雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

情報発信の責任 ・ 小さな小さな物語 ( 1851 )

2025-02-06 08:01:10 | 小さな小さな物語 第三十一部

フジテレビに関する事件は、今なお収束の方向が見えていないようです。
外野席の私などは、最初は極めて行儀の悪い一タレントの問題だと思っていたのですが、どうやら、その背景にフジテレビの社員が不愉快な形で関わっていると伝えられ、とんでもないことだと思っていると、この問題を提起した週刊文春の記事に一部誤認があり訂正記事が出されるなど、真相はなかなか複雑そうです。
そして、事件の重点は、完全にフジテレビの経営体制の問題に移った感があります。

やり直し会見とかでは、何と10時間を越えて、延々と質疑応答が続きました。最初の少しばかりは生放送を見ましたが、よくも飽きもせずに続けられたものと、感心と言うより気の毒になってしまいました。
果して、10時間もの質疑応答で、会社側か記者側のどちらかに具体的な成果が合ったのでしょうか。
会見の冒頭で、会社側は社長などの辞任を表明しましたが、おそらく、質疑の論点の一つを前もって消しておこうとの配慮だったのでしょうが、どうやら、会社経営の実権者は社長などではないらしいことがあからさまに発言されることで、効果はなくなってしまった感じでした。

結果としてですが、馬鹿らしいと思うほどの時間を要した原因には、進行の拙さがあり、質問者の節操の無さもあると思うのですが、「問題の当日のことに関して、フジテレビ社員が直接関与していたかどうか」で相当の時間を食っていたようですが、この件に関しては週間文春が誤認があったと訂正していますので、全く無駄な時間を消費したようです。訂正は会見の直前だったようですが、双方がそれを確認しておらず、それ以前の記事をベースで論じ合っていたようなので、ぜひビデオで見直して、質問の拙さ、答弁の拙さを確認して欲しいものです。
せっかくの記録的な時間を掛けた記者会見ですが、回答側に実質的な最高権力者がおらず、質問側の多くが自らが調査した知識がなかったのだとすれば、実りある成果が生れるはずがありません。

知識などと言うものは、所詮、誰かから学んだか、勝手に頂戴したかのどちらかでしょうが、いつの間にか自分自身独自の物のように誤解してしまう部分があります。
また、私などはその典型かもしれませんが、誰かの意見をほんの少しいじっただけで我が物にするなどはよく目にしますが、よほど注意を払わないと下品な意見になってしまいます。
もっと困るのは、悪意で発進された意見を、全く無知なために、あるいは承知の上で拡大させてしまうことで、多くの不幸を生み出しています。
現代は、さしたる知識がなくても、それほどの費用を掛けることもなく、多くの情報を発信することが出来る時代です。しかも、わが国は、無防備と言えるほど法や秩序による規制が希薄です。
その善悪についても様々語られていますが、少なくとも、いくら小さな意見であっても、拡散する可能性のある発信を行う場合には、最低限、自身に恥じないだけの自己規制は必要な気がします。
そうしたことを考えるにつけ、メディアの王様とも言えるテレビ界において、不愉快な事件が発生していることが残念でなりません。

コメント
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