第三章 ( 十一 )
九月の御供花の行事は、いつもより立派に行うということで、早くから大騒ぎになっておりました。
姫さまは、懐妊中の身であり遠慮すべきだとお考えになり、お暇をいただくように申し出られましたが、それほど目立たないから、人数をそろえるためにも参加するようにとのお言葉がありました。
当日姫さまは、薄紫色の衣に、赤色の唐衣、朽葉色の単衣襲(ヒトエガサネ)に青葉の唐衣で夜の当番を勤めておられましたが、
「阿闍梨様がご参上になりました」
という声が聞こえて参りました。
姫さまは予期されておられなかったご様子で、少し緊張されたように見受けられました。御供花の御結縁ということで、御堂に御参りされたのです。
姫さまが此処においでだということは、法親王はご存知でないはずなので、お逢いすることはないと姫さまはお考えになっておられましたが、法親王にお仕えしている法師がやってきて、
「御所からの御使いでございます。『御扇が御堂に落ちているかどうか、お探しになり、お届けするように申せ』と仰せでございます」
と言う。
姫さまは、何だかおかしな御用だと思いながらも、中の襖を開けて見てみましたが見当たりません。少しばかり探された後、襖を閉め直して、「ございません」とお答えして、使いの法師を返しました。
すると、その襖を少しばかり開けて法親王がお顔をお見せになられたのです。
「あまりにも逢えない日が続き、心の鬱屈が増すばかりです。不都合でない人を頼って、あなたの里を訪れましょう。決して人に漏らすようなことはないので心配ありません」
などと仰られます。
このようなことは、たとえどのような人の力を借りるとしても世間には漏れてしまうものですから、姫さまは、それにより法親王というお立場が悪くなることを心配なされましたが、その切なげな表情を見るにつけ、「だめです」などと強く拒絶することなど出来ず、「世間に漏れないのであれば結構です」と、お答えされてしまいました。
法親王がお帰りの後、祈祷の時間も過ぎたので、姫さまが御所さまの御前に参られますと、
「扇の使いはいかかであった」
と、お笑いになられるので、先ほどの扇の一件は御所さまの心配りのおつもりだったのだと、姫さまは納得されたようでした。
さて、十月の頃になりますと、時雨がちな空模様が多く、姫さまのお心も沈みがちのようでございました。
特に今年は、身重のお体でもあり、心細さが増すばかりなので、嵯峨に住んでいる継母の所に下がって、法輪寺にお籠りになられました。
嵐山の紅葉も憂き世を吹き払う風に誘われて、大井川の瀬々に波となって打ち寄せる錦のように見えるのも、姫さまには懐かしい事々を思い出させるものでありました。
公私にわたる数々の思い出の中でも、後嵯峨院の宸筆の御経供養の時の、人々の姿や捧げ物の品々までが思い浮かんできたのでしょうか、ひと筋ふた筋と涙を流されるのでした。
「ああ、このあたりで鳴く鹿の声は、誰と共に鳴いているのだろうか」
などと呟かれて、御歌を詠まれています。
『 わが身こそいつも涙の隙なきに 何を偲びて鹿の鳴くらむ 』
* * *
九月の御供花の行事は、いつもより立派に行うということで、早くから大騒ぎになっておりました。
姫さまは、懐妊中の身であり遠慮すべきだとお考えになり、お暇をいただくように申し出られましたが、それほど目立たないから、人数をそろえるためにも参加するようにとのお言葉がありました。
当日姫さまは、薄紫色の衣に、赤色の唐衣、朽葉色の単衣襲(ヒトエガサネ)に青葉の唐衣で夜の当番を勤めておられましたが、
「阿闍梨様がご参上になりました」
という声が聞こえて参りました。
姫さまは予期されておられなかったご様子で、少し緊張されたように見受けられました。御供花の御結縁ということで、御堂に御参りされたのです。
姫さまが此処においでだということは、法親王はご存知でないはずなので、お逢いすることはないと姫さまはお考えになっておられましたが、法親王にお仕えしている法師がやってきて、
「御所からの御使いでございます。『御扇が御堂に落ちているかどうか、お探しになり、お届けするように申せ』と仰せでございます」
と言う。
姫さまは、何だかおかしな御用だと思いながらも、中の襖を開けて見てみましたが見当たりません。少しばかり探された後、襖を閉め直して、「ございません」とお答えして、使いの法師を返しました。
すると、その襖を少しばかり開けて法親王がお顔をお見せになられたのです。
「あまりにも逢えない日が続き、心の鬱屈が増すばかりです。不都合でない人を頼って、あなたの里を訪れましょう。決して人に漏らすようなことはないので心配ありません」
などと仰られます。
このようなことは、たとえどのような人の力を借りるとしても世間には漏れてしまうものですから、姫さまは、それにより法親王というお立場が悪くなることを心配なされましたが、その切なげな表情を見るにつけ、「だめです」などと強く拒絶することなど出来ず、「世間に漏れないのであれば結構です」と、お答えされてしまいました。
法親王がお帰りの後、祈祷の時間も過ぎたので、姫さまが御所さまの御前に参られますと、
「扇の使いはいかかであった」
と、お笑いになられるので、先ほどの扇の一件は御所さまの心配りのおつもりだったのだと、姫さまは納得されたようでした。
さて、十月の頃になりますと、時雨がちな空模様が多く、姫さまのお心も沈みがちのようでございました。
特に今年は、身重のお体でもあり、心細さが増すばかりなので、嵯峨に住んでいる継母の所に下がって、法輪寺にお籠りになられました。
嵐山の紅葉も憂き世を吹き払う風に誘われて、大井川の瀬々に波となって打ち寄せる錦のように見えるのも、姫さまには懐かしい事々を思い出させるものでありました。
公私にわたる数々の思い出の中でも、後嵯峨院の宸筆の御経供養の時の、人々の姿や捧げ物の品々までが思い浮かんできたのでしょうか、ひと筋ふた筋と涙を流されるのでした。
「ああ、このあたりで鳴く鹿の声は、誰と共に鳴いているのだろうか」
などと呟かれて、御歌を詠まれています。
『 わが身こそいつも涙の隙なきに 何を偲びて鹿の鳴くらむ 』
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