『 生命力に感動 』
今 NHK(BS) の 「ねこ育て いぬ育て」
という番組を見ている
のら猫が産んだ四匹の子猫が 保護されて
やがて貰われている様子が 放映されている途中
お世話される方は ご苦労様だが
子猫たちの 生命力の逞しさに感動した
生きとし生けるもの その物語は 切ない
わが家でも 大人の地域猫を ある事情から
今年の一月から 家の中で飼っているが
今では どちらが飼い主だか 分からない状態だ・・・
☆☆☆
『 我が心はなお燃えて 』
作者 こまちがあね
「 あひ知れりける人の、やうやく離(カ)れがたになりける
あひだに、焼けたる茅(チ)の葉に文をさしてつかはせり
ける 」
『 時すぎて かれゆく小野の 浅茅には
今は思ひぞ 絶えずもえける 』
( 巻第十五 恋歌五 NO.790 )
ときすぎて かれゆくおのの あさじには
いまはおもひぞ たえずもえける
☆ 作者の出自などはまったく不明。「小町の姉」つまり小野小町の姉とされることが多い。
☆ 歌意は、「季節が過ぎて 枯れ果ててゆく野原の 浅茅(小さな茅)には 今は野焼きの火が燃えているように 盛りを過ぎた私から あなたの訪れは遠のいていますが 私の思いの火は 今も絶えず燃えているのです 」といった激しい恋慕の歌といえましょう。
☆ 作者の消息を尋ねる手段はまったくありませんが、いくつかの推察は可能です。
まず、作者が本当に小町の姉だと推定した場合、作者の名前は「町」だという推定が成り立ちます。当時の女房名なので、「町」の妹を「小町」と呼ぶのはよく例があります。もちろん、本名か通称かははっきりしませんが。
ただ、他の歌集などに、「こまちがまご」「こまちがめい」「こまちがいとこ」といった名前も登場しているようなので、実在が薄れるような気もします。
また、この歌そのものが、小野小町の作品ではないかという意見もあるようです。
☆ そもそも、小野小町という人が絶世の美人であったことは厳然たる事実のように伝えられていますが、そのことも含めて、実在と伝説の狭間に存在しているような女性ですが、生年が 825 年頃で没年が 900 年頃というのがほぼ定説化されているようです。
もし、そうだとすれば、古今和歌集の撰者である紀貫之の生没年は ( 872 - 945 )、凡河内躬恒の生没年は ( 859 - 925 ) とされていますので、小野小町や「こまちがあね」とほぼ同時代の人といえます。つまり、この二人の実在性をかなり正確に掴んでいたように思われるのです。
☆ 本稿では、「こまちがあね」は実在の女性と考えたいのです。
この歌の作者「こまちがあね」が後世に足跡を残すことがなかったのは、宮廷や有力貴族よりも下位の貴族に仕えていた女房なのかもしれないと思うのです。もちろん、絶世といかないまでも大変な美人で、歌の上手であったと想像したいと思うのです。この歌が、小野小町の作品だという声もあるようですが、それは逆で、小野小町の作品が「こまちがあね」の影響を強く受けていると考えられないでしょうか。
そして、この二人に共通していることは、激しい恋に生きた女性であって、この歌は、「こまちがあね」が後世に伝える数少ない息吹だと考えたいのです。
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