雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

絆 ・ 小さな小さな物語 ( 1269 )

2020-06-17 15:39:46 | 小さな小さな物語 第二十二部

お正月も過ぎ去ろうとしています。
お正月の行事や過ごし方などは、多くの家で伝統的な行事は薄れていて、例えば、最も代表的な習慣であるお節料理でさえ、すべてを自宅で作る家はごくごく限られたお家ではないでしょうか。むしろ完成品を注文する方が主体となり、私宅などでは目が回りそうな金額のお節料理が、夏過ぎには完売されるというのですから、伝統は移り変わるものだとはいえ、少々首を傾げてしまいます。
とはいえ、年末から正月にかけての伝統は、まだまだ姿を消してしまったわけではありません。中でも感じますことは、日頃顔を合わせる機会が少ない人、特に血縁の人と親交を固める機会は続いているように思うことです。それは、「絆」を感じるというより、「絆」を大切にしなくてはならないという気持ちの方が強いような気もします。

「絆(キズナ)」という言葉は、比較的お目にかかることが多い言葉ですが、案外漢字で書くのは難しいですし、使われ方も、少々きれいに使われ過ぎているような気もします。
例によって辞書の力を借りますと、「絆」とは、「①馬・犬・鷹などをつなぎとめる綱。 ②断つに忍びない恩愛。離れがたい情実。ほだし。係累。繋縛。」とあります。つまり、本来の意味は、動物、それも飼育している動物をつないでおく綱のことであって、そこから派生した②の方の意味も、純愛的なつながりというより、もう少しドロドロした部分を持ったつながりのように思われるのです。個人的な偏見かもしれませんが。
お正月に見られる「絆」にも、少々重たいものを感じさせるものがあるように思うのです。

歳末から元旦にかけて、穏やかに時間が過ぎていっているものと思っていましたが、日産前会長が日本を脱出したというニュースが飛び込んできました。現在保釈中で、海外渡航は禁じられている中での脱出劇ですから、敵ながらあっぱれと拍手でも送りたいほど、驚いてしまいました。わが国は法治国家と思っていましたので、あれほど注目を浴びている人物を、簡単に国外脱出させてしまったのは、相当の協力者がいたのでしょうね。もしかすると、そうした関係こそ、「絆」で結ばれていると表現するのかもしれません。

元会長が逃げ込んだ先は、母国に当たるそうですし、これまで経済的に貢献をずいぶんしてきているようですから、身柄の返還を求めてもそうそう簡単な事ではないようです。あちらの「絆」は相当強固な物のようで、むしろ、わが国の法体制などに対して反撃を試みてくるのではないでしょうか。
それに対抗するような「絆」がわが国側にはあるのかどうか、かなり疑問を感じるのですが、司法当局をはじめ、逃亡者の好き勝手にさせない対応を期待したいものです。
ところで、このような結果に対して、担当の弁護士には何の責任もないのでしょうか。道義的な責任などどうでもよく、確固たる法的な責任はないのかどうか、無いのであれば、今後の対策が必要だと思うのは、法律の素人の遠吠えなのでしょうか。

( 2020.01.04 )

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七草粥を楽しむ ・ 小さな小さな物語 ( 1270 )

2020-06-17 15:38:39 | 小さな小さな物語 第二十二部

本日、一月七日は「七草」です。七草粥を頂戴するという習慣は、今も広く行われているようです。
七草粥は、年末年始と痛めつけてきた胃腸を少しでも休ませるために野草や野菜の粥を食べるのだと、私などは教えられました。
一食だけの「おかゆ」にそれほどの神通力があるとも思えないのですが、それほど反発する気にもならず、物足りなさを感じながらも当然のように頂いてきています。
世間の人の多くは、おそらく同じような感覚なのでしょうか、古くからの習慣の中では、地味な割には伝統が引き継がれているような気がします。

この「七草」は、人日(ジンジツ)の節句ともいわれ、五節句の一つです。
因みに五節句を列記してみますと、一月七日の「人日の節句(七草)」、三月三日の「上巳の節句(雛祭り)」、五月五日の「端午の節句」、七月七日の「七夕の節句」、九月九日の「重陽の節句」、の五つです。
こう並べてみますと、重陽の節句以外は、一般家庭でも、具体的な催しをしないまでも、広く関心がもたれているようです。
その中で、本日の「人日の節句」は、私たちは七草として承知していますが、人日というのは中国から伝わってきたものです。
古代中国(5世紀頃?)においては、正月一日を鶏の日とし、二日を狗(犬)の日、三日を猪(豚)の日、四日を羊の日、五日を牛の日、六日を馬の日、七日を人の日、と定めていて、その日に当たる動物を殺さないようにしたそうです。七日の人の日、すなわち「人日」には、犯罪者を処刑するのを避けていたらしいのです。何だか、不気味な伝承ではあります。

本来、七草といえば秋の七草のことを指します。七草粥に用いられる七草は、一般的には、「せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ」を指します。
枕草子にも出てくる「子(ネ)の日の遊び」というのは、正月最初の子の日に野原に出て若菜を摘む行事が定着していたことが記されています。もっと古く、奈良時代には、年初に雪の間から顔を出したばかりの若菜を摘む「若菜摘み」ということが定着していたようです。
これらの場合には、胃腸を休めるという意味よりも、もっと呪術的なもの、あるいは生命力を頂く、といった意味合いが強かったようです。
なお、七草は「七種」という文字をあてることもありますが、これは、宮中において一月十五日に「七種粥」を頂く伝統があり、その場合に「七種」の文字が使われていたことからのようで、粥を頂くという行事も含め、七日のものと十五日のものが混合している部分があるようです。

いずれにしても、現在では、「七草粥」は、胃腸を休めるとともに、一年の健康、息災を願ってのもののようです。
スーパーマーケットなどで売られている「七草粥セット」を買ってきて、一年の無病息災を願うのは、少々厚かましく、調子が良すぎるような気がしないでもありませんが、この国は八百万の国でありますから、応援してくださる神様もいらっしゃるはずです。
まあ、神様が応援してくださることは確かでしょうが、健康に対しては、自助努力が必要な事も確かです。とりあえずは、七草に当たって、「腹八分目」を心がけるところから始めますか。

( 2020.01.07 )

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ゆうらり ゆらり ・ 小さな小さな物語 ( 1271 )

2020-06-17 15:37:32 | 小さな小さな物語 第二十二部

「ゆうらり ゆらり」
特別な理由もなく、何かのエピソードがあるわけでもないのですが、私はこの言葉が好きなのです。
「ゆうらり ゆらり」という言葉から連想するものには、どのようなものがあるのでしょうか。はっきりとした記憶があるわけではないのですが、私が最初にこの言葉を使ったのは、ひょうたんの実が風に揺れている様子を表現するのに用いたような気がしています。
今はといえば、自分の気持ちが何かに行き詰ってしまった場合などに、「ゆうらり ゆらり」と自身をリラックスさせるため、というより、その場から逃げ出すことの免罪符のような使い方をしているような気がします。

「ゆうらり ゆらり」はともかく、「ユラユラ」とか「ブラブラ」といった表現はよく使われることがあります。擬音語、あるいは擬態語といわれる言葉は数多く使われます。
辞書などの説明によりますと、擬音語(擬声語も同意)とは、主として聴覚から発生したもので、「ザワザワ」「サラサラ」などといったものや、動物の鳴き声からのものなどもこの仲間のようです。
これに対して擬態語は、視覚や触覚など聴覚以外から発生したものを言います。「ニヤニヤ」「ユッタリ」など、こちらも数多くあります。
同じような言葉でも、いわゆる「赤ちゃん言葉」となれば、擬音語もあり擬態語もありその両方が混然としているものもありそうです。さらには、第六感さえも超えた何かに触発されたと思われるような言葉さえ発します。
もっとも、擬音語と擬態語を厳密に区別しないですべてを擬音語(擬声語)とする考え方もあるそうです。

考えてみますと、もしかすると、原始人類が最初に身につけた言葉は、こうした擬音語(擬態語を含む)だったのではないかと思ったりします。(学術的な裏付けは全くありませんが。)
現在世界中に幾つの言語があるのか分かりませんが、欧米などに比べて、原語力において劣等感を抱いているわが国としましては、この擬音語のみで国際会議や商談の全てが行われるようになれば、わが国ばかりでなく、原語でハンディを受けている国や地域は助かるかもしれません。

擬音語のみによる言語で世界中が交流すれば、経済や文化の均一化が進み、世界平和にも寄与するなどと一人ほくそ笑んでいますと、どっこい、そうそう簡単ではないことが判明しました。
例えば、犬の鳴き声は、わが国では「ワンワン」が普通ですが、米国では「ラフラフ」あるいは「パウワウ」だそうで、その他の国も、それぞれ相当違うらしいのです。犬ばかりでなく、動物の鳴き声だけでも、ほとんどの国がわが国の発音とは違うらしいのです。何が原因か知りませんが、同一の「音」をこれだけ受け取り方が違うのですから、国家間の価値観を同一にするのは至難の業であるのは当然ということになります。
そう言えば、恥も外聞も投げ棄てたかのようにわが国から逃げ出していった人物が、母国とはいえ、遥か中東の地で多くの国のマスコミ関係者を集めて会見をするのですから、私などの常識がついていけないのも仕方がないのでしょうねぇ。
まあ、私などが憤慨したところでどうにもならないことですから、一息入れて、「ゆうらり ゆらり」と我が道を行きますか。

( 2020.01.10 )

 

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成人への主張 ・ 小さな小さな物語 ( 1272 )

2020-06-17 15:35:52 | 小さな小さな物語 第二十二部

本日は成人の日です。
成人の日を迎えられた方やご家族の方々にお祝い申し上げます。
各地で様々な行事が行われることになっていると思われます。昨年までの行事で報じられたものの中には、やや奇をてらったと思われるものも増えているようで、少しずつ内容に変化がみられるようです。
ただ、テレビ報道をみる限り、「晴れ着姿の・・・」といったものがやはり少なくないようです。詐欺騒ぎもあったように、大きな節目の日を可能な限り盛大に祝ってやりたいという気持ちは良く分かりますが、それ故に参加できない人もいるという事実も考える必要があるような気がします。

そもそも、「成人の日」とはどういう意味で、どう対するべきなのか、見直す必要があるような気がします。
昭和23年に制定された国民の祝日に関する法律によれば、「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」ことを趣旨としている、とされています。
また、制定時には「成人の日」は「1月15日」と決められていて、その成人の定義は、「前年の成人の日の翌日から、その年の成人の日までに誕生日を迎える人」とされていて、この間に満20歳の誕生日を迎える人を指していました。
しかし、その後、様々な理由で、例えば、故郷を離れる人が多くなった地方などでは、お盆やお正月の帰郷時期に合わせて記念行事を開くなどのように、もちろん「成人の日」そのものを変えたわけではありませんが、行事の開催日にばらつきが見られるようになりました。

さらに、法律通りの運用では、学年と成人式を迎える年度に違いがあり、不都合が浮上していました。
平成12年(2000)のハッピーマンデー制度の実施により、学齢に合わせるようになり、「1月15日」という固定日も消え去りました。
そして、選挙権が18歳で与えられるようになり、民法の改正では、令和4年(2022)4月1日に成人年齢が、20歳から18歳に引き下げられます。当然、成人の日も18歳の人が対象になるはずですが、現状では、多くの市町村では、成人年齢が引き下げられた後でも満20歳の人を対象にするとしていて、満18歳の人を対象に記念行事を行うと表明している市町村は、まだないようです。
その理由の一つに、「親の負担が大きいから」というものがあります。つまり、20歳までに準備すればよいものが、18歳までに準備するのは厳しいというのです。

愛媛県の動物園のホッキョクグマの「ピース」が満20歳になったという放送を見ました。わが国で初めて人の手で育てられたシロクマで、これまでも、折々に飼育員のご苦労と愛らしい「ピース」の姿はテレビで取り上げられていました。
そのご苦労たるや、思わず涙してしまうほどのものです。一つの命を護り、育てるということは、保護者の掛け替えのないほどの愛情と、人の力などでは到底及ばない「何かの加護」があった場合にこそ可能になるものではないでしょうか。
成人の日を迎えるにあたって、それが20歳であろうと18歳であろうと、その日を迎えられた陰には、「成人の時を迎えたあなたが想像する」よりも、はるかに大きく、はるかに広い加護があったことを噛みしめて欲しいと思うのです。
命を護り育てることが大変なのは、シロクマに限ったことではないのですから。

( 2020.01.13 ) 

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この国で生きる ・ 小さな小さな物語 ( 1273 )

2020-06-17 15:34:58 | 小さな小さな物語 第二十二部

1995年(平成7年)1月17日早朝、地震が発生しました。後に阪神淡路大震災と名付けられる大地震は、多くの生命と神戸の中心街をはじめ都市や町に壊滅的な被害を与えました。
あれから25年、街並みは完全に復興を果たし、むしろ、新しい建物群が増えただけ立派になったかに見えます。
しかし、25年という節目の年ということもあって、多くの情報が伝えられていますが、それを見ると、受けた傷はあまりに大きく、特に哀しみの記憶を消し去ることなど出来るものではないことが伝わってきます。

あれからの25年間だけでも、東日本大震災をはじめわが国は多くの地震の被害を受けています。
わが国に発生する地震の数は、体に感じるものだけでも年間2000回にも及ぶそうです。この数は大まかな平均ですが、例えば、熊本地震が発生した2016年などは6500回以上発生していますので、単純に平均値を算出すれば、その数はさらに増えそうです。
また、震度4以上の比較的大きな地震だけでも、年間50回ほどにもなるそうですから、毎週日本のどこかでこのクラスの地震が発生している計算になります。
わが国は地震多発国と認識している人が多いようですが、実際、世界一かどうかはともかく多いことは確かなようです。
例えば、2000年からの10年間の統計によれば、この期間にM(マグニチュード)6以上の地震が世界中で1000回発生していてそのうちの200回が日本だそうですから、相当の比率を占めていることになります。ただ、発生回数となりますと、国土の大きな国が上位におり、中国、インド、イラン、日本の順になるようです。

わが国にこれほど地震が多い一番の理由は、大陸プレートである北米プレートとユーラシアプレートがぶつかりあい、そこに海洋プレートである太平洋プレートとフィリッピン海プレートがもぐりこんでいるという所にわが国土が存在していることにあります。さらに火山も、世界中の活火山の7%がわが国に存在していることも原因をなしています。
また、地震の大きさを表現する言葉に、大地震(M7以上)・巨大地震(M8以上)・超巨大地震(M9以上)といった表現の仕方がありますが、一応定義づけされているのは大地震のM7以上だけで、他は必ずしも定義づけされていないようです。因みに、M7以上の大地震を指す場合は「ダイジシン」と読むのが正しいそうで、それも含めた大きな地震を指して大地震という場合は、「オオジシン」と読むのだそうです。
そして、この「M(マグニチュード)」というのは、地震のエネルギーを表す単位ですが、その数が「1」違うとその威力は「32倍」違い、「2」違うと、「約1000倍」違うそうです。つまり、M8の地震は、M6の地震の1000倍のエネルギーを有していることになります。

わが国は、世界の中でも地震研究の先進国のようです。予兆や予測などに関しても多くの研究がなされています。しかし、一週間とか一か月先に、どの地域で、どのクラスの地震が発生するという予測は立たないというのが真実のようです。様々に予測や予知が伝えられることがありますが、残念ながら、ほとんどはマユツバもののようです。
残念ながら、私たちは地震が多発する列島に生きています。活火山もたくさんあります。台風は数に多少の差こそあれ必ず毎年襲来します。
いずれも、程度の差はあれ被害を受けます。国土全体としてはともかく、個々の人にとっては、致命的な損害を受け、生命さえ失ってしまうことが繰り返されています。
それでも、私たちはこの国で生きています。火山にしろ台風にしろ、それによって受けている恩恵も少なくありません。地震によってどのような恩恵を受けているのか、すぐには思いつきませんが、プレートの集合があってこそわが国土が存在しているのかもしれません。
様々な自然災害に対する研究や対策は大切ですが、それに合わせて、この国土が与えてくれる恩恵を思い、支え合って災害を受け止めて行くシステムの構築もさらに進める必要があるように思うのです。

(2020.01.16 )

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それぞれの歳時記 ・ 小さな小さな物語 ( 1274 )

2020-06-17 15:32:31 | 小さな小さな物語 第二十二部

毎年のことながら、お正月が終わったあとの時間の流れは特別に早いように感じられます。
先人が言い伝えているように、「一月行って、二月は逃げて、三月去って・・・」という言葉は実に至言だと思います。
何歳になっても一年の最大イベントであるお正月の後だけに、気のゆるみのようなものもあるのでしょうが、お正月の三が日が終わったあとも、仕事始めはともかく、七草があり、成人の日があり、小正月がありと、伝統的な行事だけでも忠実に行事に対するとすれば忙しいものです。何せ、お正月といわれるものだけでも、明日は二十日正月ですし、月末は晦日正月だそうですから、先人の伝える行事に付き合うのは簡単な事ではありません。

「歳時記」を辞書で調べますと、「①一年のうち、そのおりおりの自然・人事百般の事を記した書。歳事記。 ②俳諧で季語を分類して解説や例句をつけた書。俳諧歳時記。」とあります。
本稿は、このうちの①の意味で話を進めていますが、書店などで見かけるのは俳句に関する物が多いようです。
また、一般的には「歳時記」と書かれることが多いようですし、「歳事記」も同意とされているようですが、文字から受ける印象は少し違うような気もします。

少し詳しい暦を見ますと、「国民の祝日」があり、「二十四節気」があり、「雑節」が記されています。このうち、「雑節」というのは聞きなれないかもしれませんが、節分・八十八夜・二百十日などが含まれています。さらに雛祭りや七夕などの「五節句」もありますし、クリスマスやハロウィン、バレンタインデーやホワイトデーも年中行事の中に定着してきています。そこに、吉凶を占うようなものを加えるとすれば、さらに賑やかになります。
さらにさらに、様々な団体などが制定している「何々の日」となれば、全部で幾つあるのか確認するのも困難です。

もっとも、重なりあっている日もありますし、二十四節気にしろ雑節や節句にしても、少しは気にかけることはあっても行事らしいことはしないのがほとんどでしょうから、暦に振り回される人はごくごく少数の人でしょう。
実際の生活では、暦に示されている様々な日よりも、自分や家族の誕生日の方が優先されるでしょうし、家族に関する行事や記念日、それに法事なども加わることでしょう。
私たちは、「歳時記」を意識して生活しているわけではありませんが、それぞれの人や家庭ごとの行事を無視して生活することは困難です。
新年になって二十日ほどでオタオタしないで、自分の歳時記を作り上げて積極的に関わっていく生活を心がけたいと思っています。

( 2020.01.19 )

 

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科学とスポーツ ・ 小さな小さな物語 ( 1275 )

2020-06-17 15:30:12 | 小さな小さな物語 第二十二部

厚底ランニングシューズが話題になっています。
マラソンや駅伝を見るのが好きで、テレビて放映される大きな大会は、大半を見ています。最近、いやにピンクのシューズを履いている選手が多いな、と思っていたのですが、ここにきて、ナイキ社製のこの靴が大きくクローズアップされてきました。
大きな注目を浴びるようになったきっかけは、このシューズがオリンピックでは使用禁止になるのではないかという報道だったようです。

世界陸連の競技規則には、「選手は、裸足、あるいは靴を片方、または両足に履いてもよい」といった内容の規則があるそうで、あくまで、足を保護するのが靴を履く目的であって、走力を助けるための物は許容していないようにも取れます。
今回話題になっているシューズのためではないのでしょうが、この半年余りの駅伝など長距離レースでは、好記録が続出していることは確かでしょう。
まさか、日頃の厳しい練習よりも、優れたシューズの方が記録を出す上では役立つはずはないと思うのですが、そのような誤解さえ生まれそうなほど、この厚底シューズの能力は優れているようです。

スポーツと科学の進歩は、手を取り合っているように見えて、常に緊張関係を生み出しているようです。
用具ということでいえば、かつて、好記録を生み出した水着は使用禁止になっています。
今回のシューズについても、企業努力によって生み出された物に文句をつけるのは、何か裏で動いている人物なり団体がいるのではないかという気もしないではありません。しかし、科学の進歩により、一歩が20mも30mも飛ぶことが出来るシューズが生み出された場合、マラソンならともかく、幅跳びや高跳びは競技になるのでしょうか。かと言って、現在の棒高跳びの棒を、竿竹に限定するという声はないようです。
「ドーピング」問題に見られるように、科学とスポーツは複雑な関係にあります。現在は、違法な薬物とそうでない薬物とを線引きしてドーピング問題が語られていますが、現在違法でない範囲で、研究の進んでいる国とそうでない国とでは差があり、純粋な運動能力だけでは語られないスポーツ種目は数多いのではないでしょうか。

残念ながら、戦争が科学の進歩に貢献したことは否定できないことですし、スポーツに限らず様々な分野の競争が科学の進歩に貢献しているのも事実でしょう。ただ、その科学の進歩には、人々を豊かにする多くの発明があると同時に、僅かかもしれませんが、人々を蝕む物も生み出されていることも忘れてはならないような気がします。
いずれにしても、プロ選手や、トップクラスで競う選手たちのためには、用具や医療等において、出来るだけ公平なルールを構築して欲しいと願いますが、それと並行して、もっと一般的なスポーツ愛好家たちが、心身の健康や、日々の楽しみとして親しめるスポーツを定着させる努力を、国家や公共団体は尽くすべきではないでしょうか。
当然のことですが、スポーツを楽しむのは、オリンピックに出場する選手だけではないのですから。

( 2020.01.22 )

 

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残り100秒?? ・ 小さな小さな物語 ( 1276 )

2020-06-17 15:28:35 | 小さな小さな物語 第二十二部

「人類最期の時までの残り時間は あと100秒」だそうです。
このほど発行されたアメリカの科学誌が発表している記事によりますと、人類の最期の時を表す「世界終末時計」は、最期の時である午前0時の1分40秒前を指しているそうです。
なかなかショッキングなニュースですが、この残された100秒で私たちは何をすればよいのか、第一、この100秒というのは、私たちの日常生活の時間を指しているわけではないのでしょうが、どの位の時の長さを指しているものなのでしょうか。

この「世界終末時計」と呼ばれるものは、1947年にアメリカの科学誌に初めて登場したものです。考案されたのは原子力にかかわる学者方だそうで、核兵器の危険性を訴える狙いもあったようです。この年は、わが国に原子爆弾が投下された二年後のことで、その状況から危機感を抱いたのかもしれません。
その後毎年発表されていて、発表された年は「残り7分」。1953年は「残り2分」に切迫しているのは、アメリカ、ソ連(当時)が水爆の実験に成功したことによるようです。反対に、危機状態から一番遠のいたのは1991年の「残り17分」で、この年はソ連の崩壊があり、東西の冷戦が終息したと考えられたからのようです。この「世界終末時計」は、9時から12時までの1/4部分だけの時計で、終末までの15分間だけを計測するようにできていますので、この年は、人類の滅亡の危機がよほど遠のいたと考えられたのでしょうね。
当初は、核兵器に重点が置かれていたようですが、1989年からは気象変動が加味されるようになったようです。
その後も一進一退を繰り返しながら、残り時間は減少傾向にあり、2017年は「残り2分30秒」、2018年と2019年は「残り2分」、そして今年は「残り1分40秒」と最小の残り時間となってしまいました。

この「世界終末時計」は非常に観念的なもののようで、この時計の「1秒」は私たちの日常の時間のどれほどに当たるのか知りたいのですが、その説明はないようです。
そこで、2018年に亡くなられた、イギリスの著名な物理学者であり宇宙論や未来予言のようなものまで私たちに伝えてくださった、スティーブン・ホーキング博士のご意見を参考にさせていただきました。ホーキング博士は、2016年にオックスフォード大学で行った講演の中で、「未来の人類のためには宇宙の研究が必要で、この地球という星で、次の1000年を生きのびることが出来るとは思っていない」と述べられ、その主なリスクは、戦争と遺伝子操作されたウイルスだと忠告されたそうです。さらに、その翌年のドキュメンタリー番組では、「人類に残されている時間は、せいぜい100年だ」と述べられています。
ホーキング博士が「世界終末時計」を認めていたかどうかは知りませんが、それに当てはめさせていただくと、「1秒=1年」という算式が成立することになります。

何だか心細い話になってしまいますが、大哲学者の中には違う考え方もいるようです。
お釈迦さまは、現代人から見れば、宗教家であり仏様でもあるのでしょうが、生存中に接する人にとっては、間違いなく哲学者であり予言者であったと思うのですが、お釈迦さまは、自分がこの世を去られた後を弥勒菩薩に託されています。
弥勒菩薩は如来になることが約束されている仏様で、お釈迦さまの入滅後、56億7千万年後に弥勒菩薩が人間世界に出現なさって私たちを救ってくださると予言されているようです。つまり、その頃でも人間が存在していると予言されていることにもなります。お釈迦さまが亡くなられてまだ2千5百年ほどですから、人類滅亡までに最低でも56億年以上あることになります。これを「世界終末時計」に当てはめますと、「1秒=5600万年」という算式になります。
さて、「残り100秒」の1秒を1年とみるか5600万年とみるかで、ほんの少々違いがありますが、私たちは、この残された時間をどのようにとらえ、どのように対処して行けばいいのでしょうか。

 ( 2020.01.25 )




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国際協力 ・ 小さな小さな物語 ( 1277 )

2020-06-17 15:27:08 | 小さな小さな物語 第二十二部

中国・武漢市で確認された新型肺炎は、当初の予想を超えて、感染者の数も死者の数も増加しつつあります。
当コラム作成の段階で公表されている数字では、感染者数が中国国内で2744人、死者81人で、中国本土外の感染者数も57人となっています。( 1/27公表されている分)
わが国でも、帰国者と旅行者ではありますが、4人目の感染者が確認されています。
中国当局は、大々的な対策にとりかかっていますが、専門家の意見などによれば、制圧はそうそう簡単な事ではなさそうです。

2002年11月から翌年7月にかけて流行したサーズもコロナウイルスによるものですが、その感染者は8096人・死者は774人(いずれも、もう少し多いという資料もあります。)でした。感染の中心は中国南部から香港などでしたが、かなりの騒ぎと経済面などでの影響があったことは確かです。
この数字をみる限り、今回の新型肺炎に対して、あまり楽観しすぎるのは禁物という感じがします。
一方で、わが国では、毎年インフルエンザで1000万人以上が感染し、1万人以上が亡くなっている(インフルエンザを原因とする死亡)わけですから、効果的な対処方法や薬がつくられるまでは万全の注意が必要ですが、過度な対処や風評は悪影響を生み出す懸念があるという意見もあります。

科学がこれだけ進んだ中で、いかに新型のウイルスとはいえ制圧できない筈がない、と考えたいと思います。
しかし、その一方で、現在と社会情勢も科学力もまったく違うとはいえ、14世紀に発生したペストは、全世界の人口を4億5千万人から3億5千万人まで減少させたともいわれていますし、1918年3月頃に発生したスペイン風邪は、一次・二次・三次と流行が続き、1919年の終わり頃までに、全世界での感染者数は5億人を超え、死者も5000万人を遥かに超えているという資料があるようです。このスペイン風邪というのは、発生源はアメリカですが感染の情報源がスペインであったためこう呼ばれるようになったようですが、わが国においても、40万人近くの人が亡くなっています。当時の世界人口が20億人弱、日本の人口が5500万人程度とされますので、その凄まじさが伝わってきます。
そして、もう一つ、イギリスの物理学者ホーキング博士は、人類にとっての最大のリスクは、戦争と遺伝子操作されてウイルスだと述べられたのも、何とも気になります。

宇宙全体とまで言わないまでも、地球上には様々な生物が棲んでいます。ウイルスが生物なのかどうか知らないのですが、人間の能力では判別できない生物(?)らしい存在もたくさんあるのかもしれません。それらは、それぞれに存在を競っているのかもしれませんし、その存在と言う意味も私たちとは次元が違うのでしょう。
いずれにしても私たちは、ウイルスや病原菌、放射性物質のような物体、気候変動、地球外からの何らかの影響、等々を受けながら存在させていただいているわけです。
主義主張が違う相手を嫌うのは自然なことかもしれません。自分の属する国家の存続のためには他国に少しぐらいの犠牲を払わせるのは当然なのかもしれません。しかし、これらは、いずれも人間どうしの争いに過ぎません。
今回の新型肺炎については、中国当局が情報開示を行い、懸命の対処を行っているようです。少々の海外流出はあるとしても、きっと、制圧してくれることでしょう。
しかし、このような時にこそ、主義主張の同異に関わらず、国家間の利害を乗り越えて、本当の意味での国際協力を実施する機会ではないでしょうか。
私たちには、まだ、その程度の知性は残っているのではないでしょうか。

( 2020.01.28 )

 

 

 

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ありがとうございます ・ 小さな小さな物語 ( 1278 )

2020-06-17 15:25:53 | 小さな小さな物語 第二十二部

「ありがとうございます」
私たちは、一日に何度ぐらいこの言葉を使うのでしょうか。
もちろん、「ありがとうございます」というほど丁寧なものだけではなく、単に「ありがとう」や「ありがとよ」とか、大阪であれば「おおきに」も含まれるでしょうし、地方の言葉や仲間内による符号のようなものも含めての話ですが、一日にどのくらい口にしているのか少々気になります。

「ありがとう」という言葉は、ごく普通に使う限り、それは感謝の言葉ですが、漢字書きにすれば「有難う」あるいは「有り難う」となり、「有り難し」からきていることは容易に連想できます。この言葉を直訳すれば、「有り難いこと。つまり、めったにないこと」と意味でしょうから、感謝の気持ちとして用いている「ありがとう」へは、一ひねりが必要な気もするのです。
他の国の感謝を表す「ありがとう」に当たる言葉の語源には、「考える」「恩恵」「義務付ける」といったものがあるようです。もちろん、「感謝」というそのままの意味の所も多いようですが、「めったにない」といった意味を語源としているものは、皆無ではないのでしょうが、そうは多くないようです。

「ありがとう」つまり「有り難し」の語源とされているのは、「盲亀の浮木」というお釈迦さんの教えのようです。
もちろん、感謝を表す言葉は、お釈迦さんが誕生される前からあったでしょうし、人類が満足な言語を用いるようになる以前から、人々は何らかの伝達方法を共有していたと思うのです。
それはともかく、「盲亀の浮木」という教えは、仏教の幾つかの経典の中に出てくる教えで、お釈迦さんが高弟の阿難尊者に諭したという逸話が残されています。
『 「大海の底に盲亀がいた。長命で、百年に一度、海面に浮き上がってくる。その海面には一本の浮木がある。真ん中に亀が首を入れることが出来る穴が開いている。海面は波立っており、また潮に流される。さて、その盲亀は浮木の穴に首を入れることが出来るや否や」と釈迦が阿難に訊ねると、阿難は「むりでしょう」と答える。釈迦は「絶対に有り得ないか」と訊ねる。・・・ 』
といった問答がなされ、「命、あるいは魂といったものが『人間に生まれる』ということが、いかに『有り難い』ことか」を教えたというものです。
そういえば、「枕草子」の中にも「ありがたきもの」という章段がありますが、そこには「ありがたきもの」が幾つも列記されています。たとえば、「舅に褒められる婿」「姑に思はるる嫁の君」「主そしらぬ従者」など、清少納言らしい事例が挙げられていますが、いずれも「めったにないもの」で、「感謝の気持ち」としては使われていません。

いずれにしても、この逸話から「有り難し」が生まれ、幾つかの試練を超えて「ありがとう」に辿り着いたとすれば、その行程をもっともっと知りたい気持ちになります。
まことに不謹慎な話ですが、今、中国・武漢で発生した新型コロナウイルスによる肺炎は、厳しい状況を増しています。それに対する対処方法や、わが国での発症のニュースなどを見るにつけ、私たちは、いかに社会と繋がって生かされているかということを教えられます。孤高を目指す人も、社会に背を向けているような人であっても、社会と無縁であることは、そうそう簡単ではないことを、新型肺炎への対処は、私たちに教えてくれているような気がするのです。
そして、その社会というぎくしゃくしがちな環境の潤滑油の一つは、「ありがとう」という言葉のような気がしているのです。

( 2020.01.31 )


 

 

 

 

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