雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

歴史散策  古代からのメッセージ ( 11 )

2015-04-21 19:15:12 | 歴史散策
          古代からのメッセージ ( 11 )

大国主神の国造り

さて、大国主神が出雲の御大(ミホ・美保岬)にいた時に、波頭に乗って天のかがみの船(アメノカガミノフネ・「かがみ」は、ガガイモという蔓草らしい)に乗って、雁の皮の衣服を着た神が近付いてきた。
それで、その神の名前を尋ねたが答えない。大国主神に従う神々に尋ねても、皆「知らない」と言う。
そのうち、ヒキガエルが、「これは、久延毘古(クエビコ・かかしを神格化した名称)がきっと知っているでしょう」と言う。

そこで、久延毘古を呼んで尋ねたところ、「これは、神産巣日神(カムムスヒノカミ)の御子である少名毘古那神(スクナビコナノカミ)でございます」と答えた。
それを聞いて、大国主神は高天原の神産巣日御祖命(カムムスヒノミオヤノミコト)に申し上げて、天上に連れて行ったところ、
「これは、まことに我が子である。子の中で、我が手の間をくぐり抜けていった子だ。この子は、そなた芦原色許男命(アシハラシコオノミコト・大国主神の別名。芦原中国を治めさせるためにこの名を使ったらしい)と兄弟になって、その国を作り堅めよ」と仰せになった。

それから後は、大穴牟遅(オオアナムジ・大国主神の別名。ここでも呼び換えられている理由があると思われるが、よく分からない)と少名毘古那の二柱の神は、一緒にこの国を作り堅めた。そうしたのちに、この少名毘古那神は、常世国(トコヨノクニ・海の彼方にあると考えられていた国)へ渡っていった。
さて、この少名毘古那神の正体を明らかにした久延毘古というのは、今でいう山田のかかしである。この神は、足では歩かないが、天下のことを何でも知っている神である。

さて、少名毘古那神が去ってしまい、大国主神は嘆いて、
「私一人でどうしてこの国を作ることが出来ようか」と仰せになった。
この時、海面を光らせて近付いてくる神がいた。そして、その神は、「私をよく祭るなら、私が一緒になって、うまく国造りを完成させよう。もしそうしなければ、国が完成するのは難しいだろう」と言った。
そこで大国主神は、「それでは、あなたの御魂を鎮め奉るには、どのようにしたらよいのでしょうか」と尋ねると、
「私を、倭(ヤマト)の青垣の東の山の上に祀り仕えよ」と答えた。
これは、御諸山(ミモロヤマ・三輪山のこと)の上に鎮座されている神である。

     ☆   ☆   ☆

大年神の系譜

さて、須佐之男命の子孫には、国造りに励んだ大国主神の系列とは別に、須佐之男命と神大市比売(カムオオイチヒメ)との間に生まれた大年神(オオトシノカミ)の系列がある。
古事記には、大年神以下二十四柱の神の系譜が示されている。ただ、かまどの神であるとか、松尾神社の祖神であるなどの記録はあるが、伝承などの紹介は少ない。

天照大御神の弟神でありながら、何かと粗暴の振る舞いが目立つ須佐之男命であるが、その子孫たちは、この国の国造りにおいて大きな功績を残しているのである。
                                              ( 完 )          

     ☆   ☆   ☆




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