雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

一条院の葬送 ・ 望月の宴 ( 137 )

2025-02-26 08:02:09 | 望月の宴 ④

     『 一条院の葬送 ・ 望月の宴 ( 137 ) 』


こうして、数日間は御読経の声がしみじみと哀れに胸にしみて過ごしているうちに、御葬送は七月八日と定められた。
たいそう暑い時期に、意外に日時が過ぎたことを中宮(彰子)はたいそうご心配なさっている。このように御亡骸のままでいらっしゃることはうれしいことではあるが、おのずから限りのあることなので、哀れに思われることばかりである。
七月七日、明日はいよいよ御葬送であるからとて、按察大納言(アゼチノダイナゴン・藤原実資か?)から、
『 七夕を 過ぎにし君と 思ひせば 今日はうれしき 秋にぞあらまし 』
 ( 七夕の彦星を 故院だと 思うことができれば 今宵はお逢いできるうれしい 秋であるのに 悲しいことだ ) 
これに対して、右京命婦(一条院の女房らしい)の御返し、
『 侘(ワ)びつつも ありつるものを 七夕の ただ思ひやれ 明日いかにせん 』
 ( 悲しいながらも今日までは 御亡骸のお側にお仕えすることが出来ていましたが 七夕の星の気持ちになって お察し下さい 明日からの虚しい日々を )

こうして、八日の夕べ、岩陰(左大文字山の東麓。葬送の地。)という所にお移りになる。
葬送の儀式の有様は、例を見ないほどに厳めしく、それではこれが最後の行幸の御有様なのだと、人々は目を引き寄せられた。
殿の御前(道長)をはじめとして、すべての上達部、殿上人が後に残ることなくお供申し上げる。お着きになってからは、ご立派な葬送の御有様と申しても、はかなき雲霧とおなりになってしまわれては、何とも悲しい限りである。
秋の長い夜とはいえ、たちまちに明けたので、夜明け頃に御遺骨などを、帥宮(一の宮、敦康親王)や殿(道長)などがお拾いになって、それが終ると、大蔵卿正光朝臣(藤原兼通の子。道長とは従兄弟の関係。)が背負い申し上げてお帰りになる様子など、まことに悲しい。
お帰りになる途中も、人々の心は虚ろである。皆そろって一条院に夜深く(実際は午前十時頃であったらしい。)お入りになった。
高松の中将(頼宗。父は道長、母は高松殿明子)は、
『 いづこにか 君をば置きて かへりけん そこはかとだに 思ほえぬかな 』
 ( いったい何処に わが君を置いて 帰ってきたのだろう そこが何処だということさえ はっきり分らない 「そこはか=そこ墓」の掛詞になっている )
公信の内蔵頭(藤原為光の子。道長とは従兄弟の関係。)は、
『 かへりても 同じ山路を 尋ねつつ 似たる煙や 立つとこそ見め 』
 ( 帰ってくるにつけても 同じ山路を 尋ね尋ねして わが君の荼毘の煙のような煙が 立っていないか それを見たいものだ )
ああ何とも、悲しみの尽きない御事ばかりである。

       ☆   ☆   ☆


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 寒波もようやく峠を越えたか | トップ | 次の記事へ »

コメントを投稿

望月の宴 ④」カテゴリの最新記事