雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

キャットスマイル  ⑩ チビ頑張る

2014-03-18 18:59:55 | キャットスマイル 微笑みをありがとう
          キャットスマイル
               ⑩ チビ頑張る


次の日も、チビは帰って来なかった。
ボクは、朝から落ち着かず、部屋の中をうろうろしたり、ガラス戸に顔を押し付けて、テラスにチビがいないか何度も何度も見に行った。入院しているのだから、テラスにいるはずがないことは分かっているつもりだったが、気がつくと、ガラス戸に顔を押し付けているのです。
     *
トラは、いつもと変わらぬ威厳で、堂々と寝そべっている風に見えたが、いつもなら少々の物音などではピクリともしないのに、今日は朝から、何か音が聞こえたりすると、顔を持ち上げ、耳をぴくぴく動かしている。
トラもやっぱりチビのことが心配なのだ。いくら威厳があっても、心配なものは心配なんですよ、きっと。

朝の仕事が一段落したらしいお母さんが、
「チビの様子を見てくるから、しっかりお留守番していてね」
といって出掛けて行った。
ボクは何だか心細くなり、お母さんの足にまとわりつくと、お母さんはボクを抱き上げて、
「大丈夫よ。チビは頑張り屋さんだから、あのくらいの怪我には負けないわよ。様子を見てくるから、おとなしく待っていてね」
と、ボクをトラの横に降ろした。

トラは、分かったとばかりにボクの頭を舐めてくれたが、その視線はやはりお母さんの方を見ていた。
「トラ君も、あまり心配しないで。チビは、きっと大丈夫だから」
と、お母さんはトラの頭を撫でてから、部屋を出て行った。
お母さんは、ボクやトラを心配させないために、「大丈夫よ」と何度も言ってくれていたが、きっとあれは、お母さんは自分自身に言って聞かせているように思えて、お母さんが出て行くと、何だかとても心細くなってしまったのです。

トラはお母さんの言いつけを守ろうとしているかのように、やたらボクの体を舐め回り、優しい表情を見せてくれる。
いつもは、チビのようにボクの食べ物を狙ったり、ボクの寝床に押し入ってきたりしない代わりに、ボクにはあまり関心のないような顔をしていることが多いのに、今日はやたらに優しい。
そのことが余計にボクを不安にさせるのだ。

それしても、ボクにとって、トラやチビはいったい何なんだろう。
どういう理由からか分からないけれど、生まれた所を離れることになってしまい、今では母親の顔さえ思い出すことが出来ない。
いたずら坊主たちに追い回されて、怪我をしてこの家に飛び込んできたことからトラやチビと一緒に暮らすことになってしまった。別にボクが望んだわけではないが、トラやチビの方がもっと望んでいなかったことのはずだ。

それに、あの時のボクは医者に連れて行ってもらったとはいえ、傷ついていたし、泥だらけだったし、第一自分が思っていたよりはるかに小さかった。お母さんやお姉さんは、やたらボクを可愛がってくれたので、トラやチビは面白くなかったはずだ。
しかし、トラもチビも、ボクをいじめることなど一度もなかった。そりゃあ、チビは、しょっちゅうボクの寝床を狙っているけれど、いじめているわけでないことはよく分かっている。
今では、三匹が一緒にいることが当然のようになってしまっている。今まであまり考えたことなどなかったが、こうしてチビが大怪我をして入院してしまうと、三匹が揃っていないことが大変なことだということがひしひしと感じられる。

お母さんはなかなか帰って来なかった。
病院だけではなく、お買い物などにも行っているのだと思うけれど、それにしても帰ってくるのが遅すぎるような気がする。何だか悪いことが起こっているみたいな気がしてならない。
トラも同じようなことを考えているのか、何度かガラス戸越しにテラスやその先の庭の方を見渡し、戻ってきてはボクを舐めてくれる。そしてしばらくすると、またガラス戸に近づいて行く。

ようやくお母さんが帰ってきた。
お母さんはまとわりつくボクたちの横に座り、交互に頭を撫でてくれた。
「安心して、チビは大丈夫よ。ただね、頭を強く打っていて、食事を食べないみたいなの。体の傷は大丈夫だし、口の中も切っているけど、すぐ良くなるらしいわ。あとは、頭を打った後遺症が治まることと、片目がどうなるか少し心配なの」
と、お母さんはボクとトラに、一言一言かみしめるように、丁寧に話してくれた。
「夕方もう一度様子を見に行くつもりなので、それまでに少しでも食べられるようになるといいんだけれどね。あなた方もあまり心配しないでね。チビは一生懸命頑張っているから、二、三日できっと元気になるわよ。そう、絶対大丈夫だからね」
と、お母さんは、涙声になっているのに気がついたのか、ボクたちから離れて行った。

お母さんが離れて行くと、トラはいつもの位置である食卓の下に戻り、ゆっくりと寝そべった。その姿には、いつもの威厳が戻っていて、さすがだと思った。
しかしボクは、お母さんの言っていることがどういうことなのか今一つ分からず、トラについて行って、寝そべっているトラに体を寄せた。トラは嫌がりもせず、ボクの体を舐めてくれた。
ボクはお母さんが説明してくれていたことを思い返していた。
お母さんが、大丈夫、大丈夫と繰り返していることが、気になって仕方がなかった。あの食いしん坊のチビが食欲がないということも心配だった。

お母さんは、夕方遅くにお姉さんと一緒にチビを見に行ったようだ。
少し元気を取り戻しているらしいが、食事が出来ないらしく、今夜も帰ることが出来なかったようだ。
「でも、大丈夫よ」
と、お母さんは、お父さんに説明しているのを聞いていたボクやトラに、語りかけた。
「でもね、頭を打っているから、帰ってきて万が一のことがあると大変だから、もう一日入院していることになったのよ。だから、あまり心配しないでね」

しかし、トラは次の日も帰ってくることが出来なかった。
少し食事が出来るようになったらしいので、最悪期は過ぎたらしいけれど、まだ、頭や目が心配らしい。
結局トラが帰ってきたのは、四日目の夕方だった。
心配していたほど体は痩せていなかったが、左目の様子がおかしく、顔の形が少し変わっているように見えた。毛を少し切り取っていることが原因らしいけれど、大分険しい顔つきになっているように見えた。

「しばらくはおとなしくしている必要があるので、トラもチロもいたずらをしては駄目よ」
とお母さんはボクに言い、チビ専用の寝床を用意していた。
ボクは恐る恐るチビに近づいた。病院のあのいやな匂いがチビの体に染みついているようで、どうも気味が悪い。それでも勇気を出して近付くと、チビは低い声で唸り、どうやら近づくのを嫌っているみたいだ。
トラは少し離れた所からみているだけで、チビに近付こうとはしなかった。やはり、何か違うものをチビに感じているのかもしれない。

その夜、チビはお母さんが用意した寝床用の箱の中で眠り、トイレに二度ばかり行ったほかは、うろつくようなことはしなかった。
トイレに行く時も、少しひょろついているみたいで、まだまだ良くなっていないみたいだ。
明け方になって、ボクは勇気を振り絞って、チビの寝床に近付いた。やはりチビは眠っていなかったらしく、すぐに目を開けてボクを見た。確かに左目がおかしい。
チビは、ボクに向かって小さく声を出したが、それは唸り声ではなく、警戒している声ではなかった。でも、近付くのは歓迎していない様子が伝わってくる。
ボクは、箱のすぐ近くに寝そべって、小さく鳴いた。
チビは、その声に特に反応することはなかったが、嫌がっている様子でもなく、目を閉じた。
     *
ボクは、いつの間にか、そのまま眠ってしまった。
いつもは、ボクの寝床を狙いに来るチビがうっとうしくて仕方がなかったが、今こうして近くにいるだけで何だか安心して、ぐっすりと眠れるような気がしていた。

「お母さん、見て。チロがチビの横で寝ているわよ。ほら、あんなに嬉しそうな顔をして」
「ほんと・・・。きっといい夢を見ているのでしょうね、笑っているもの」
 
     * * *
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キャットスマイル  ⑪ このままでいたい

2014-03-18 18:59:12 | キャットスマイル 微笑みをありがとう
          キャットスマイル
               ⑪ このままでいたい


チビは少しずつ元気を取り戻していった。
口の中をかなり傷つけたらしく、歯にも影響があるようで、あれだけ何でも食べていたチビが、スープのようなものを中心にして食べているのは、何だか滑稽な感じもするが、見ていて少し寂しい。
それに、まだ少し体がふらつくようで、ボクガ近くに寄るのもあまり気に入らないらしい。
     ☆
ボクは何とかチビに元気を取り戻させたくて、しきりに近づいていくのだが、特に怒るようなことはないが、喜びもしない。
トラは、そんなボクやチビの様子を見てはいるが、自分からは何の行動もしない。ボクをたしなめることもないし、チビを励まそうともしない。
じっと見守っているだけである。

その後、チビは一度病院に連れて行かれたが、その時はあまり時間はかからず、すぐに戻ってきた。その後は順調らしく、後はチビの体力が戻るのを待つだけだと、お母さんとお姉さんは話をしていた。
確かにその通りで、一日ごとにチビは元気を取り戻してきているようだ。まだ寝床から離れないことが多いが、食事の量が少しずつ増え、食べる物もボクやトラと同じ物になっていった。
ただ、自分の分を食べるだけで、トラの分やボクの分まで食べにくるようなことはしなくなった。あれだけ憎たらしく思っていたのに、自分の分だけ食べ終わると、すごすごと自分の寝床に戻っていくチビの後ろ姿は、とても痛々しい。いくら憎たらしくても、チビには、早く図々しくなって欲しい。

それから大分日が経った頃、珍しくトラがチビの寝床に近づいていき、しきりに体を舐めだしたのである。
チビは、最初不思議そうにしていたが、そのうち少し喉を鳴らして、自分もトラの体を舐め始めた。見ていたボクは、何だか一人ぼっちにされているような気がして、二匹の間に割り込んでいった。
チビもトラも怒るようなことはなく、おざなりな感じではあったが、ボクの体も舐めてくれた。
そんなことかあった後、チビは見違えるほど積極的に動き回るようになった。
トラがチビに元気を与えたのか、たまたま元気を取り戻す頃になっていたのか分からないが、やはり、トラはすごい。

この後、チビは日ごとに元気になっていった。
まだ遠出はしないようであるが、テラスや庭に出ていくようになった。お母さんは、チビが遠くに行ってしまうのを怖がって、ガラス戸を開けないようにしていたが、チビの動きがしっかりしてきたことと、ガラス戸をガリガリ引っ掻き始めたため、以前のように外に出すようにした。
その時には、必ずといっていいほどトラもテラスに出たがった。トラはいつものように紐につながれるのだが、それでもチビを見張る役にはなるらしく、お母さんも安心らしい。
チビが外に出るときには、ボクも同じように外に出ることにした。外といっても、ボクはいつもトラと同じようにテラスが中心で、たいていはトラにひっついたり、その近くで寝ぞべることが多いが、チビが庭に出ていくときにはついていくことにした。

するとチビは、ボクガ庭に出ることが心配らしく、すぐにテラスに戻ってくる。ボクが心配してついて行ってやっていることを理解していないらしい。
それと、この頃からはっきりと分かってきたことだが、どうやらチビの左目は見えていないらしい。チビ自身も、片目が見えないということがどういうことだかよく分かっていなかったようだが、次第にそのことを認識してきたらしい。
まず、左目のせいだけではないかもしれないが、高い所に飛び上るのが不安らしい。隣家との一部にはブロック塀があるが、以前チビはその上に飛び上ってよく歩いていたが、何度か塀の下まで行くが、飛び上がろうとしなかった。
それと、庭を駆け回るスピードも前より遅くなっているように思う。家の中を走り回っているときには気が付かなかったが、これも、体とか足を痛めているというより、目の関係らしい。

そして、時間が経つにつれて、チビの左目は見ただけではっきり分かるほど変化してきて、見えていないことがはっきりしてきた。
お母さんは、そのことで何度かチビを医者に連れて行ったが、治療するというより、さらに悪くなっていかないかを心配してのことだったらしい。
しかし、チビは、見た目では片目が見えなくなっているのがはっきりしていくのとは反対に、片目で行動することに慣れてきたらしく、時々は外へ出て行くようになっていった。時には他所のネコと戦ってくるらしいが、片目になっても引けを取るようなことはないらしい。
お母さんやお姉さんは、チビを外に出すことには反対のようであったが、かといって、家に閉じ込めておくのは可哀そうで、少々危険があっても表を走り回っている方がチビらしいからということで、以前通りになっていった。

やがて三匹は、以前のペースの生活になっていった。
トラは食卓の下で悠々と寝そべり、チビは以前と同じような好き勝手な生活に戻っていった。怪我の後に買ってもらった寝床は気に入っているらしいが、そこを根城にしながらも、トラに甘えに行ったり、ボクの寝床を狙いに来たりする。
ボクも、この頃はチビのいない間にチビの寝床に潜り込んだりしているが、うっかり眠ってしまったりすると、チビはボクの寝床を占領してしまう。
このように、以前より少し変化はあるとしても、三匹それぞれに落ち着きを取り戻していった。
特に、チビが遠出することが少なくなった分、テラスで三匹一緒に過ごす時間が増えたみたいだ。テラスには箱が三つおかれていて、どれが誰の物とも決められていないが、チビはすぐにトラかボクが入っているところに割り込んでくる。

お天気の良い時は、三匹は並んで長々と体を伸ばしていることも多くなった。
お母さんたちもそうだが、特に訪ねてきた人たちは、ぼくたち三匹が長々と体を伸ばして寝ている姿が可笑しいらしい。
「幸せそうねぇ」
と、決まってその人たちは言う。
きっとそうなのだろうと、ボクたちも思う。

そんなある日、突然ボクは籠に入れられて、病院へ連れて行かれた。
「大丈夫よ。ちょっと検査をしてもらうだけだから」
と、お母さんはボクを安心させようとしているが、理由がよく分からない。
チビが大怪我をしてからもう大分経つが、チビは今でもたまに病院へ行っているが、ボクはどこも悪くないので、お母さんはチビとボクを間違えているのではないかと思った。でも、いくら何でもお母さんがボクをチビだと思うはずがないと思う。
ただ、このところ、食事があまり欲しくなくなっていて、食べ残したり、ほとんどチビに食べられてしまったりしているので、お母さんはそのことを気にしていたのかもしれない。
     ☆
病院の結果は、特別なことはなかったらしい。

ボクたちは、天気さえよければ、テラスで三匹並んで長々と体を伸ばしている。
「こんな時間が、ずっと続けばいいなあ」
と、ふと思う。

それと、いつもは顔を見せることなどほとんどないのに、夜中にお兄さんが話しかけてくることが時々ある。
それが、少し気にかかる。

     ☆   ☆   ☆


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キャットスマイル  ⑫ 旅立ち

2014-03-18 18:58:27 | キャットスマイル 微笑みをありがとう
          キャットスマイル
               ⑫ 旅立ち


穏やかな日が続いた。
ボクたち三匹は、それぞれ気ままに、それでいて、いつの間にかしっかりとした仲間になっていた。
仲間というより、トラはボクたちのお父さんのようで、チビはお兄さんみたいならしい。
お姉さんは、ボクを抱き上げた時には、そう話す。

確かに、そのような関係のようにも思うが、チビがボクの兄貴だというのは、どうもしっくりこない。
チビは、よくボクに甘えてくるからである。
     ☆
このところ、定期的にボクは病院に連れて行かれる。
自分では特に悪いところなどないと思っているのだが、いつも注射される。ボクは注射など怖くもなんともないが、あの病院の臭いが嫌だ。
それに白い台に乗せられて、体を押さえつけられる。
その時、いつもボクは、このままお母さんは帰ってしまい、この人たちに捕まえられたままになるのではないかと、不安に襲われる。

それ以外は、特別なこともなく、チビは片目が見えなくなってしまったようだが、最近は大して苦にならないらしく、外へ出て行っては、時々は他のネコと戦って帰ってくる。傷をして帰ってくることも少なくないが、それでも戦いには常に勝っているらしく、別に自慢話をするわけではないが、雰囲気でそれがわかる。チビは、ボクなどに対してはだらしないが、外で戦う時には勇ましいらしい。
トラは、部屋の中でも、テラスに出ているときでも、あまり動き回らない。まだ年寄りというほどの年齢ではないが、寝そべっていることが多い。それと、最近はボクに対してとても優しいような気がする。

それともう一つ気になることがある。
これまであまり構ってくれることなどなかったお兄さんが、時々話しかけてくることがあることだ。
お兄さんは、あまりボクたちの近くにくることはないし、お母さんやお姉さんと話をすることも少ない。
いつもはほとんど外出しているらしいが、家にいるときも二階の自分の部屋にいることが多いらしく、ほとんど姿を見せない。
ところが、最近、大体夜遅くが多いが、ボクの近くに来て話していくことがある。
たいていは、じっとボクを見つめてやさしい笑顔を見せているか、うん、うんと何かをボクに伝えていて、ただうなづいていることが多い。

体調が変だとボクが自分ではっきりと感じだしたのは、お兄さんの姿を見ることが多くなった頃からだった。
定期的に病院に連れて行かれていたので、どこか悪いらしいということは感じていたが、ボク自身はとても元気だったし、食事も以前と同じように食べていたから、病気だなんて自覚はなかった。
それが、時々、立ち上がる時に足がふらつくことがあるようになり、食事が全く欲しくなくなってしまうことがあるようになった。
チビがボクの食事を取りに来ても、前のように自分の食事を守る気持ちがしなくなり、簡単にチビが食べるのに任せるようになった。
二、三度はそのようなことがあったが、ボクが拒まないとなると、チビはボクの食事を取ろうとしなくなり、ボクがほとんど食べないで食器の所から離れても、残っているものを食べようとしなくなった。
変な奴だ、チビは。

ところが、そのため、ボクが時々食事をほとんど食べていない時があるのにお母さんが気付き、大騒ぎとなった。
わざわざ別の食事を用意をしたり、スープを作ったりしてくれるようになった。
もっとも、ボクが食事が欲しくなくなるのは毎日ではなく、一日おきぐらいなので、お母さんはボクのために二種類の食事を用意しなくてはならなくなった。
病院へ行く回数が多くなり、食事が満足に食べられなくなり、ボクは本当に病気らしい。

それは、暖かい日の事だった。
チビはどこかへ出かけて行っていて、トラはテラスに出ていた。
この頃ボクは、一日の大半を寝床で過ごしていたが、暖かそうな陽の光に浴びたいような気になって、そろそろとテラスに出ることにした。
お母さんは買い物にでも出ているらしく、家の中はとても静かだ。部屋からテラスに降りるのには、ほんの少しばかりの段差があるだけなのだが、今のボクにはそれさえ大変で、転がるようにしてテラスに出た。
どういうわけか、足が弱ってしまって、今ではトイレへ行くのさえ途中で二回ばかり休まなくては辿り着けない。

何とかテラスに出ると、すかさずトラが近寄ってきて、頭を舐めてくれた。
ボクは、トラに体を寄せてうずくまった。日差しがわずかにさしていて、頭をトラのお腹のあたりにつけると、とても暖かい。ボクはうとうとし始めた。トラも安心したように眼を閉じて寝そべっていた。
ボクは、何か、不思議な空間にいるような気がしていた。
なぜ、いまボクはここにいるのだろう。

気が付くと知らない公園でひとりぼっちにされていて、子供たちにぶたれたり追い回されたりして、この家の庭に逃げ込んだのはいつのことだったのか。
あれは、たまたまこの家に逃げ込んだことなのか、何かに導かれて逃げ込んできたことなのか、最近になって、考えるとがよくある。
大怪我をして木にすがりついていたボクを、この家のお姉さんとお母さんが見つけてくれて、助けられたのだ。
そして、威厳に満ちたトラと、ユーモラスで、大きな頭と、今思えば大きな心も持っているチビという仲間とともに、楽しい日を送らせてもらった。
でも、どうやら、それもぼつぼつ終わりにしなくてはならない時らしい。それがボクには分かるのだ・・。
ボクはそっと体を起こした。
今なら、まだ少しは体を動かせることができる。しかし、残されている時間はそう多くはない。今しかないのだ。

ボクは、テラスから庭に出た。やはり少し転げるような格好になってしまったが、それほどダメージはなかった。
庭を休み休み進んだ。それほど広い庭ではないが、考えてみれば、ボクはこの庭を駆け回ったことがほとんどなかった。それでも、ブロック塀ではなく、生け垣になっている隣家との境目には、少し隙間があることを知っていた。トラが時々そこから帰ってくるからだった。
そこから出て行けば、隣には植木が茂っている所が見えているので、身を隠すことができるはずだ。
ボクは、苦しくなるとうずくまり、また立ち上がって生垣に向かって進んだ。

ボクの動きに気が付いたらしいトラが、「ニャオー、ニャオー」と、大きな声を出し始めた。普段あまり泣かないトラだが、その声は威厳に満ちていて、ボクを励ましてくれているように聞こえる。
その声に励まされて、ようやく生垣に辿り着いた。あそこを通り抜ければ、あまり大きくない植木が集まっているので、潜り込める場所があるはずだ。そうすれば、あとは静かに時を待てばいいのだ。

ところが、ボクが隙間に入り込もうとすると、そこには大きな頭があった。片目は不気味な光を反射させ、片目は優しすぎる光をたたえている顔は、チビだった。
たまたま帰ってくるところだったのか、トラの声に異常を察して駆けつけてきたのか分からないが、隙間をふさいで動こうとしないのである。
「ウウッ・・」
と、ボクは渾身の声を振り絞って、チビに向かって威嚇の声を出した。「そこを退け ! 」と、ボクガ威嚇していることはチビに伝わっているはずだが、大きな体を動かそうとしない。
テラスでは、何時になくトラが激しく泣き続けている。

その時、お母さんが走ってきた。
買い物にでも行っていたはずだが、帰ってきてトラの激しい鳴き声が聞こえたのに違いない。走ってくると、ボクを抱き上げた。
「チロ君、どうしたの? 何処へ行くつもりなの? 」
と、お母さんはボクに頬ずりし、
「チビ、チロを守ってくれていたんだね」
と、チビにも声をかけた。

その日の夜、お父さん、お母さん、お姉さんが集まって、何かを相談していた。
トラは、三人が集まっている食卓の下で寝そべっていて、チビとボクはそれぞれの寝床に入っていた。いつもと変わらぬ状況である。
「チロは、きっと最後の場所を求めに行ったのだろうよ・・。もう、あまり辛い治療は、やめた方がいいと思う」
と、お父さんの声が聞こえてきた。
三人はなおしばらく話し合っていたが、そのあとお姉さんはボクの所へ来ると、ボクの体を撫でながら、
「チロ君、あなたは、何処へも行かなくてもいいのよ。だって、ここがあなたのおうちなんだから・・」
と、繰り返し話しかけてくれた。
そのうち、ボクは眠ってしまった。

目が覚めたのは翌朝早くだったが、起き上がろうとしたが、もう立ち上がることができなかった。
息が苦しく、遠くから全速力で走ってきたような苦しさだった。
近くには、お母さんとお姉さんがいて、少し離れたところにお父さんもいた。
トラとチビも少し離れて寄り添っているみたいだが、はっきりと見えなくなっていた。

その時、お兄さんの声が聞こえた。
「チロ。もういいんだよ。もう、頑張らなくていいんだよ。あとは僕についてくるだけでいいんだからね」 
「ああ、そうだったのか、この時のために、お兄さんはボクに話しかけてくれていたんだ」
とボクは思った。
そうすると、今までの息苦しさは消えてゆき、手足を存分に伸ばして眠られるような気がしてきた。幸せな気持ちに、頬が緩んだ。
「ほら、見て。チロ、微笑んでいるよ・・」
お姉さんの声が、かすかに聞こえていた。
     ☆
トラとチビがテラスで眠っている。それぞれがお気に入りの箱に入っている。箱は今も三つおかれている。
ボクは、チビの頭を舐めてやり、トラの体に身を寄せて少し甘える。
チビもトラもボクの気配を感じているはずだが、何の反応も示さない。

今日はお休みらしく、食卓にはお父さんもお母さんもお姉さんもいる。お兄さんも来ているらしい。
トラとチビと同じように、ボクも空いている箱に入ってみる。
何も、変わっていないんだ・・。

                                             ( 完 )

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