感情が絡んでいると思われますが、実に軽妙で、可笑しさを強く感じます。
この歌が交わされたのは、740 年頃とされていますので、家持が22歳前後なのに対して、紀女郎の方はかなり年上と考えられます。誕生年は未詳ですが、市原王を儲けてから20年近く経っていますから、おそらく、30歳台の後半だったのではないでしょうか。現在と違って、当時の30歳台後半は、孫がいて不思議のない年代です。
紀女郎は、よほどチャーミングな女性だったのでしょうが、家持がすっかり熱を上げているのを、お姉さんがからかっているかのような、それでいて思わせぶりでもあり、後の大歌人を「戯奴」扱いしているのが、何とも楽しい場面を提供してくれているように思うのです。
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